066:愛は勝つ

「さーて、掃除終わり!」
雑巾を持った手を高く上げ、麻衣は声高に宣言する。
事務所の掃除は、もはや麻衣の日課だ。
このSPRでバイトをしている麻衣だが、あまり大した仕事はしていない。
電話に出る事も手紙をチェックする事も許されていないので、依頼が入らない限りは接客やお茶出しに買出し、掃除といった雑務が殆どだ。
とはいえ、調査となれば厄介なものになると命の危険すらあったりするので、正直なところそれだけでも現在の給料くらいは貰っても罰は当たらないと思う。

もっとも、麻衣にとってはこの仕事の最大の魅力は、給料よりもむしろ「ナルと一緒にいられること」に尽きる。
我ながらどうしてあの無愛想で鉄面皮なナルシストを好きになってしまったのか、不思議に思ったりもする。
夢の中のナルが、あまりにも優しく笑うからいけないのだ。
あくまで夢だと分かっているはずなのに、その笑顔が頭から離れない。
現実でも、極々稀にではあるが夢の中のナルの片鱗を見せてくれたりするので尚更始末が悪い。
望み薄だと分かっていても、好きになるのを止められなくなる。



無意識に所長室に目を向けて、今日はその部屋の主がいない事を思い出す。
一昨日からナルは、どこかに旅行に出かけている。
いつもの事ではあるが、麻衣はその行き先を知らない。
訊いてみた事もあるが、睨まれるだけで教えてはもらえなかった。

いくら麻衣が鈍いといっても、ただの旅行でない事くらいは察しがつく。
行く時も帰ってきた時も、ちっとも楽しそうでもなく難しい顔をしている。
旅行に行ってリフレッシュどころか、むしろ疲れて帰ってくる。
これで、何の疑問も持つなという方が無理な話だ。
けれど、例え麻衣が尋ねてみたところで、教えてくれるはずがない事も十分すぎるほど分かっている。

麻衣は事務所のソファに腰を下ろして、長いため息をついた。
結局、自分はナルの事を何も知らないのだ。
知りたくても、ナルはもちろんリンも麻衣には何も話してはくれない。
可能性があるのはまどかだが、そうそう会える人ではないし、以前訊いた時も肝心なところは笑顔ではぐらかされてしまった。

ナルへの距離が、どうしようもなく遠すぎることに改めて気付かされる。
近付きたくても、近付かせてくれない。
一生懸命追いかけても、それ以上の速さで遠ざかってしまう。
ナルの態度を見ていると、自分よりも真砂子の方がずっと近い位置にいるのではないかと思う。
真砂子は美人で一流の霊媒師だし、ちょっと夢が当たる程度の自分とは容姿も能力も差は歴然だ。
ナルと真砂子なら、きっと街を2人で歩いていても美男美女でお似合いのカップルに見えるだろう。
麻衣がナルの隣を歩いているよりも、ずっと。

ツンと鼻の奥が痛くなって、麻衣は首を大きく振った。
滲みそうになる涙を、目をギュッと閉じて堪える。
こんな事で泣きそうになっている自分が情けなくて仕方がない。
「……あーもう! ナルが全部悪いんだ! ナルのバカ!」
今この場にいない元凶に、八つ当たり気味の怒りをぶつける。

とはいえ、文句を言っているだけでは何も変わらない。
追いかけても追いつけないなら、今以上に頑張って走らなければ。
せめて、真砂子を追い抜けるくらいに。
考えてみれば、今の麻衣はナルに仕事とはいえ毎日会えるという強みもある。
動物だって3日も傍にいれば情が移るものだ。
ナルにそんな情緒があるかは甚だ疑問だが、それでも初めて会った頃よりは少し──本当にほんの少しだが、ナルの麻衣への態度も軟化している…………ような気がする。
それに、危険を共にすると絆が生まれるという話だってある。
この際、ピンチでも常に冷静なナルにこの話が当てはまるかどうかは考えない事にした。

「うん! 可能性だってあるじゃん!」
麻衣は立ち上がり、グッと両手を握る。
絶対に負けないし、諦めない。
いつか、ナルが夢の中のように笑ってくれる日が来るまで、しつこくしつこく頑張ってみよう。
どんなに冷たくされたって構うものか。
恋する女がどれだけ強いものか、ナルもいつか思い知ればいい。





「絶対にあたしが勝つんだから、待ってなさいよ、ナル!」





誰もいない所長室にビシッと指を突きつけると、麻衣は宣戦布告をした。
やれるものならやってみろと言わんばかりの挑発的な笑みが、一瞬だけ、見えた気がした。







お題に則しているようないないような、何だか微妙なライン。
ナル曰く、麻衣は「落ち込む→怒る→前向きになる」そうなので、今回の麻衣にもそれを辿らせてみました(笑)
前向きな麻衣がとても好きなので、後半部分は特に書いてて楽しかったです。
……ひょっとしたら、麻衣の独り言、別の部屋にいたリンさんに聞かれてるかも。

2008年4月15日UP

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