050:ダンデライアン

駅を出ていつものように目的地へと向かう道すがら、ふと目に付いた花。
普段なら素通りする道をほんの少し立ち止まり、傍らにしゃがみ込む。
小さく揺れる花を見て、今から会いに行く人を思う。
バカみたいに毎日忙しく働いているあの人は、こんな小さな花なんてきっと目に留める事はないだろう。
何だか、それがとてももったいない気がして、はじめはごめんな、と呟いてからその花を摘んだ。

一輪だけの花を手に持って、はじめは心持ち急ぎ足で歩く。
あの人は、この花を見て何と言うだろうか。
花と言えば、何だかよく分からない小難しそうなカタカナ名前の高価な花しか買わなさそうなイメージの人だから、余計にこの小さな花を手にした時の不釣合いさを想像して頬が緩む。
呆れるだろうか。それとも、微笑んでくれるだろうか。
多分、その両方な気がする。
そう考えると何だか楽しくなって、自然と足が速くなっていった。




すっかり見慣れてしまった高級マンションの豪華なロビーを通り抜け、最上階へと向かう。
インターホンを鳴らすと、すぐに明智が出迎えてくれた。
「いらっしゃい、金田一君……何です、それは」
はじめが手に持っている花に目を留めた明智が、不思議そうに尋ねる。
「タンポポ」
「それは見れば分かります。どうして君がタンポポを手にしているのか、と訊いてるんです」
予想通りの反応に、はじめはへへ、と笑う。
「来る途中で咲いてたんだ。結構綺麗だろ? ほら、やるよ」
しかし、次の明智の反応ははじめの予想を大きく外れていた。
呆れ顔でイヤミを言うか、ありがとうと微笑むか、どちらかだと踏んでいたのだが、明智は表情を強張らせたまま動かない。
「明智さん?」
ひょっとして、何かタンポポに思い出したくもないような嫌な思い出でもあるのだろうか。
だとしたら、謝った方がいいのだろうか……とはじめは先程までのテンションはどこへやら、見る見るうちに元気を失くす。

とにかく、明智に嫌な思いをさせたのなら謝ろうとはじめは口を開く。
「あの、明智さん、ごめん……」
これで事態が好転してくれる事を願ったはじめだが、明智の表情はむしろ険しくなってしまった。
「……どうして、謝るんですか?」
「え、どうしてって……」
言いかけたはじめの腕を強引に掴み、明智ははじめを引っ張りながら廊下を進む。
はじめは何が何やら分からないまま、半ばパニックに陥った状態でリビングのソファに座らされた。
そして、その前に立った明智は少し身を屈めるとはじめを挟むようにソファの背凭れに両手をついた。
表情を厳しくした明智の顔が、至近距離にある。
いつになく怒りと痛みを滲ませた明智に、はじめは胸が痛くなる。
どうして、こんな事になっているのだろう。
自分はただ、明智に喜んで欲しくてこの花を摘んできただけなのに。

明智はその体勢のまま、ただ無言ではじめを見つめている。
沈黙に耐え切れなくなったはじめは、眉を寄せて俯く。
「何だよ……何でいきなり怒ってんだよ……。何かしたんなら謝るから、何で怒ってんのか、言ってくれよ」
「……さっきは、どうして謝ったんですか? 私から離れていく事を謝ったんですか?」
思わぬ明智の言葉に、はじめはパッと顔を上げた。
「は!? 何言ってんだよ、明智さん!?
「そうでなければ、謝る理由などないでしょう!? こんな花を突き付けて……!」
「こんな花って何だよ! あんたが何言ってんのか、全然分かんねえよ! 俺はただ……!」
言いながら、はじめはジーンズの上に置いてあった手をギュッと握りしめる。
「俺はただ、普段はあんたは忙しすぎてタンポポなんて見る事ないと思ったから……。
 でも、綺麗だったから、たまにはこういうのもあんたに見せてやりたくて……だから……」
そこから先は言葉にならず、はじめは唇を噛みしめた。
伝わらない事が悔しくて、伝えられない自分が腹立たしかった。

「金田一君……」
小さく呟いたその声から険が消えている事に、余裕のないはじめはまだ気付く事が出来ない。
「……念のために訊きますが、金田一君、タンポポの花言葉を知っていますか?」
「え? 知るわけないじゃん、そんなの」
はじめがそう答えると、明智は疲れたように大きくため息をついた。
「な、何だよ、花言葉が何なんだよ!」
噛み付くようなはじめの言葉に明智は微かに苦笑すると、ソファについていた両手を離した。
「タンポポの花言葉はね、『別離』なんですよ」
「…………へ?」
ポカンとした顔で、はじめは手の中の小さな黄色い花を見た。
「……『別離』?」
「そう、『別離』」
呆然と花を見つめたまま、はじめはごめん、と小さく呟いた。
「いえ、私こそ確かめもせずにおかしな誤解をしてすみません」
明智はそう謝ると、はじめの隣にそっと腰掛けた。

「明智さん、深読みしすぎだよ。大体、俺が花言葉なんて知ってるわけないだろ?」
「まあ、それはそうなんですけどね。七瀬君から聞いて知っている可能性もありますし、それに……」
「それに?」
首を傾げて訊き返すと、明智は困ったように笑ってはじめを抱き寄せた。
「あ、明智さん?」
「……それに、私は君の事になると、冷静に物事を考える事が出来なくなるんです」
耳元で囁かれ、はじめは耳まで真っ赤になる。

そんなはじめの手から、明智はタンポポを摘み上げる。
「私に持ってきてくれたんですよね。ありがとうございます」
「あ、でも……」
先程の花言葉の事を聞いてしまうと、躊躇してしまう。
はじめの胸中を察したのだろう、明智は柔らかく微笑む。
「君がそういう意味で持ってきたのでないなら、問題はありませんよ」
そう言って笑う明智に、はじめはホッと息をついた。
「そっか。……な、案外可愛いだろ?」
「ええ。道端の花に目をやる余裕など、最近は特になかったですから」
明智は目の前でゆらゆらと花を揺らしている。
「ダンデライアン……ですか。久し振りに見た気がしますね」
「ダンデライアン?」
「タンポポの英名ですよ」
「……花言葉といい、何であんた、そんなの知ってんだよ」
「このくらい、誰でも知っていますよ」
「……イヤミ野郎」
ふてくされて横を向くと、見えないところからクスクスと笑う声が聞こえた。
それに更にへそを曲げて、はじめは明智から身体を離す。

すると、腕を取られて再び引き寄せられ、はじめは明智の胸に抱き込まれる形になる。
「……ありがとう、金田一君」
優しいテノールで囁かれた言葉に、はじめは降参の意を込めて胸の中で目を閉じた。







初書き明金です。ビバ、年の差カップル。
どうですか! この砂を吐かんがばかりの甘々っぷりは!
書いた本人がびっくりですよ!
というか、はじめちゃんが乙女化してしまっている……。
それはともかく、普段はとても大人だけど、はじめちゃんの事となると途端に感情が露わになる明智さんというのが私的ツボです。

2006年2月11日UP

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