055:花束

「ほら、勘ちゃん、もう8時半回ってるのよ! さっさと起きて! 原稿の〆切、明日でしょ!」
言いながら、ヨーコは勘太郎の布団を引っぺがしにかかる。
「ん〜、今日じゃないんだからいいじゃないか……」
今にも剥がされそうな布団をしぶとく掴みつつ、勘太郎は断固として起きない構えだ。
正直、ここまで力を使うなら寝てる意味はないのではと思うが、そういうものではないらしい。

「ダーメ! まだロクに進んでないじゃない!」
「大丈夫だよ、明日までには仕上げるから……」
「いつもいつもそう言って、ギリギリになって慌ててるのは誰!?
傍から見るとお母さんと子供のような会話だが、今のヨーコの心境としてはあながち間違ってはいないだろう。

何とか勘太郎を起こして目を覚まさせると、ヨーコは布団と洗濯物を干しにかかる。
ヨーコと春華は既に朝食を済ませているのだが、勘太郎が食べ終わらないと片付けられない。
後は掃除をして、終わったらすぐにバイトに行かなければならない。
そんな風に忙しく動いている中、縁側にぼんやり座っている春華が目に入る。
何をしているのかと思えば、宝物らしいビー玉を陽射しに透かして眺めていた。

邪魔をするのは悪いと思うが、時間がないのでヨーコは春華に声をかける。
「春華ちゃん、朝ご飯の片付けをお願いしていい?」
しかし、春華は無言でビー玉を見つめ続けている。
「……春華ちゃん!」
「え? ……ああ、ヨーコか」
どうやら本気で気がついていなかったらしい。
半分脱力しながらも、ヨーコは春華に朝食の後片付けを頼んだ。




バイトが終わり、疲れた身体を引きずって家に帰る。
先に布団と洗濯物を取り込んで、夕飯の支度をして……と、考えるだけで更に疲れそうな事を思いながらヨーコは一ノ宮家の門をくぐった。

「ただいまー。…………あれ?」
明かりが落とされ、暗い廊下やその先の部屋には人の気配が感じられない。
「勘ちゃん? 春華ちゃん?」
一応全ての部屋を見て回るが、2人の姿はどこにもない。
ひょっとして、また原稿を放り出して出掛けてしまったのだろうか。
春華にはそんな事にならないように頼んでおいたのだが、勘太郎に舌先三寸で丸め込まれた可能性もある。

「……もう、勘ちゃんったら!」
ヨーコが働いて帰ってきたというのに、遊びに出掛けているのだろう勘太郎や春華を思うとさすがに怒りが湧いてくる。
「もう知らない! 帰ってきてもご飯食べさせてあげないんだから!」
眉間に何本も皺を刻んで、ヨーコは足音も荒く家の中を闊歩する。
とりあえず予定通り布団と洗濯物を取り込み、夕食の支度を始めた。
作り始める前は自分の分だけの食事を作るつもりだったのだが、実際に出来上がってみると何故かそこには3人分の夕食があった。
もう身体が勝手に3人分作ってしまうらしく、ヨーコは目の前に並ぶ料理を見てため息をついた。

それからしばらく待ってみたが、勘太郎と春華は帰ってこない。
ヨーコは夕食が乗ったちゃぶ台の前に座り、縁側の向こうのすっかり日が落ちてしまった外の様子を見る。
ひょっとしたら妖怪退治の依頼でも入ったのかもしれないと思うが、そういう時は勘太郎は必ずヨーコのバイト先に顔を出すか書き置きを残していっていた。
調査が長引いて帰りが遅くなって、ヨーコが心配しないように。
ヨーコに何も告げずに、こんなにも遅くまで出掛けている事など今までなかったのに。

シン、とした空気に、ヨーコの顔が知らず俯く。
何故、こんなに静かなのだろう。
何で、誰の声も聞こえないのだろう。
どうして…………勘太郎も春華も帰ってこないのだろう。

着物の上に乗っていた手が、いつしか着物をギュッと握り締めていた。
もう2人とも帰ってこないんじゃないか。
そんな事は有り得ないと分かっていても、何度もそんな考えが脳裏を掠めては不安を落としていく。
「……勘ちゃん、春華ちゃん……。もう怒らないから帰ってきてよ……」
その声が震えている事にすら、気付く余裕はなかった。

呟いてすぐだっただろうか、通りの方から話し声が聞こえてきた。
ヨーコはハッと顔を上げ立ち上がると、玄関の方へと走った。
ヨーコが玄関へ着くと同時に、引き戸が開かれた。

