012:苺

「……何だ、これは」
目の前にこんもりと盛られた赤い果物の山に、三蔵は眉を寄せた。

「『先日助けて頂いたお礼を三蔵様に』、と、親子が訪れたそうです。
 念のために毒味も致しましたが特に問題はないようなので、お持ちしました」
それを聞いて、三蔵はようやく得心がいった。
確かに先日町に下りた時に、野盗に襲われていた親子を助けた覚えがある。
三蔵本人としては、親子を助けたというよりも野盗が余りにも気に食わなかったので2、3発ずつ蹴り又は肘打ちをくれてやっただけなのだが。

僧が退出した後、この大量の苺をどうしようかと考える。
三蔵1人で食べるには多すぎるが、寺院の僧達に分けろというには少なすぎる。
となると、この苺の行き先はたった1つしかない。

そう三蔵が考えたのを感じ取ったわけではないだろうが、思い浮かべた人物のものらしき軽やかな足音が三蔵の耳に届く。
瞬く間に大きくなっていった足音は、やがて扉を開く音と同時に部屋へと飛び込んできた。

「さーんぞ! 仕事終わった?」
駆け込んできた勢いそのままに、悟空は三蔵の執務机の真正面に走り寄ってくる。
そして、机に乗せられている籠とその中身を見止め、目を輝かせる。
「うっわ〜、美味そう〜!」
そう言いながら三蔵を見る悟空の目は、期待に満ち満ちている。
どう見ても、「食べてもいい」という言葉を待っているのは明白だ。

三蔵としても元々悟空に食べさせるつもりだったので、そのまま許可すれば良い状況ではある。
だが、こうも尻尾をはちきれんばかりに振る子犬のような面持ちで見上げられると、つい意地悪な事を言ってみたくなる。
そんな時、ふと以前食事の時に悟空が数を数えられなかった事を思い出した。
三蔵は意地の悪い笑みを浮かべると、苺を盛った籠を僅かに横にずらす。

「そうだな。食ってもいいが、条件がある」
「え、何、何!?
余程早く食べたいのだろう、悟空は三蔵を急かすように身を乗り出す。
「これから、この苺を使って簡単な計算問題をいくつか出す。それに正解したら食わせてやる」
「分かった!」
即答する悟空に、本当に分かっているのかと三蔵は内心で思ったが、そこは敢えて聞き流す。

早速三蔵は苺を数個取り出し、僧が用意していった皿の上に置く。
三蔵としても、こうして計算をさせるのは何も苛めるためだけではない。
悟空も幼いとはいえそこそこの年齢にはなっているのだから、簡単な計算も出来ないというのでは悟空自身が今後困る事になるだろう。



そうして突発お勉強会が始まったのだが、三蔵はさして時間も経たない内にもう諦めかけていた。
何しろ、どんな風に問題を出しても、最終的に答えが「0個」になってしまうからである。
それも、理由が「全部食べるから」。
食べない前提で計算をさせようしても、行き着くところは同じである。
間違えるたびにハリセンではたいてやっても、結果は変わらない。
さすがに三蔵も、食べ物で勉強させようという事が失敗だったのだと悟ってしまった。
おそらく、頭の回転自体は悪くないはずなのだが……と、三蔵は目の前の能天気な顔を見てため息をつく。

元々辛抱強いわけでは決してない三蔵は、早々に教育放棄を決め込もうとした。
……が、最後の悪あがきとばかりに、苺を全部籠に戻すと悟空の前に差し出した。
「仕方がねえ。もう食ってもいい。ただし、食う時に1つずつ数えながら食え」
「……よく分かんねえ」
首を傾げる悟空に、三蔵は籠の中から1粒の苺を取り出す。
「1個」
言いながら悟空に渡し、続いてもう1つ、「2個」と言いながら渡した。
ここで悟空も三蔵の言っている意味が分かったらしく、次は自分で「3個」と言いながら苺を手に取って食べた。

そうして、1つずつ苺が籠から減っていく。
10を超えた辺りから勢いが止まる事が多くなったが、その都度数を教えてやりながら着実に数える数は増えていった。
三蔵は最後の最後で少しは上手くいったらしいと、密かな満足感を得ながら悟空が嬉しそうに苺を食べる様をジッと見ていた。



