要注意!
このSSは、原作よりもかなり未来、勘太郎亡き後という設定で書いています。
そういったネタがお嫌いな方はお戻りになった方がよろしいかと思います……。

039:幻聴

漆黒の翼を羽ばたかせ、春華は山の中腹ほどにある大木の枝に舞い降りた。
秋の涼やかな風が、翼を揺らす。
赤や黄に染まった葉が舞い散る様を、春華はただじっと眺めていた。



──ねえ、見てみなよ、春華。凄く綺麗だよ。



そう言って、はしゃいだ様子で春華の服の袖を引っ張っていたのを思い出す。
おざなりな返事しかしない春華に文句を言いつつも、視線は色の変わり始めた木々の葉だけに注がれていた。
葉が色とりどりに染まっていくのが好きだと言っていた。
どこか物悲しくて、とても綺麗で泣きたくなるから、と。
それがよく理解できず怪訝な顔をした春華に、勘太郎は少し寂しそうに笑っていた。

今なら、あの時の勘太郎の思いがほんの少しだけ分かるような気がする。
目の前の変わりゆく風景は美しく、それは見る者の胸に突き刺さる。
泣きたくなる、と言ったその言葉が、実感として春華に響く。
それでも、この風景が嫌いかと問われれば、春華は好きだと答えるだろう。
こんなにも痛みをもたらすものを、何故好きだと思うのかは分からない。
けれど、勘太郎と共に見たこの景色が、とても大切なものに思えて仕方がなかった。



──春華、また一緒に見に来ようね。
──オレの背中に乗ってくると、お前は楽だろうからな。
──意地悪だなぁ。ボクは春華とだから一緒に来たいのに。



目を閉じると、そんな他愛もない会話が勘太郎の笑顔と共に鮮明に春華の脳裏に蘇る。
もう、あれからどれだけの時間が経ったかもはっきりとはしないのに、あの頃の記憶だけが今なお強く残っている。
忘れてしまいたくても、忘れられない記憶。



──……春華……



響いた声に、春華はハッと目を開いて振り返る。

しかし、春華の目に映るのは山々の景色と数羽の鳥達だけだ。
幹に凭れかかり、春華は軽く首を振る。

聞こえるはずなどない。
もう、あの声が春華の名を呼ぶ事は二度とない。

分かっている。
何度も思い知らされてきた。
だから、分かっているはずなのに。



──好きだよ、春華。



柔らかい声が、春華の耳の奥で囁く。
聞こえないはずなのに、聞こえる声。
見えるはずなどないのに、瞼の裏に焼き付いて離れない笑顔。

気が狂いそうだ、と、春華は木の枝に座り込む。
もう『春華』という名前は解除されたはずなのに、勘太郎は春華を支配し続ける。
いっそ、解除などされなければ、この支配は名前のせいだと思えたのに。



春華の内で、柔らかくその名を呼ぶ声。
いつか、この声が聞こえなくなる時が来るのだろうか。
その日が早く来て欲しいと望むと同時に、永遠に来て欲しくないとも願う。



──また、一緒に来ようね、春華……──


立ち上がると同時に、再び響く暖かい声。



「ああ……そうだな……」
微かに呟いて、春華は黒翼を大きく広げて空へと舞い上がった。







春華にとっては非常に辛いお話を書いてしまいました。
勘太郎は人間で、どうやっても春華よりも先に死んでしまうんですよね。
じゃあ、残された春華は勘太郎を忘れられるのかと言ったら…………忘れられないでしょう。
「春華」という名が解除されても、春華にとっては自分は「春華」なのだと思っていてほしいなと思ったり。

2007年3月3日UP

100のお題TOP SILENT EDEN TOP