「ほら春華! 早くしないとヨーコちゃんが心配…………あ、ヨ、ヨーコちゃん」
玄関をくぐってヨーコの姿を見止めた勘太郎の顔がひきつる。
「ご、ごめん、ヨーコちゃん。出掛けた先で妙な事件に巻き込まれちゃって……で、ちょっと連絡のしようがなくて……げ、原稿ならちゃんと明日中に仕上げるから!」
ヨーコが怒っていると思っているらしく、勘太郎は慌てた様子で矢継ぎ早にまくし立てる。
しかし、俯いたヨーコの様子が違う事に気付いたのか、勘太郎は恐る恐るヨーコの顔を覗き込む。
「あの……ヨーコちゃん?」
そうしてヨーコの顔を見た勘太郎の目が、驚きに見開かれる。
「ヨ、ヨーコちゃん!? どうしたの!?
驚いた勘太郎が指でヨーコの頬を拭ったのを見て、ヨーコは自分が泣いている事に気付いた。

泣いている事に気付いてしまったら歯止めが利かなくなってしまったのか、涙が次から次へとボロボロと零れ落ちてきた。
「う……う……う……うわああああん!」
その場にしゃがみ込むと、ヨーコは声を上げて泣き出してしまった。
「ヨ、ヨーコちゃん! ごめん! 本当にごめん。ボク達がなかなか帰ってこないから、何かあったんじゃないかって心配させちゃったんだよね……」
うろたえた様子の勘太郎がヨーコの前に膝をつき、ヨーコの頭をそっと撫でる。
「ごめんね……」
ひたすら謝りながら頭を撫でる勘太郎の手の暖かさに気が緩んだのか、ヨーコはそのまましばらく泣き続けた。



ようやく少し落ち着いて、ヨーコは両目を擦りながら立ち上がる。
同じように立ち上がった勘太郎を、今度は赤くなった目で睨みつけた。
「それで、どうして原稿書いてるはずの勘ちゃんが外で事件に巻き込まれるの?」
暗にサボっていたんだろうという意が含まれている事に気付いた勘太郎が、困ったような顔で視線を泳がせる。
「えー……っと、それは…………春華!」
まだ玄関の外にいた春華を勘太郎が呼ぶ。
その声でようやく家の中に入ってきた春華を見て、ヨーコは目を丸くした。

「……それ、どうしたの?」
姿を見せた春華は、両手にいっぱいの花束を持っていた。
勘太郎が春華から花束を受け取って、それをヨーコへと差し出した。
「はい、ヨーコちゃん」
「私に?」
「うん、そうだよ。ヨーコちゃん、花、好きだよね?」
「好きだけど……でも、どうして……」
目の前に差し出された花束を受け取りつつも、ヨーコは勘太郎達の意図が分からなくて首を傾げる。

「普段、ボクらずっとヨーコちゃんに甘えっぱなしだからさ。たまには贈り物の1つでも……って思って」
そう言いながら、勘太郎が照れたように笑う。
「だけど、余りお金もないから大した物は買えないし、だったらボクと春華で綺麗な花たくさん見つけて花束にして渡そうかって話になったんだよ」
その言葉に、ヨーコは手の中の花束を見つめる。
色とりどりの花。統一性がないのは、勘太郎と春華が自分達であちこちから集めた花だからだろう。

「で、その帰りに事件に巻き込まれちゃったわけなんだけど…………ごめんね、結局ヨーコちゃんに心配かけちゃったね」
申し訳なさそうに告げる勘太郎に、ヨーコはゆるゆると首を横に振った。
「ううん……。ありがとう、勘ちゃん、春華ちゃん。すごく嬉しいよ……」
先程までとは違う涙が溢れてきそうで、ヨーコは目をキツく閉じてそれを我慢する。
今、勘太郎に見せるべきなのは泣き顔じゃない。

大きく息を吸い込むと、ヨーコは俯いていた顔を上げた。
この花束にふさわしいとびきりの笑顔を、大好きな家族に見せるために。







春華に対してはひたすら策士な勘太郎ですが、ヨーコちゃんには弱い……というのが私的ツボです。
大事な大事な家族だから、ヨーコちゃんが怒ったり泣いたりすると本気で焦る。
ヨーコちゃんをメインで書いたのは初めてですが、思いの外楽しかったのでまた書きそうです(笑)

2006年9月16日UP

100のお題TOP SILENT EDEN TOP