016:ピアス

「お茶持ってくるから、座って待ってて」

そう言って部屋から出ていった一歩を見送り、宮田は畳の上に座って息をつく。
一歩の部屋に来るのも多少数を重ねたせいか、最初の頃のような緊張はなくなってきた。
おそらく鷹村辺りなら初めてやってきた部屋でも我が物顔でくつろぐのだろうが、宮田はそうはいかない。
まして、憎からず想っている相手の部屋なら尚更だ。
初めてこの部屋に来た時などは、柄にもなく落ち着かない気分になったものだった。
もちろん、顔や態度に出すような真似はしていないが。

相変わらず殺風景な部屋だな……などと、自分の事は棚に上げて部屋を見回してみる。
本棚の大半はボクシング雑誌やビデオで占められている。
それが余りにも一歩らしくて、宮田の顔に知らず微かな笑みが浮かぶ。

視線をずらした時、何かが蛍光灯の光を反射して宮田の視界の隅に引っ掛かった。
改めてそちらに目を向けても、特に何も見えなかった。
後から思えば、この時に気にしなければ良かったのかもしれない。
しかし、引っ掛かったものの正体が分からないままというのも気持ちが悪く、宮田は腰を上げてそちらに近付く。
近くでよく見てみると、押入れの襖のすぐ傍に小さな物体が転がっているのを見つけた。

そっと、その物体を手に取る。
それは、ピアスだった。
ピアスの片割れが転がっていたのだ。

無意識に宮田の眉根が寄せられる。
ピアスなどという、一歩の部屋には似つかわしくないものが何故ここにあるのか。
明らかに女物であるピアスを見つめる視線が恐ろしく不穏なものになっている事に、宮田自身は気付いていない。

その時、近付いてくる足音が聞こえ、宮田は咄嗟に手に持っていたピアスをジーンズのポケットにしまい込んでしまった。
それとほぼ同時に、お茶を乗せた盆を片手に抱えた一歩が部屋へと入ってきた。
「お待たせ、宮田くん。……どうかしたの?」
押入れの襖の前という妙な位置にいる宮田に、一歩が首を傾げる。
「……いや、何でもない」
そう言うと、宮田は平静なフリをして元の場所へと座り直した。





どうして、『何でもない』などと言ってしまったのか。
さっさと訊いてしまえばいい。
このピアスは誰のものか、と。
付き合っているのだから、自分には訊く権利があるはずだ。

そう思うのに、宮田はそのピアスをポケットから出す事が出来なかった。
ピアスを見せてその持ち主を尋ねるくらい、簡単な事だ。
簡単な事なのに、何故それが出来ないのか。

布団をしまってある押入れの襖の傍に落ちていたピアス。
一体、いつ、どんな状況でこれは落ちたのだろうか。
普通に部屋に遊びに来ていただけで、あんな場所に果たして落ちるものだろうか。
あんなところに落ちるとしたら、それは布団を押入れにしまった時に布団から転がり落ちるくらいしか────





「宮田くん!」
届いた一歩の声に我に返ると、一歩が身を乗り出すようにして宮田の顔を覗き込んでいた。
一歩が何やら話していたらしいが、自分の思考に嵌り込んでいて聞こえていなかったようだ。
「どうしたの? なんか、物凄く怖い顔してたけど……ボク、何か変な事言ったかな」
「いや……」
困ったように眉を寄せて宮田を見る一歩の視線から逃れるように、宮田は顔を逸らした。
「……宮田くん、さっきから変だよ。妙に上の空だし。やっぱりボク、何かしたんじゃ……」
「何でもねえよ」
「でも……」
「何でもねえって言ってんだろ!」
ビクリと身体を震わせた一歩に、宮田は一瞬言葉に詰まる。
「……悪い」
しばらくの間を置いて、宮田は小さく呟いた。





気まずい空気のまま、沈黙だけが場を支配する。
互いに視線を合わせず、どちらの口からも言葉は出てこない。
何か言わなければ、と宮田は思うが、そう思えば思うほどどんな言葉を口にするべきか分からなくなる。
いや、本当は分かっている。
ピアスの真相を訊いて答えを得ればいい。
きっと一歩の事だから、大した理由ではないに違いない。
そう思うのに、心のどこかで訊く事を恐れてしまうのは、自分が男同士の恋愛にある種罪悪感のようなものを感じているせいなのだろうか。
一歩にはやはり女性の方が似合うのではないか、いつか熱が冷めて一歩は普通の男女の恋愛に戻っていってしまうのではないか。
このピアスは、その前触れなのではないか…………。
そんな思いが、どうしても宮田の中から消えてはくれなかった。