しかし、20まで数えた次の苺を手に取った時、悟空は「1個」と最初に戻ってしまった。
三蔵は眉を顰めながら、即座に訂正する。
「バカ猿。1に戻ってどうする。20の次は21だろうが」
「『1個』だって。ほら、三蔵」
差し出された手とその中の苺を前に、三蔵は一瞬反応に迷ってしまった。
「三蔵が食べる『1個』め。間違ってないだろ?」
苺を差し出す悟空の満面の笑顔で、ようやく思考が動き出す。
「……全部食っていいと言ったはずだが」
まさか悟空が食べ物を分けるという行動に出ると思わなかっただけに、三蔵の声には戸惑いが多分に含まれている。
「え、だって、三蔵と一緒に食べたらもっと美味いじゃん!」
悟空はまるで当然の事のようにそう言いながら、三蔵の執務机の上によじ登る。

「机に乗るな、と前にも言ったな?」
執務机の上に膝立ちになっている悟空を見て、三蔵はハリセンを構える。
「いいじゃん、今日だけ! それよりさ、ほら!」
三蔵の説教を遮ると、悟空は指で摘んだ苺を三蔵の口元に突き出す。
口を開けろ、と言わんばかりの悟空の行動に、三蔵は珍しく対応を決めかねて視線をさまよわせた。
目の前では、悟空が瞳を輝かせながら三蔵を見ている。
しばらくの間を置いた後、扉の外に他の僧の気配がない事を確認して、三蔵は小さくため息をつく。
今日だけだ、と誰にともない言い訳を内心でしながら、僅かに口を開く。

そんな三蔵の様子を見て嬉しそうに笑った悟空が、苺を三蔵に食べさせた。
苺の甘酸っぱさが、口中に広がる。
「なあなあ、三蔵、美味いだろ?」
「……悪くはない」
その答えに気を良くしたらしい悟空は、再び籠から苺を手に取る。
「はい、三蔵! 『2個』!」
もう一度突き出された苺に、三蔵は諦めたように口を開く。
まるで親鳥からエサを貰っている雛鳥のようだと考えて少々憮然とするが、たまには良いだろうとも思う。

そんな風に数個食べたところで、三蔵は苺を手に取って悟空の前に差し出す。
「お前は『何個目』だ?」
突然の問いに、悟空は一瞬キョトンとした顔を見せたが、すぐに首を捻って考え出す。
「えっと……確かさっきは……」
自分が食べていた時の事を一生懸命思い出しているらしい悟空を、三蔵は黙って待った。
「………………ん〜……21……?」
自信なさげに三蔵を窺う悟空の様子に、三蔵は微かに表情を緩める。
「……よし、いいだろう。口開けろ」
三蔵がそう言うと、悟空の表情がパッと明るくなる。
大きく開いた口に、三蔵は苺を放り込んだ。





互いに苺を食べさせながら、途中で数を間違えつつも全ての苺を食べ終わる。
「あ〜美味かった〜」
すっかりご満悦らしい悟空が、ようやく執務机から飛び降りる。
その事に、僅かに落胆ともしれない感情が生まれた気がしたが、軽く首を振ってそれを追い払う。



「なあ、三蔵!」
「何だ」
「また、一緒に苺食おうな!」
執務机に身を乗り出しながら、悟空が嬉しそうに笑う。



空になった苺の籠を見ながら、人助けというのも案外やっておくものかもしれないなどと考える。
差し当たり、長安の街の果物屋をチェックさせておこうと決めて、三蔵は小さく「そうだな」とだけ言葉を返した。







埋葬編での八戒の家庭教師のシーンで三蔵が言ったセリフから、密かに妄想しました。
ああ言い切るからには、三蔵もやったんだなと思わずにはいられないじゃないですか。
いえまあ、要するに苺の食べさせ合いっこする三蔵と悟空が書きたかっただけじゃ、と言われれば全くもってその通りなのですが(笑)

2007年9月18日UP

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