021:ペットフード

そろそろか……と、腕時計を見て確認した後、宮田は幕之内家の方へと歩を進める。
一歩との約束の時間までもうすぐだ。
本当は随分と早く一歩の自宅近くまで着いてしまったのだが、早すぎても準備が出来ていないかと近辺をブラブラと歩いて時間を潰していたのだ。
決して、こんなに早く来すぎたら張り切っているようでみっともないからという理由ではない。

少し歩くと、幕之内家が見えてくる。
家の前の白い塊がぴょこんと起き上がり嬉しそうに鳴き声を上げるのと、玄関の引き戸が開かれるのはほぼ同時だった。
「どうしたの、ワンポ」
手にエサ皿を持った一歩がワンポにつられて、視線を走らせる。
「あ! 宮田くん!」
「よう」
返事をしながら、宮田は一歩のすぐ傍まで歩み寄る。

「ごめん、宮田くん、ちょっとだけ待っててくれるかな」
そう言うと、一歩は持っていたエサ皿をワンポの前に置く。
「準備はもう出来てるんだけど、ワンポがご飯食べる間だけ。いいかな?」
「別にいいぜ、それくらい」
「ありがとう、宮田くん」
礼を言って笑う一歩に、宮田は目を細める。
この顔が見られるなら、少々の時間待つことくらい何でもない。

一歩が「食べていい」というまではジッと座って待っているワンポに、宮田は少し感心する。
「随分きっちり躾けられてんだな」
「そうかな、そう見えてるんなら嬉しいな」
食事の許可が出されると、ワンポは勢い良く食べ始める。
「ほら、ワンポって身体も大きいでしょ? ちゃんと躾しとかないと、大変だから」
元々大人しい子だけどね、と付け加えながらワンポを見る一歩の目は限りなく優しい。
大きな尻尾をはちきれんばかりに振っているその様は確かに愛らしいと言えるものなのだが、一歩の視線の柔らかさが何となく面白くない。
そんなことを思い、宮田は我に返ってブンブンを大きく首を振る。
いくら何でも、犬に嫉妬というのは不毛極まりない。
「どうしたの、宮田くん」
「な、何でもねえ!」
宮田の様子に首を傾げる一歩だったが、そんなことを答えられるはずがない。

ワンポの食事が済んで、ようやく宮田と一歩も自分達の食事のために出かけることが出来た。
黙々と歩くのに飽きて不意に隣を見ると、一歩が鼻歌でも聞こえてきそうなくらいご機嫌な様子で歩いている。
宮田の視線に気付いたのか、一歩は途端に恥ずかしそうに俯く。
「あ、ごめんね、浮かれちゃって。宮田くんが誘ってくれるなんて嬉しくて」
照れながら言う一歩に、つい宮田までつられて赤くなりかける。

そういえば、確かに一緒に出かけるにしても誘うのは大抵一歩からで、宮田から誘ったことなど殆どなかったかもしれない。
それは決して出かけるのが億劫だとかそういったことではなく、誘ったとして一歩を楽しませる自信がなかったからだ。
自分は他愛のない会話も苦手だし、気の利いたプランも立てられない。
そんな自分と出かけても、一歩が気を遣うばかりなのではないかと思えて仕方がなかった。
だから、今回一歩を誘うのも、電話をするまで随分と悩んだのだ。
しかし、これからはもう少し誘う回数を増やしてみようか。
こんなに一歩が喜んでくれるなら。





食事の後、すっかり日が落ちて暗くなった道を2人はゆっくりと歩いていた。
「送ってくれなくても大丈夫なのに」
女の子じゃないんだから、と一歩が笑う。
「まあ、一応……な」
そう答えはするものの、正直な心情としては単に送る道行きの分、より長く一緒にいられるからだ。
おそらく一歩の方もそうだから、送るという宮田の言葉を固辞はしなかったのだろう。
楽しそうに両手に持った袋を揺らして歩いている。

「……結構、量が要るんだな」
言いながら、宮田はその袋に視線を遣る。
最初は片方持ってやろうかと思ったのだが、それこそ女の子扱いになると思い直して止めてしまった。
悔しい話だが、腕の筋力は確実に一歩の方が上なのだから意味がない。

「ああ、これ? ワンポはよく食べるから。買い溜めしとこうと思うとこんなになっちゃうんだ」
両手にぶら下げたドッグフードの入った袋を、一歩が宮田に見せるように持ち上げる。
その中から、宮田は何となしにドッグフードの1つを取り上げた。

