006:昔話

ひらりと舞い落ちた、1枚の写真。
それを拾い上げて見た瞬間、息が止まった気がした。



明智の自宅の書斎で見つけ、興味を惹かれて借りてきた本。
そのままそこで読んできても良かったのだが、やはり明智の家に一緒にいる時は2人で過ごしたい。
1人で黙々と本を読むよりも、2人でコーヒーでも飲んでたわいもない話をしたりしていたい。
恥ずかしいので、絶対に口には出さないけれど。

カバンの中から本を取り出してパラパラと軽くページをめくると、何かがページの間から空を舞って落ちていった。
どうやら写真らしいのを見て、それを拾い上げる。
栞代わりにでもしていたのだろうかと、何気なくめくって写真を見た。

そこに写っている人物を見て、はじめは身体が凍りついたかのような錯覚を覚えた。
写っていたのは、2人の人物。
1人は明智で、もう1人は…………20代前半くらいだろうか、長い髪を1つに編んだ綺麗な女性。
女性の腕は明智の腕に絡みつき、2人とも幸せそうに笑っている。
似合いの美男美女。
そんな言葉がしっくりくるような2人の姿。
写真を今すぐに手放してしまいたいのに、何故だか手も視線も動かせない。
目を逸らす事を許さないかのように、写真ははじめの手の中から離れなかった。

「はじめ〜! ごはんよ、下りてらっしゃい!」
階下から聞こえた母の声に、はじめはハッと我に返り、それと同時に身体の硬直が解ける。
咄嗟に本の間にその写真を挟むと、首を大きく横に振って部屋を出ていった。





その夜、自室のベッドに寝転がりながら、はじめは眠れずにいた。
あの女性は誰なのだろう。
やはり、明智が過去に付き合っていた女性なのだろうか。
写真の中の明智は、今よりも少し若い感じがした。
大学生か、もしくは卒業して間もない頃だろうか。

この女性と付き合っていたのだとして、今この女性はどうしているのだろう。
もちろん、明智がはじめと付き合っている以上、別れたのは分かっている。
だけど、それならどうして別れたのだろう。
写真を見る限りとても美人でスタイルも良く、笑顔も優しそうだ。
はじめから見れば申し分ないと思える女性の、何がいけなかったのだろう。
あるいは女性の方から別れを告げた可能性もあるが、明智をフる女性というのもそうはいない気がする。
明智から別れたとして、彼女の何がいけなかったのだろう……。
それとも、ロス市警に研修に行く時に別れたのだろうか。
だとしたら、別に相手が嫌いになって別れたわけではないのかもしれない……。

そんな事は当人同士にしか分からないし、考えるだけ不毛だという事くらい分かっているはずなのに、考える事を止められない。
もし、嫌いで別れたのではなかったとしたら、今その女性が目の前に現れたら明智はどうするのだろう。
かつて好きだった女性が、もしも昔よりもっと綺麗になって現れたら?
その時、はじめは明智の心を繋ぎ止め続ける事が出来るのだろうか。
そんな自信は、はじめにはなかった。
明智よりも11歳も年下の子供で、しかも男で、顔も特別良くもないし成績と運動神経ははっきりと悪い。
取り柄といえば推理くらいしかない自分のどこに明智が惚れたのか、未だに分からないくらいなのだ。
窓ガラスに映る自分の姿を見て、はじめは大きくため息をついた。




数日後、結局例の本は全く読まずにこっそりと明智の書斎へと返してしまった。
ひょっとしたら彼女との思い出の本なのかもしれないと思ったら、本を開く気にはなれなかった。




日曜日、はじめは出掛ける気分にもならずにダラダラと自室で寝転んでいた。
週末は明智の家に行く事が多かったのだが、今はそんな気になれなかった。
未だにあの写真を引きずっているらしい自分に、さすがに嫌気が差す。
気になるなら訊いてみればいいのに、それも何となく怖くて出来ない。
訊けば、明智にあの女性を思い出させる事になりそうで嫌なのだ。

「あーもう! 何で俺がこんな悩まなきゃいけねえんだよ! 明智のバカヤロー!」
「久しぶりの逢瀬に、バカとはご挨拶ですね」
誰に聞かせるつもりでもなく叫んだ言葉にすぐさま返事が飛んできて、はじめは勢い良く起き上がって振り返った。
「あ、明智さん! 何で!?
そこにいたのは紛れもなく明智健悟その人であり、はじめは突然現れた明智にうろたえるばかりだ。
「事件が何とか片付いたものですから。携帯に電話したんですが、通じなかったので直接迎えに来ました」
「あ……そ、そう……」
「それよりも、何に悩んでるんです? 最近は電話でも少し様子がおかしかったですが……」
浮かべていた笑みを消して、明智がベッドに座っているはじめの横にそっと腰を下ろす。
「……別に、大した事じゃないよ」
「君は、自分が嘘を吐くのが下手だという自覚を持った方がいいですよ」
間髪入れずに返されて、はじめは言葉に詰まる。
黙ってしまったはじめをしばし見つめ、明智が再び口を開いた。
「先程の言い方から察するに、その悩みとやらの原因は私なんでしょう?」
明智の鋭さというのは共に事件に巻き込まれた時などは頼もしいが、こういう時はとても困る。

それでも話さないはじめに、明智はスーツの内ポケットから何かを取り出した。
「その原因は……ひょっとして、この写真ですか?」
そう言って目の前に掲げられた写真は、紛れもなくはじめが見たあの写真だった。
「な、何で……!?
「……やっぱりそうですか。君の様子がおかしくなったのがあの本を貸した頃だったので、もしやと思ったら……」
写真が挟まっていたのに気付かなかった私もいけなかったんですが……と呟いて、明智が小さくため息をついた。

