061:真実

コツリ、と足音を響かせ、扉の前へと立つ。
軽くノックをすると、中から入室を促す声が聞こえた。
部屋に入り、念のためにと鍵をかける。
王太子の部屋に無造作に入ってくる者など存在しないが、元老側の手の者を警戒するに越したことはない。

「おはようございます、オルセリート様」
温かいお茶をオルセリートに差し出し、一歩下がる。
「……ああ」
そっけなく返された言葉を気にすることなく、キリコは本日の予定を告げていく。
ぼんやりとした様子を見せるオルセリートだが、きちんと理解していることは承知している。
この部屋を一歩出れば、執務室でキリコと2人になるときを除いてずっと演技を続けなければならないのだ。
朝の起き抜けくらい気を緩めていなければ、精神的に負担がかかりすぎるのだろう。

「お疲れのようでしたら、ご予定を多少繰り下げますが」
そう告げると、オルセリートは目を瞬かせた後で小さく笑った。
以前の、無邪気だった頃とは全く違う……どこか昏い笑み。
「随分と気遣ってくれるんだな。心配するな、気付かせはしないよ」
「……その点は心配しておりません」
最初の頃はこの純粋な王子様が本当に周りを騙し通せるのか不安を感じたものだが、オルセリートの『お人形』ぶりはキリコの予想よりも遥かに見事だった。
誰一人、あのバルバレスコでさえも不審を抱く様子が見られなかったほどだ。

何も知らない飾り物の王子。
手を組んだあの夜を経て、その認識を改めるのにそう時間はかからなかった。
キリコが考えるよりもずっと頭も良く、したたかな思考を持っている。
元老に対抗するためにキリコを取り込んだが、元老を排すれば次はおそらくキリコの番だろう。
キリコとてそれは理解しているし、やすやすと切り捨てられるつもりはない。
どちらが先に手を打つか、どちらがより上手く立ち回れるか。
それで、オルセリートとキリコのどちらが生き残るかが決まる。

それは駆け引きであり、そこには感情などといったものは存在しない。
個人の感情を介在させれば、それは即ち敗北を意味する。
そう、考えていたはずだった。

「キリコ、どうした」
頬を撫でた感触に我に返ると、いつの間にか目の前に来ていたオルセリートがその手を伸ばしていた。
「触れられるまで気付かないなんて、おまえらしくないな」
クスクスと楽しそうな笑みを漏らしながら、オルセリートが見上げてくる。
「……失礼しました」
短く答えると、オルセリートの笑みが深くなる。
「おまえの方が疲れているんじゃないのか? 顔色が良くないぞ」
殊更心配そうな声音で、オルセリートが告げる。
演技がかったそれに、キリコは小さくため息をつく。
「ご心配には及びませんので、そろそろ手をお放しください」
「何だ、つれないな。僕たちは伴侶だろう?」
「共犯者、と言った方がより正確だと思いますが」
そもそも、自分たちの関係を『共犯者』だと称したのはオルセリート自身だ。
「そうだな、おまえは僕の大切な共犯者だ。罪を共有してもいいと思うのは、おまえだけだ」
手を離すどころか、両の手でキリコの頬を包みながらオルセリートは笑う。



──ああ、本当に嘘をつくことがお上手になってしまわれたものだ。



キリコを選んだのは、たまたまあの夜に対峙したのがキリコだったからだ。
ある程度の有能さと野心を持つ者であるならば、それは誰でも良かったはずだ。
なのに、まるでキリコだけが特別であるかのようにオルセリートは囁く。
キリコを絡め取り、いつか罠にかけて切り捨てるために。

すべては、嘘だ。
オルセリートだけではない、キリコ自身すらも。
自分たちの間にあるものは、偽りだけで塗り固められている。

それでも、不意に信じてしまいそうになることがある。
嘘で満たされた関係の中に、ほんのひとカケラの真実が眠っているのではないかと。
濁りに遮られて見えないそれは、しかし確かにそこに存在するのではないかと。

そんなものはない、とキリコは光を遮断するかのように目を閉じる。
オルセリートとの間に真実を求めれば、破滅が待っているだけだ。
あるいはそれもいいのかもしれないと、考えそうになる自分を否定する。

余計なことを考えてしまうのは、きっと頬に触れる手が温かいせいなのだろう。
ほんの一時の迷いでしかない。
離れれば、すぐに冷えていく。

それを知っていてもなお、偽りの熱に蝕まれていくのを止めることは出来なかった。







エイプリルフールとお題の「真実」で、『嘘と真実』で書いたキリオル。
今までキリオルはオルセリート視点のお話しか書いたことがなかったので
今回はキリコ視点で書いてみました。
嘘と真実の狭間で揺れているのはどっちも同じで、更にどちらも相手もそうであると気付いていない。
これくらいのバランスのキリオルが好きです。

2012年4月1日UP

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