010:旅の宿

「あー、気持ちいいなあー!」
部屋の窓を開け放って、勘太郎ははしゃいだように叫ぶ。
そうして振り返ると、嬉しそうに笑った。
「春華、来て良かったね。一休みしたら、温泉入りに行こう」
「お前、仕事だろ。そんなのんびりしてていいのか」
「分かってるよ。もう、春華ったら情緒がないなぁ」
拗ねたようにプイと横を向いた勘太郎に、春華はため息をつく。
勘太郎にだけは言われたくないセリフだな、と思ったが、それを口に出すとますます本格的に拗ね出しそうなので思うだけに留めておいた。

春華と勘太郎は今、仕事の依頼を受けてとある村に来ている。
村で近頃頻発する怪奇現象の原因を突き止め、解決して欲しいという依頼だ。
にも関わらず、勘太郎のマイペースぶりは相変わらずだ。
仕事をする気があるのかないのか。
もちろん、いざとなったらやる人間だとは知っているが、春華が少々呆れても仕方がないところだろう。

「だってさ、自分の家とは違う、こういう旅先の宿にいる時って何となく開放的っていうか、つい気分が浮かれちゃうでしょ?」
「……お前はいつでも好き放題浮かれてるだろう……」
「何それ! 失礼しちゃうなあ」
腰に手を当てて膨れたように仁王立ちする勘太郎は、その童顔のせいもあってかとても子供っぽく見える。
もっとも、いい加減その表面的な幼さに騙されることもなくなったが。

分かりやすいように見えて、何を考えているのか分からない。
それが、春華の勘太郎に対する印象だった。
パッと見は、コロコロと表情が変わって感情のままに笑ったり怒ったりしているように見える。
しかし、目に見えている感情は勘太郎がわざと見せている正に表面的なものに過ぎないのだと、そう気付いたのはいつだっただろうか。
むしろ、勘太郎が見た目通りの無害な人間であったならば、こんなに興味は抱かなかったのかもしれない。

隠されているものほど知りたくなるというのは、誰にも逃れられない欲求だろう。
勘太郎の隠された内面に春華が興味を持ったのも、あるいは勘太郎の思惑通りなのかもしれないとも思う。
敢えて完璧に隠さずに気付かせる事で、春華の興味を煽る。
そこまでコントロールされているとは思いたくないが、勘太郎ならそれくらいの計算くらい出来るのではないかと考えてしまう。

だからこそ、春華は春華なりの境界線を引いてそれ以上勘太郎には踏み込まないし踏み込ませない。
踏み込めば引き返せなくなりそうな、僅かな恐怖感。
それと、何もかも勘太郎の思い通りにされているような悔しさ。
そういったものが入り混じって、その境界線は形作られている。
その境界線を踏み越えてしまいたい気持ちがないわけじゃない。
けれど、いつでも春華の内で歯止めがかかって足をその場に縫い止めていた。





結局、多少の調査をした程度で後は温泉に入って勘太郎は早々に眠り込んでしまった。
いくつかの手掛かりは掴んだようだが、どうやらさほど重大な問題ではないらしい。
布団の中ですやすやと眠る勘太郎の傍らに座る。

こうして寝顔を見ている限りでは、何の変哲もない人間に見えるのに。
無防備に眠る勘太郎の顔を見て、春華はため息をつく。
この無防備さすら信用できない自分は、相当疑心暗鬼になってしまっているのかもしれない。
無邪気にすら見えるこの寝顔でさえ、計算内なのか。
それとも、本当に何も考えずに安心しきって眠っているのか。
後者だと思いたいが、前者の可能性を捨て切る事が出来ない。

「寝てるくせに人を振り回しやがって……」
半ば八つ当たりじみた事を呟きながら、春華は勘太郎を見つめる。



『こういう旅先の宿にいる時って何となく開放的っていうか、つい気分が浮かれちゃうでしょ?』



それは、本当だろうか?
こんな顔で眠るのも、単に浮かれているだけでそこには計算なんてないのだろうか?
だとしたら、この寝顔は、勘太郎の素の顔なのだろうか……?



春華はそのまましばらく勘太郎の顔を見つめていたが、不意に身体を傾ける。
勘太郎の顔の横に手をつくと、ほんの一瞬、吐息を重ねた。



……自分も、浮かれているだけだ。
知らない土地の知らない宿にいて、いつもと違う気分になっているだけだ。
境界線が少し緩んだのは今日だけで、帰ってしまえばまたピンと強い線が引かれる。

そう言い聞かせるように内心で呟くと、春華は勘太郎から身体を離した。







春華視点での勘太郎観……みたいな感じですか。
勘太郎の頭の良さ、計算高さを知っているだけに、どこまで計算でどこからが素なのかすっかり分からなくなってしまっているんですね。
勘太郎へ向かいそうになる想いを押し留めようとしているのは、春華にとって果たして正解なのか間違いなのか。

2006年4月8日UP

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