「金田一君、この女性との関係性についてはおそらく君の考えている通りです」
その言葉に、はじめは思わずピクリと身体を揺らした。
「……しかし、あくまで昔の事です。今はもう、彼女とはただの友人ですよ」
少しの間沈黙が流れ、ポツリとはじめは呟く。
「友人って事は、嫌いになって別れたんじゃないんだよな」
「それは……まあそうですが。恋愛感情はありませんよ。今の私には君がいますから」
「…………じゃあ、俺もいつかそうなんの?」
「え?」
「俺もいつか、その人と同じ『ただの友人』になって他の誰かに思い出話として話すのかよ」
いつか、はじめへの愛情が錯覚だったと気付いて、離れていってしまうのではないか。
その、写真の中の彼女の時のように。

そんなはじめの言葉にしなかった思いに気付いたのか、明智がはじめの肩をそっと抱き寄せた。
「金田一君。確かに未来の事など誰にも分かりません」
明智のその言葉に、はじめは膝の上に置いたままの両手をギュッと握り締める。
「しかし、それでも私は断言できますよ。君は、私の最後の恋人だとね」
思わず顔を上げると、真摯な瞳ではじめを見つめる明智と視線がぶつかる。
「……何でだよ。何でそう言い切れるんだよ! そんなの分かんねえだろ!?
「君への気持ちが、今まで私が感じたどの気持ちとも違うからですよ」
そう言う明智の瞳に浮かぶ色は、今までに見た事のない切なさが宿っているように見えた。
「今までいくつも恋愛経験を重ねてきましたが、他の全てを切り捨てても良いと思ったのは……君が初めてですよ」
「初めて……? 俺が……?」
「ええ。君と出会って、君に恋をして、私は自分が今までいかに表面的な恋愛しかしてこなかったのかを知りました。自分が、これほど深く誰かを想う事が出来るとは知らなかったんです。……経験を重ねてきたからこそ、私は確信があるんです。君の他にはもう、誰に対してもこんな気持ちは抱けないだろう、とね」
真剣そのものの瞳でそう告げる明智に、はじめは胸が締め付けられるような思いがした。
明智の言葉は、紛れもない本心だ。
自分みたいな何もない子供を、明智はこれ以上ないほど真剣に、大切に想ってくれている。
泣きたい気持ちでいっぱいになって、けれどそれはギリギリのところで堪えた。

「……正直なところを言うと、私の方こそ不安で仕方ないんですよ」
ポツリと明智が漏らした言葉に、はじめは驚いて明智に顔を向ける。
「不安? 明智さんが?」
いつも自信たっぷりの明智が、一体何を不安になると言うのだろう。
そんなはじめの内心が伝わったのか、明智が僅かに苦笑する。
「君は、私にとっては最後の恋人です。いくつもの経験を経て、君に辿り着いた」
右手で肩を抱き寄せたまま、明智は空いている左手をはじめの手に重ねた。
「けれど、君はまだ未来ある17歳の高校生だ。私にとっては君が最後の恋人でも、君にとっては私は最初の恋人に過ぎないのではないか……。私が過去の恋愛を経て君に辿り着いたように、君もまた私という過去を経て、いつか最後の恋人に辿り着いていくのではないか……。私が彼女の事を君に昔話として話すように、私自身も君の昔話になってしまうんじゃないか……。そんな風に、思う事があるんです」
余りに予想外のセリフに、はじめは思わず明智のスーツの襟ぐりを引っ掴んだ。
「何でそんな事思うんだよ! そんな事……そんな事、あるわけないだろ!?
はじめは、こんなにどうしようもないくらいに明智の事が好きなのに。
明智への気持ちが過去の事になるなんて、あるはずがない。

はじめの剣幕に明智は驚いたような顔を見せ、次いでゆっくりと微笑んだ。
「ええ……そうですね。すみません」
それで我に返ったはじめは、慌てて掴んでいた手を離す。
「あ、ごめん。……でも、さっき言った事はマジだかんな」
顔が赤くなっていくのを見られたくなくて、はじめはそっぽを向く。
「私が言った事……ああ、もちろん『君が私の最後の恋人』だと言った事ですが」
「あーもう、いちいち言い直さなくても分かるっつーの!」
どうしてこう、この人は臆面もなく何度もそういうセリフを吐けるのだろうか……と、いつも思う。
はじめが耳まで赤くなっている事に気付いているのだろう、明智がクスクスと笑っているのが聞こえる。
振り返ってキツく睨みつけると、明智は笑いを収めて真正面からはじめの瞳を捕らえる。
「私が言ったこの言葉も、本当の事ですよ」
告げられた言葉が、はじめの胸に真っ直ぐに入ってくる。

「…………ん、分かった。ごめんな、明智さん」
はじめが頷くと、明智は嬉しそうに笑ってはじめを抱きしめた。

「……君が好きですよ」
甘く囁く声を聞きながら、はじめはゆっくりと明智の背中に両手を回した。







どうですか、少女漫画一直線ですよ!(開き直った)
明智さんは大人でしかもとんでもなくモテるので、はじめちゃんは気が気じゃないですよね、そりゃ。
明智さんは明智さんで、相当はじめちゃんの周りに対して警戒しているんでしょうが。
はじめちゃんも、男女問わずモテますからね……。(本人気付いてないだけで)
この後ですが、いくらベッドの上でムードばっちりと言えども場所が金田一家であるだけに明智さんも自制は利かせたものと思います。……多分。

2006年6月22日UP

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