025:恋歌

幸せな恋の歌。
哀しい恋の歌。
苦しい恋の歌。
優しい恋の歌。

溢れ返る数多の恋歌の中で、自分達はどの歌を歌えるだろう。





街を歩けば、あちこちからたくさんの歌が聞こえてくる。
圧倒的にラブソングが多いのは、きっと恋愛に幸せを求める人々が多いせいだろう。
白い息を吐き出しながら、ヴォルグは見慣れてきた街並みを歩く。
試合が終わって、得た休養日。
こんな風にのんびりと目的もなく歩くのは久しぶりだった。

彼は今頃何をしているだろう。
本当は電話をして声を聞きたいのだが、まだ向こうは未明だろう。
少なくとも、夕刻までは待たなくてはいけない。
その時間が待ち遠しくてたまらない。
早く、声が聞きたい。
我ながら重症だと思うが、止められないのだから仕方がない。

ヴォルグは小さく首を振って、止まりかけていた足を再び進めていく。
しばらく歩いていると、前方にある広場に人だかりが出来ているのが見えた。
何かあったのかと最初は思ったが、特に深刻な雰囲気は感じ取れなかった。
少し興味を煽られ、足を速めて近付いていく。
距離が近付くにつれて、ギターの音とテノールの歌声が耳に届く。
人込みの間から覗いてみると、そこで1人の男性が弾き語りをしていた。

甘い歌声に、周りにいる女性達はうっとりと聞き入っている。
よく見ると人だかりの大半は女性で、ヴォルグは少々居心地の悪い気はしたが、もう少しこの歌を聴いてみたくて足を止める。

20代半ば頃だろうか、少し長めの金色の髪が緩やかに風に揺られている。
その彼から紡ぎ出されていたのは、穏やかな曲調のラブソング。



遠く離れた恋人。
時間と距離と共に離れていく心。
取り戻したくて、けれどもう戻らない恋人の愛情。
失ってもなお、恋人を愛し続ける哀れな男。



知らず握り締めた両手が、微かに震えていた。
あくまで優しい曲調で歌い上げられるラブソングが、ヴォルグの心に鋭い針を突き刺す。
声の甘さが余計にこの歌の残酷さを増していく。
無意識に、ヴォルグは1歩、2歩と後ずさる。

何故、自分はここに来てしまったのだろう。
人だかりなど無視して、通り過ぎてしまえば良かったのに。
耳を塞いで逃げ出したい衝動に駆られて、けれどこの場から動けない。
これは、ただの歌だ。
創作された、空想上の物語。
なのに、どうしてこんなにも胸が痛むのだろう。

誰よりも愛しい恋人の笑顔が、脳裏に浮かぶ。
今すぐに会いたい。抱きしめたい。
しかし、決して叶わない距離が2人の間には横たわっている。
愛しいと思う心は、隔てる距離に勝てないのだろうか。
いつか、彼の笑顔がこの腕の中から零れ落ちる日がやってくるのだろうか。

国籍、性別、距離、立場。
余りにも障害が多すぎて、想いを伝えるのを躊躇ったこともある。
受け入れてもらえるはずなどないと、諦めようと何度もした。
それでも、彼は受け入れてくれた。
だから、この距離も大丈夫だとあの時は思えた。

けれど、それは錯覚だったのだろうか。
もし一歩がいつも傍にいてくれる誰かに心変わりをしたとしても、ヴォルグはそれを責められない。
責めることも諦めることも忘れることも出来ずに、ただ一歩への恋情を抱え続けるだろう。
この歌の哀れな主人公のように。
それは、一体どれほどの苦しみなのだろうと思う。
いつか来るかもしれないその苦しみに、自分は果たして耐えられるのか。



そんな日は来ないと信じていたい。
ヴォルグの一歩への想いが褪せることがないように、一歩のヴォルグへの想いもまた変わらないと信じたい。
いや、信じていなければいけない。
信じられなくなったら、その時こそがきっと崩壊の前兆となる。

ヴォルグを好きだと言ってくれた、彼の言葉を信じよう。
距離が生む不安を、自分の中で増大させてはならない。
自分達は、決してこの歌の恋人達ではない。
不安よりも、信頼を。
それを育てていくことが、一歩を失わないために必要なことなのだから。

そう決意した時、その場に縫い止められていた足が軽くなった気がした。
小さく息をつき、人だかりから抜け出して踵を返す。

帰りにどこかCDショップにでも寄って、何か買っていこうか。
ヴォルグと一歩にふさわしい恋の歌を。
離れた距離に負けない、強い恋の歌を探してみよう。

そして出来るなら、一歩がヴォルグを思い出してくれる時に聴いているのが、優しい恋の歌であってくれればいいと思う。



遠く離れた恋しい人を思い浮かべながら、ヴォルグは穏やかなテノールを背にして歩き出した。







遠く離れている以上、ヴォルグだって内心は不安でいっぱいだよね……と思って書いたSSです。
でも、ヴォルグはきっとそれに負けないと思います。
負けそうになる時はあっても、最後は踏みとどまれるのがヴォルグの強さですよね!
……ヴォル一なのに、一歩出なくてすみません。

2008年1月7日UP

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