033:日めくりカレンダー

1枚。
次の日にはまた1枚。
1日ごとにその枚数が減っていく事が、こんなに楽しいと感じる日が来るとは思わなかった。





昨年の年末に常連客から貰った、日めくりカレンダー。
今まで一歩の自宅にあったのは普通のカレンダーばかりだったので、年が明けて最初の頃は珍しかった事もあって毎日欠かさずに千切っていた。
しかし、ただでさえ母も一歩も忙しい毎日だ。
廊下にかけられたそのカレンダーは、数ヶ月も経つと何枚かまとめて千切るようになっていった。
近頃では1週間以上前の日付のまま止まっている事もザラだった。
最早何のための日めくりだか分からなくなっていたのだが、その状況が2週間ほど前から一変した。

窓の外からは未だ光が入ってこない未明、キシリと廊下の床が音を立てる。
ロードワークに出るべく玄関に向かう途中、一歩はカレンダーの前で立ち止まった。
そっと手を伸ばし、出来るだけ音を立てないようにゆっくりと昨日の日付のカレンダーを千切る。
1日進んだ日付を見て、一歩の顔が嬉しそうに綻ぶ。
少しの間カレンダーをじっと見つめた後、一歩は軽い足取りで家を出た。





きっかけは、1本の電話だった。

「え!? 本当ですか!?
そう尋ねる一歩の声には、驚きの中に隠しようのない喜びの色が混じっている。
『ハイ。少しだけですケド、休み取れましタ。日本に行けまス』
そのヴォルグの言葉に、一歩の表情が見る見る内に輝いていく。
しかし、1つの事に思い至り、ほんの少し影が差す。
「でも、試合の後でしょう? 疲れてるだろうし、長旅は大変なんじゃ……」
『ダイジョウブ。試合の直後じゃナイし、飛行機も少しは慣れましタ。それに……』
「それに?」
一歩が問い返すと、数瞬の間の後、殊更甘いテノールで囁かれる。
『それに、幕之内に会えるノニ、大変なんて思うコトないデス』
一瞬キョトンとした後、言われた事を理解した途端に一歩の顔が真っ赤に染まった。
電話越しのヴォルグにはそんな事など分かるはずもなく、一歩が反応を返さないのに少し不安げに問い掛けてきた。
『幕之内? ボク、何か変なコト言いましたカ?』
「え? あ、いえ、そんな事ないです!」
慌てて否定した後、一歩は1つ深呼吸して気分を落ち着かせる。
「ボクも、ヴォルグさんに会えるのが嬉しいです。楽しみにしてますね」
そうして、詳しい日時や空港内での待ち合わせ場所などを決めて、その日の電話は終わった。

電話を切った後、すぐにカレンダーのその日の日付に大きく赤い印を付けた。
そしてその日から、毎日欠かす事なくカレンダーをめくる日が続いている。
カレンダーに付いた印を思うだけで、つい顔がにやけてきてしまう。
ヴォルグが来たら彼の観光も兼ねてどこか一緒に出掛けようかとか、以前滞在していた時にヴォルグが気に入っていた魚を用意しなければとか、彼が来てからの事を考えるとほんのりと胸が温かくなる。
1日の最初にカレンダーを千切っていくのが、楽しくて仕方がなかった。
それだけで、その日1日がとても満たされていくような気がした。



あと少し。
あと、ほんの数枚めくれば、ヴォルグに会える。
早く会いたいという気持ちがどんどん膨らんで、一歩の中を占領していく。

ヴォルグに会えたら、このカレンダーの事を話してみようか。
毎日毎日どんな気持ちでカレンダーをめくっていたかを話したら、ヴォルグは一体どんな顔をするだろう。
今、一歩がヴォルグに会いたくて会いたくてたまらないように、ヴォルグもまた同じ気持ちでいてくれているだろうか。

早く、会えなかった間の自分の事をヴォルグに話したい。
そして、会えなかった間のヴォルグの事を話して欲しい。

何よりも、ヴォルグと触れ合い、その温もりを感じたい。





あと3枚。
あと2枚。
あと…………1枚。

1枚めくるごとに、一歩の心の中がヴォルグで占められていく。
意味もなく部屋をウロウロ歩き回ってみたり、じっとしていられずにシャドーを始めてみたり。
かと思えば、大して散らかってもいない部屋を片付けてみたり。
その様子を見た母や板垣に笑われてしまうほどだ。

どうしてこんなにもヴォルグを好きなのか、一歩にも分からない。
けれど、今の自分はとても幸せな人間なのだと思う。
例え滅多に会えなくても、これほど大好きだと思える人がいる事それ自体が、きっと奇跡のようなものなのだろうから。





まだ薄暗い廊下で、一歩はカレンダーに手を伸ばす。
この1枚を千切れば、その下には赤い印。
逸る気持ちを抑えて、殊更ゆっくりと千切っていく。
目の前に現れた赤い丸印に、一歩は僅かに頬を染めて幸せそうに笑った。





ロードワークが終わったら、空港に迎えに行こう。
そして、ヴォルグに会えたら、1番最初に言おう。



「おかえりなさい」……と。







ヴォルグの誕生日という事で、ほんのり甘め(?)なヴォル一を。
誕生日関係ないネタな上に、ヴォルグの出番が回想だけという、お祝いと言うには微妙な代物ですが……。
この2人は相変わらずラブ甘カップルです。
きっと、会ってからの方が凄まじく激甘モードになるんでしょうけれども(笑)

2006年10月30日UP

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