手に持ったドッグフードのパッケージに描かれている犬のイラストが誰かに見えて、宮田は小さく笑いを漏らす。
「え、どうしたの、宮田くん」
「いや……」
そう返しながらも、覗き込んできた一歩をイラストと見比べるような形になり、思わず吹き出しそうになってしまった。
「え!? 何!? どうしたの、ホントに!?
当の一歩は、何が何だか分からないという風にオロオロしている。

何とか笑いを堪えて、宮田は「何でもねえ」とだけ答える。
だが、そこで一歩が納得するはずがない。
「……宮田くん、さっきボクの顔見て笑いそうになってなかった?」
眉を寄せてジトッと見つめてくる一歩に、宮田はどうしたものかと考える。
正直に言ったら、ほぼ確実に怒られそうだ。
しかし、一歩に対して嘘を吐いて適当にあしらうのも気が引ける。

少し迷ったが、宮田は観念したようにため息をついた。
そして手に持っていたドッグフードのイラストをトン、と指で叩く。
「……そっくりだろ」
一瞬、一歩は何を言われたのか分からないというように呆けていたが、宮田の言葉の意味に気付くと勢い良く抗議しだした。
「ひどいよ、宮田くん! 似てないよ!」
「いや、似てる。大体お前、動物で例えるならどう見ても犬だろ」
「何で!?
何故かと言われても、一歩が犬系なのはおそらく誰が見ても明らかだろう。
「じゃあ訊くが、お前は自分が動物で言うなら何だと思うんだよ」
そう訊き返すと、一歩は考える素振りを見せた後に黙ってしまい、悔しそうに宮田を睨んでいる。
きっと自分でも犬以外に思いつかなかったのだろうが、そんな上目遣いで睨む姿こそが威嚇してくる子犬のようだ。

「……もういいよ!」
しばらく宮田をジッと睨んでいた一歩だったが、言い返す言葉が見つからなかったのか、プイと顔を背けてしまった。
少し苛めすぎたか、と宮田は僅かに反省する。
一歩の家まで、もうそんなに距離がない。
機嫌を損ねたまま別れるのは、宮田としても望むところではない。
どうするかと考えるより先に、身体が動いた。

「み、宮田くん!?
抱き寄せた腕の中で、一歩が慌てたように名前を呼ぶ。
その場に立ち止まったままさりげなく視線を巡らすが、幸い周りに人影はない。
大人しく腕の中に収まっていた一歩が、ポツリと呟く。
「……宮田くんは、さ」
その声に、宮田は少し腕を緩めて一歩の顔を窺おうとするが、一歩は宮田の胸に顔を埋めたままでその表情は見えない。
「宮田くんは……豹、だよね」
「豹?」
「うん、豹。凄く速くて格好よくて気高くて……」
宮田からは見えないが、きっと今の一歩は嬉しそうな顔をしているだろう。
「……そんなイイもんじゃないぜ、オレは」
「ううん、ボクにとっての宮田くんはそうなんだよ」
いつの間にか背中に回された一歩の手が、ギュッとしがみついてくる。
その手が触れている部分が、熱く感じる。

「……オレが豹なら、エサは何だろうな」
「エサ?」
「ああ。……豹は肉食だからな、そんなペットフードじゃ満足できねえだろうな」
最初は何のことか分からなかったようだが、耳にかかる吐息の熱さで一気に理解したらしい。
バッと勢い良く宮田から離れたその顔は、案の定真っ赤に染まっている。
「な、な、な、何、何言ってるの、宮田くん!?
面白いくらいに動揺している一歩だが、実は宮田自身、自分が何故こんなことを口走ったのかと負けず劣らず動揺していた。
その動揺を顔と態度に出さないよう必死に取り繕いつつ、宮田は一歩から手を離す。
「……冗談だ。ここからは1人で大丈夫だろ」
じゃあな、とだけ言って、さっと踵を返す。



歩き出した後も一歩がその場でこちらを見ていることは分かっていたが、振り向くことは出来なかった。
一歩の手が触れていた背中が、まだ熱い。
「……何考えてんだ、オレは」
小さく独りごちた声は、誰の耳にも届くことなく夜の空気の中に消えていった。







甘いのか何なのかよく分からない代物になりました。
でも、自分の萌えどころは盛り込んだので満足です(笑)
私の書く宮田くんはどうにもこうにも一歩を好きすぎですが、そんな宮田くんが好きなのでいいんです。(開き直った)

2008年3月22日UP

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