072:瞳に映る空

「さーんぞー! 早く、こっちー!」
はしゃぎながら、悟空が大きく手を振る。
全く元気なヤツだ、とため息をつきつつも、三蔵はその足を速めた。





日頃の三蔵法師としての仕事に加えて三仏神からの命などもあり、三蔵はいつになく忙殺されていた。
人間、余裕がないとちょっとした事で不機嫌になる。
元々気の短い三蔵であれば余計だ。
結果、ここ数日の三蔵は、既に三蔵の人となりに慣れた僧達ですら怯えるほどピリピリとした空気を醸し出していた。

そんな中、1人物怖じしない悟空が「三蔵と遊びに行きたい」と駄々を捏ね出したのだ。
最初はきっぱりと却下していた三蔵だが、今回の悟空は珍しくしつこかった。
普段ならば三蔵がダメだと言えば文句を言いつつも引き下がったものだが、今回に限っては全く引こうとしない。
三蔵がキレて怒鳴っても、それでも悟空は決して諦めなかった。



結局、三蔵が根負けする形で1日だけ休みを取って、こうして出掛ける羽目になってしまった。
この1日の休みを取るのにどれだけ苦労したか、この小猿は分かっているのだろうかと思う。
理解しろとは言わないが、もう少し大人しく出来ないのか。
ただでさえ面倒な仕事を抱えている事もあり、三蔵の機嫌は相変わらず良くなかった。

遊びに、と言っても、やって来たのは寺院の裏手にある小高い丘だ。
特に遊具もなければ、楽しめるような場所もない。
あれだけ我侭を言って来たのがこんなところだというのが、三蔵には理解できない。

ふっと悟空の姿が消えたように見え、三蔵は視線を走らせる。
見ると、悟空は広々とした丘の草の上にゴロンと寝転がっていた。
本当にに小猿だなと思いつつ、三蔵は悟空の傍までゆっくりと歩み寄る。

「人を連れ出しといて昼寝か、バカ猿」
声をかけると、閉じられていた瞳が開かれる。
「三蔵も一緒に寝よーぜっ、気持ちいいからさ」
「俺は野生動物じゃねえんだよ」
そう返事をしながらも、諦めたように三蔵は悟空の隣に腰を下ろす。



さわさわと緩やかな風が、三蔵の髪を撫でていく。
陽射しは暖かく、静かな空気が辺りを包み込む。

そういえば、こんな風にのんびりとした時間を過ごすのは何週間ぶりだろうか。
ここひと月以上はずっと慌しかった。
いや、今も慌しい事に変わりはない。
こんな事でもなければ、この先しばらくはずっと同じ状態だっただろう。

そこまで考えて、ふと隣で寝転んでいる小猿を見やる。
まさか、とは思う。
しかし、もしあんなに強硬に三蔵と出かける事を主張したのが、あまりにも余裕のない三蔵を見かねての事だったとしたら。
ほんの数日前、悟空が珍しく眉を寄せて三蔵の顔を覗き込んだ事があった。
『三蔵、最近ずっとここんとこに皺寄ってる』
自分の眉間を指差しながら、そう言っていたのを思い出す。
その時は特に気にせずに流してしまったが、考えてみれば悟空が今回の我侭を言い出したのはその日の夜からだったような気がする。

「三蔵? どうしたんだ?」
不思議そうに見上げる悟空の声に、三蔵は我に返る。
「いや……」
「それよりもさ、三蔵も上見ろよ! すっげー良い天気!」
真っ直ぐに上を指した悟空の指につられて、三蔵は空を見上げる。
雲ひとつない真っ青な空が、頭上に広がっている。

柔らかな光に満たされた、美しい空。
この空は、本当に今までもずっとこの世界に存在していたのだろうか。
今までに見た事もないような空に、三蔵は言葉を失くした。



「……三蔵?」
黙り込んだ三蔵に、悟空が心配げに声をかける。
三蔵はそれには答えず、トサ、と草の上に背中を落とす。
「……少し疲れたな。しばらく寝てから帰るか」
空を見上げたままそう呟くと、隣から「おう!」と元気な声が返ってきた。



その声の心地良さに僅かに目を細め、三蔵はゆっくりと目を閉じた。







悟空に癒される三蔵、というシチュエーションが大好物です。
さりげなく自然に三蔵を気遣っちゃう悟空も大好きです。
そんな私の趣味全開で書かせて頂きました。ビバ三空。

2007年12月10日UP

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