それでも、いつまでもこうして黙って向かい合っているわけにもいかない。
先程の宮田の怒鳴り声で、一歩はすっかり萎縮してしまっている。
自分から切り出さなければいけない。
会話ではいつも一歩に助けられている自覚がある分、余計にそう思う。
宮田は1つ大きく呼吸をすると、ポケットの中からピアスを取り出した。

目の前の畳に置かれたピアスを見ても、一歩の反応はあまりなかった。
それが何なのか分からない、といった風だ。
その反応に、宮田は少し安堵した。
宮田が危惧していたような事があったなら、こんなに落ち着いてはいられないはずだからだ。

一歩が反応を見せなかった事で宮田も気持ちが多少落ち着いたのか、先程までより幾分余裕のある調子で一歩に尋ねる。
「このピアスが、そこの襖の傍に落ちてたぜ。……誰のだ?」
その宮田の言葉を聞いて、一歩が目を丸くする。
「え? これが? …………誰のだろ?」
本当に分からないらしく、一歩はそのピアスを手にとってまじまじと見つめる。
「う〜ん…………どっかで見た事あるような……ないような……」
穴が開きそうなほどジッとピアスを見つめて、一歩はひたすら考え込んでいる。

「……あんなとこに落ちてたって事は、元々布団の上にでも落ちてたって事じゃねえのか」
自分で言いながらムカムカしてきて、知らず声に険が混じる。
「布団…………ああ!」
何かを思い出したかのように、一歩が突然叫んだ。
「思い出したのかよ」
「うん! そうだ、これ、どっかで見たと思ったら……山口先生のピアスだ!」
「山口先生?」
「そう、前にちょっと話した事なかったかな。ボクの拳とか色々診てもらってる先生」
そういえば、確かに以前一歩から聞いた事のある名前だった。
全日本新人王の時に骨折した拳を診てもらい、それ以降も何かと世話になっている、と。

「で? その先生とやらのピアスが、何で布団の上に落ちるんだ」
「たまにウチに来てマッサージで筋肉ほぐしてくれたりするんだよ。その時に何かの拍子で落ちちゃったんじゃないかな」
言いながら、一歩は手の平の上でピアスをコロコロと転がす。
「山口先生ってね、凄いんだよ、触っただけでトレーニングの事とか色々分かっちゃって!」
「ふうん……」
少し興奮気味で話す一歩に、宮田は無意識に眉を寄せる。
医者とはいえ、自分以外の事をこんなに嬉しそうに話す一歩というのは正直面白くない。
しかし、とりあえずピアスの謎は解けたのだから、と自分を納得させる。

「……ねえ、宮田くん」
不意に呼ばれた名前に宮田が一歩の方を見遣ると、一歩は何やら嬉しそうな顔のまま宮田を見ている。
「何だよ」
「さっきから宮田くんの様子がおかしかったのって、このピアスのせいなんだよね?」
図星なのだがそれを言うのも癪で、宮田は黙り込む。
「それってさ…………ヤキモチ妬いてくれたって事なのかな」
おずおずとした様子で告げられた言葉に、宮田の頬に僅かに朱がさした。

認めるのは悔しい。
悔しいのだが。

「………………悪いかよ」
視線を逸らしたまま小さく呟いた言葉に、即座に一歩から反応が返ってくる。
「悪くないよ! 嬉しいよ!」
「喜んでんじゃねえよ」
言うんじゃなかったかと後悔したが、もう遅い。

一歩はニコニコといつになくご機嫌な笑顔だ。
「……いつまで笑ってんだよ」
「だって、嬉しいんだもん」
宮田が睨みつけても嬉しそうに笑っている一歩に、宮田は毒気を抜かれてしまう。
一歩がこれだけ喜んでいるならもういいかと、宮田は小さくため息をついた。




ただ、このピアスだけは自分が預かって返しに行っておこう、と思う。
察しのいい相手であれば、それだけできっと意図を理解してくれるだろうから。







宮田くん、ヤキモチを妬くの巻…………みたいな。
その気のなさそうな山口先生相手でこれなら、久美ちゃんや菜々子ちゃん、真理さんを相手にしたらどうなるんでしょう。
宮田くんがヤキモチ妬いたのを認めるくだりが、書いてて1番楽しかったです。
たまには素直に。貴公子もちょっと成長中?

2007年1月10日UP

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