051:子供

お湯が沸くのを待ちながら、ユリアンはキッチンの椅子に腰掛けた。
居間の方では、ヤンがいつものように歴史の本に没頭している。
そんなヤンに淹れたての紅茶を持っていくのが、ユリアンの日課となっていた。


以前、ヤンに自分が軍人を志している事を話した時の事を思い出す。
ヤンはユリアンが軍人になろうとしている事を余り良くは思っていないらしい。
それはヤンが本人が軍人であるにも関わらず、軍人嫌いなのだから仕方がない。
しかし、ユリアンは自分の意志を変えるつもりはなかった。

ヤンと話した時は、養育費の返還の事を理由にした。
もちろん、それも理由の一つには違いない。
いくらヤンがいいと言っても、本来独身のヤンに面倒を見てもらっている上に養育費まで負担してもらうなんて出来ない。
しかし、ユリアンにとって最も大きな理由はそれではなかった。
軍人になる事で、少しでもヤンに近い位置で、役に立ちたかった。
望まざる戦いを続けなければならないヤンの力に、ほんの僅かでもなれたなら。
何より、自分の最も尊敬する人の背中を追いかけたかった。
ヤンと同じ道で、いつかその背中に追いつきたかった。

他の誰かに聞かれたなら、身の程知らずだと笑われるかもしれない。
何しろ、ヤンはエル・ファシルの英雄であり、戦術レベルにおいては負けを知らない。
戦略に携われる立場にはないけれど、もしその立場にあったならそれこそ敵などいないに違いないと思う。
例え相手があのラインハルト・フォン・ローエングラムであったとしても。
ヤンに話せば、きっと眉を寄せ、「そんな仮定をしても意味はない」と言われそうだけれど。

例え誰に笑われてもいい。
ヤンを目標とする事、それはユリアン自身が決めた事だから。
軍人として、そして一人の人間として、ユリアンはヤンのようになりたかった。
もっとも、後者に関しては別の意味で笑われるかもしれない。例えばキャゼルヌ辺りに。
「よせよせ、あんな日常生活能力皆無の人間になりたいのか」とでも。
だけどそんな言葉にすら、暖かい響きが篭っている事は疑いようもない。
何だかんだ言って、キャゼルヌもアッテンボローもシェーンコップさえも皆ヤンが好きなのだろう。
彼らがヤンに従っているのは、もちろんヤンの軍人としての能力の高さを認めているからであろうが、決してそれだけではないはずだ。
ヤン・ウェンリーという人間の、その人柄に惹かれ、その下に喜んで就いている。

そんな風に人を惹きつけるのは、ヤンが誰よりも優しく、強い人だからだ。
飄々とした言動の中に見え隠れする、深い思考と心情。
今はまだ、ユリアンにはそれを推し量る事は出来ない。
だけどいつか、理解できる日が来るだろうか。


湯が沸いた音に、ユリアンは立ち上がった。
いつもの手順で丁寧に紅茶を淹れ、ほんの少しブランデーを垂らす。
そしてトレイを持ち、ゆっくりとヤンのいる居間へと向かった。

これもいつもの事だが、ヤンはとても嬉しそうに紅茶を飲んでくれる。
「ああ、やっぱりユリアンの淹れてくれる紅茶が一番美味しいね」
そう言って笑ってくれる事が、とても嬉しい。

今はまだ、こんな事でしか役に立てない。
きっとヤンは、『こんな事』なんかじゃないと言ってくれるだろう。
それでも、ユリアンがまだヤンに庇護される子供である事は変えがたい事実だ。
将来、成長して大人と呼べる年齢になる頃までには、自分はどれくらい変われているだろうか。
ほんの少しは、最も尊敬する背中への距離を縮める事が出来ているだろうか。



いつかきっと、追いついてみせますから。
ヤン提督を助けられるくらいの、一人前の軍人になってみせます。



再び歴史の本に没頭し始めたヤンを見ながら、ユリアンは心の中でそっと決意を告げた。







銀英伝です。我ながら、非常に無謀な事している自覚はあります。
すみません、銀英伝ファンの皆様。暖かい目で見てやってくれると嬉しいです。
ユリアンが頑張ってるのを見ると、とても微笑ましい気分になるんですよ。
……いやまあ、物語後半は微笑ましいなんて言ってられなくなりますけれども……。

2004年9月7日UP

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