035:毛糸球

とあるデパートのとある一角。

麻衣は、ひたすら目の前の棚を見つめていた。
いや、おそらく周りの客からすれば、それは『見つめている』のではなく『睨んでいる』ようにしか見えなかっただろう。
それだけ眼差しが真剣であるという事なのだが、オーラすら漂って見えそうなその様子は傍から見れば不審人物である。

しかし、当の本人はそんな事を気にしている余裕はなかった。
何しろ、今、麻衣の頭の中を占めているのは目の前に並んでいる毛糸球の数々のみだ。



きっかけは、クラスメイトの会話だった。
昼休みのお喋りの最中、友人の1人が口にしたのだ。
今度のクリスマスには彼に手編みのセーターをプレゼントするのだ、と。
途端に冷やかし始める周りの友人達に加わりながら、麻衣の頭に浮かんだのはナルの顔だった。
当然だが、ナルは麻衣の彼氏というわけではない。
はっきり言って、完全なる片想いだ。
手編みのセーターなど渡したところで、受け取ってもらえるかどうかすら怪しい。
そもそも、ナルが手編みのセーターを着たりする姿すら想像がつかない。
せいぜい、既製品の黒のタートルネックがいいところだろう。
あの鉄面皮で「必要ない」などと切り捨てられようものなら、軽く落ち込めそうだ。

それでもこうしてデパートの毛糸売り場に来ているのは、嬉しそうに編物の本を読む友人が羨ましかったからだ。
麻衣だって女の子だ。
やはり、好きな人に自分で編んだものをプレゼントしたいと思ったりもするのである。
セーターは無理でも、マフラーくらいなら受け取ってはもらえないだろうか。
いくらナルでも寒さは感じるはずだし、マフラーくらいは身につけるだろう。

「よし、決めた!」
マフラーを編もう。
そう決めて、麻衣は改めて目の前の棚を眺める。
何色の毛糸を買っていこうかと、考えを巡らす。
ナルのイメージカラーは間違いなく黒だが、さすがに黒いマフラーというのも寒々しい。
というか、ナルが実際に巻いている姿を想像すると怖い。
冬でも全身黒ずくめの服を着ている以上、原色やパステルカラーも駄目だろう。
「……やっぱり、この辺が無難かなぁ……」
少し濃い目のグレーの毛糸を手に取り、麻衣は呟く。
受け取ってもらえなければ意味がない。
だとするなら、出来るだけ地味なものの方がいい。

麻衣はグレーの毛糸球をいくつかカゴの中に入れる。
失敗した時の事を考えて、少し多めに買い込む事にする。
時間と毛糸が余れば、ぼーさんやジョンに何か編んであげればいい。
そのままレジに行こうと踵を返そうとして、麻衣は動きを止める。
ふと目に入った違う色の毛糸球を、立ち止まったまましばらく見つめる。
何度か視線を泳がせた後、麻衣はその毛糸球を1つだけ手に取り、カゴにそっと追加した。





毛糸球と編棒と編物の本を前に、麻衣は握り拳を作って気合いを入れる。
絶対に途中で挫けたりせずに、最後まで編み切ってみせる。
そして、綺麗にラッピングして、クリスマスにナルに手渡すのだ。
喜んで欲しいなんて贅沢は言わない。
ただ、拒否さえされなければいい。
我ながらささやかな願いだと思うが、ナルの場合はそのささやかな願いすら難しいのだ。
「……夢の中のナルなら、きっと『ありがとう、嬉しいよ』なんて笑顔で受け取ってくれるんだろうけどなぁ」
その様子を想像して、麻衣の頬がふにゃりと緩む。

そうしてしばらく想像の世界で幸せに浸っていた麻衣だが、我に返ると急に恥ずかしくなり、熱くなった頬を冷ますようにブンブンと大きく首を振った。
「こ、こんな事考えてる場合じゃなくて! さっさと編まなきゃ!」
麻衣は編物の本を開いた状態で固定すると、編棒と毛糸を手に取った。

「これを……こうして…………え? どうなってんの?」
本を穴が開くほど見つめながら編み始めたものの、1番最初の編目の作るところからいきなり躓いてしまった。
それでも何回かやり直して、何とか1段目を作る事に成功する。
この調子で最後まで編めるのか少し不安になったが、やると決めたのだからと、麻衣は1つ息をつくと続きに取りかかった。

そんな風にして、どれくらい経っただろう。
少しずつだが着実に増えていく編目に、麻衣もだんだん調子に乗ってくる。
「何だ、あたし、イケるじゃん」
その余裕がいけなかったのだろうか。
ふと気付いて、麻衣は首を傾げる。
何か、おかしい。
嫌な予感を覚えながら、麻衣は今現在編んでいる辺りの編目を数えてみる。

「…………え?」
もう1度、数え直してみた。
「………………ええ!? 何で!? 何で足りないの!?
最初に作った編目と、今編んでいるところの編目の数が合わないのだ。
おそらく、どこかで編み間違えてしまったのだろう。
「……そんなあ……」
それでも、間違えた箇所が現在から近ければちょっとほどけば済むかもしれないと調べてみる。
……が、その麻衣の願いを打ち砕くように、間違い箇所はかなり手前の方だった。
はっきりいって、全部ほどいてやり直した方が早そうだ。

麻衣は、泣きそうになりながら編んだ毛糸をほどいていく。
折角編んだのに……と、毛糸を引っ張りながらため息をつく。
頑張って編むと決めたものの、いきなり気持ちが挫けてしまいそうだ。

全部ほどき終わり、しばらくしょんぼりと毛糸を編棒を見つめていた麻衣だが、ちらりと視線を動かしてその先にある毛糸球を手に取った。
グレーの毛糸球を買う時に、目に付いて衝動的に買ったもう1つの毛糸球。
その真っ赤な毛糸を、適当な長さに切る。
そうして、麻衣は机の方へと歩いていく。

机の上にあるのは、両手の掌に乗るくらいの手製の2体のぬいぐるみ。
1つは麻衣自身。そして、もう1つは……ナル。
これを実際に机に並べた時は我ながら少女趣味だと思ったが、それでもぬいぐるみだけでも隣に並んで座っていられるのが嬉しかった。

麻衣は赤い毛糸の端をナルの手に、もう片方の端を麻衣の手に結び付けた。
さすがに指までは再現していないので、手全体に結び付ける格好になるのは仕方がない。
赤い毛糸で繋がれたぬいぐるみを見て、麻衣は幸せそうに顔を綻ばせた。

「よおっし! 絶対編むぞ!」
麻衣は再び元の場所で床に座り込み、編棒と毛糸を手に取った。







お久しぶりのゴーストハントです。アニメ化記念。
ナルのためにマフラーを編む麻衣。いじらしい。
麻衣は色々心配していますが、ナルも麻衣が一生懸命編んだものを突っ返すような真似はしないと思います。
何だかんだ冷たい事言ってても、近頃は結構ナルも麻衣に甘いから(笑)
ちなみに、ナルと麻衣以外のお手製ぬいぐるみは事務所に飾ってあります。(「082:ぬいぐるみ」参照)

2006年10月18日UP

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