015:振り子

「ひょっとして、今日も帰ってこねーのかよ……」
リビングのソファの背に凭れて、はじめは壁にかけられた時計を見る。
時計の針は、あと数十分で日付が変わるところだ。
はじめはゲームの電源を落としてテレビを消すと、ゴロリとソファに寝転がった。
「ゲームもいい加減飽きちまったっつーの」
寝転がったまま大きく伸びをして、はじめは見慣れ始めた天井をぼんやりと見つめた。

夏休みを利用し、名目上は宿題の手伝いということにして、明智の家に遊びに来ていた。
さすがに休み中というわけにはいかないので、2週間という約束で。
正直、自分でも信じられないくらい楽しみで楽しみで仕方がなかった。
だからこそ、明智と約束した宿題のノルマだって毎日こなしているし、予定が重なってしまった悪友達との旅行の話も断った。
なのに、夜だけでも一緒にいられたのは最初の2日だけで、昨日も一昨日も明智は帰ってこなかった。
事件が起こったのだという事は分かっている。
電話で明智が申し訳なさそうに謝っていた言葉が、本心だという事も。
それでも、感情がそれで割り切れるというものでもなかった。

明智と付き合い始めて、数ヶ月。
最初の頃は気恥ずかしさと戸惑いとで、余り考える余裕がなかった。
けれど、今こうしていると、明智とはじめの生活サイクルがいかに違うかが痛いくらい良く分かる。
明智の忙しさは理解しているつもりだったけれど、付き合い始めてからその理解が甘かった事を知った。
約束が何度ドタキャンされたかももう分からないし、今日のように明智の家でひたすら待ちぼうけを食らわされた事も何度もある。
その度に笑って「気にすんなって」と言い続けて、けれど表情とは裏腹にもやもやとしたものが胸に溜まっていく。

明智は忙しいのだから。
理解しなければならないし、理解できるはずだ。
自分もまだ高校生とはいえ男なのだから、仕事の大切さはちゃんと分かっている。

分かっているはずなのに、胸の奥の澱みは消えない。
せめて誰かに相談できれば少しは軽くなるのかもしれないが、それも出来ない。
自分達の関係は決して誰にも知られてはならない秘密なのだから。
男子高校生と付き合っているなどと世間に知れたら、まず間違いなく明智は破滅だろう。

『破滅』という単語が頭に浮かんだ瞬間、はじめの心拍数が跳ね上がった。
自分のせいで、明智が破滅する。
エリートキャリアとしての道を閉ざされ、余りにも多くのものを一遍に失う。
その想像は、はじめの身体を震えさせるのに充分すぎるものだった。
明智ならきっと、それでも後悔しないと言ってくれるだろう。
だけど、自分がその言葉に甘えていても本当にいいのだろうか。

誰にも言えないこの関係は、一体いつまで続けられるだろう。
はじめは、いつ帰るともしれない、もしかしたら帰ってこないかもしれない明智をただ待ち続け。
明智は、そんなはじめに申し訳なさと悲しさを混ぜた顔で謝る事を繰り返し。
どちらかが疲れ切ってしまう日が、きっと訪れる。

それくらいなら……互いの今の想いが変質して壊れてしまうくらいなら、いっそ好きな気持ちを抱いたまま別れた方が良いのかもしれない。
僅かな間の思い出を宝物のようにしまい込んで、互いに別の誰かを探した方が、本当は幸せになれるのかもしれない。
明智だって、誰に紹介しても祝福を受けられる女性を選べば、輝かしい未来を真っ直ぐに歩んでいけるだろう。

そこまで分かっているはずなのに、告げられない別れ。
伸ばされるはずなどないと思っていた手がはじめに向かって伸ばされ、その手を取ってしまった。
そして、触れたその手は、泣きたいくらいに暖かかった。
その暖かさが、はじめにはどうしても離せなかった。



離れた方がいい。

離れたくない。



相反する感情の間で、ゆらゆらと揺れる心。
行ったり来たりを繰り返して、揺れ続ける。

明智が好きで、誰よりもずっと傍にいたいと思う。
けれど、好きだからこそ、明智を不幸にしたくない。
どちらも、はじめの素直な感情だ。

明智のためを思うなら、今すぐにでも別れた方がいいのだろう。
はじめと付き合っている今の状況は、明智にとって余りにもリスクが大きすぎる。
しかし、はじめにはまだ、明智の手を振り払える勇気はなかった。

今だけでいい。
明智の傍にいる事は許されないだろうか。
どんなに待たされても、どんなに苦しくても、我慢するから。
いつか別れる時が来るとしても、『その時』をあと少しだけ延ばしてほしいと願うのは我侭なのだろうか。





早く、帰ってきてほしい。
そうして、はじめを見て、笑って「ただいま」と言ってほしい。
そしたらきっと、こんな後ろ向きな事を考えずに済むから。



少しでも早く、鍵を回す音が聞こえてくるように願いながら、はじめはゆっくりと眼を閉じた。







はじめちゃんがぐるぐる悩んでおります。
それもこれも、明智さんがいっつも1人ではじめちゃんを待たすからです。
人間、1人ぼっちで寂しいと思考が後ろ向きになるもんですよね。
早いとこ帰って、ギュッと抱きしめてあげてほしいもんです。

2007年10月3日UP

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