083:歓喜

年に一度しかない、自分の生まれてきた日。
大好きな人にそれを祝ってもらいたいという望みは、きっと誰しも同じだろうと思う。





「センパイ! お誕生日おめでとうございます!」
「一歩さーん、おめでとうございますぅ〜!」
朝一番、釣り船幕之内にバイトでやってきた板垣と、一緒にくっついてきた菜々子からお祝いを言われ、一歩は少々面食らう。
「あ……そっか、今日ってボクの誕生日だったっけ。ありがとう、学くん、菜々子ちゃん」
自分の誕生日を覚えていてくれた事が何となくくすぐったくて、一歩は照れたように笑う。
板垣と菜々子から貰ったプレゼントに礼を言い、一歩は仕事に戻った。

今日が誕生日だった事を思い出して、真っ先に考えたのは宮田の事だった。
宮田からお祝いなんて言って貰えたら最高に嬉しいだろうななどと考え、すぐにそんな事は有り得ないだろうとため息をつく。
そもそも、宮田が一歩の誕生日を知っているかどうかすら怪しいところだ。
一歩は宮田を大好きだしもちろん誕生日もチェックしているから、今年の宮田の誕生日には勇気を出して自宅までプレゼントを届けに行ったりした。
しかし、宮田はそうじゃない。
宮田が一歩の誕生日を知ろうとする理由などない。
ましてや、祝ってくれるなんて事があるわけもない。
そこまで考えて、一歩の肩が無意識に落ちる。

「センパイ、どうしたんですか?」
朝釣りから戻ってきた板垣が、心配そうな声音で尋ねる。
「さっきから、ため息ばっかりですよ」
「そ……そうかな」
「そうですよ。…………もしかして」
板垣の眉が寄せられるのを見て、一歩はギクリとする。
「……もしかして、さっきのプレゼント、気に入りませんでした?」
「え?」
予想外の言葉に少々間抜けな声を返すと、板垣はしょんぼりとした風に続ける。
「あんまりお金がないから、大した物用意できなくて……」
申し訳なさそうに話す板垣に、一歩は慌てて首を振る。
「ち、違うよ! そんな事ない! すっごく嬉しかったよ!」
それは紛れもない本心だ。板垣と菜々子の気持ちも、そのプレゼントも、とても嬉しかった。

それを聞いてホッとしたらしい板垣は、首を傾げる。
「それじゃあ、何で元気ないんですか? ボクで良かったら何でも聞きますよ」
笑顔でそう言われ、一歩は少し困ったように笑う。
「うん……。大した事じゃないから」
「…………ひょっとして、宮田さんの事ですか?」
唐突に図星を突かれ、一歩は力いっぱいうろたえてしまった。
「やっぱり……」
小さくため息をつく板垣に、一歩は気まずそうに俯く。
そんな一歩を見て、板垣は前に出る。
「良かったら話して下さい。どんな事でも、センパイの力になりたいんです。ボクに出来る事なら何でもしますから!」
ズズイっと迫られ、一歩はその迫力に押されて少し驚く。

そして、一歩をじっと見つめる板垣の視線に負けて、ポツリポツリと先程まで考えていた事を話した。



「……要するに、センパイは宮田さんに『誕生日おめでとう』って言ってもらいたいんですね?」
「うん、まあ……そうなんだけど。どう考えても無理だし……」
「そんな事ありません! 諦めちゃダメです! ボクに任せて下さい!」
板垣はそう言うと、右手で自分の胸をドンと叩く。
「え? ま、学くん?」
「あ、もう仕事上がりの時間ですね。それじゃあボクは上がりますね」
「あ、うん」
言うやいなや、板垣はダッシュで走り去ってしまった。
「センパイ、待ってて下さいねー!」という叫びを残しながら。





夕刻、釣り船用の荷物を運び終わり、一歩は息をつく。
着替えてジムに行こうと部屋へ向かおうとした時、戸を叩く音が聞こえた。
誰だろうと玄関に向かうと、そこに立っていた人物に一歩は目を瞠った。

「み、宮田くん!?
憮然とした顔で立っている宮田を見て、一歩は思わず声を上げてしまった。
「どうしたの!? あ、どうぞ上がって!」
大袈裟な身振りで家の中に招くが、宮田はその場から動かない。
「宮田くん?」
黙ったまま立っている宮田に、一歩は困惑してしまう。
用もないのに来るようなタイプではないので、一歩に何か用事があって来たのは確実なのだと思うのだが、当の宮田が何も言わないので一歩としても反応の返しようがない。

どうしたものかと一歩が迷っていると、宮田は何度か視線を動かした後、ズイッと手に持っていた紙袋を一歩の方に差し出した。
「え?」
宮田と紙袋を交互に見て戸惑っている一歩に、ようやく宮田の口が開かれる。
「……早く取れよ」
「え、あ、うん!」
不機嫌そうな宮田の声音に、一歩は慌ててその紙袋を受け取った。

受け取ったのはいいが、一歩には宮田の真意が分からない。
「あの、宮田くん、これって……」
尋ねようとした一歩を遮るように、宮田が踵を返す。
「用はそれだけだ。……じゃあな」
「え!? ちょ、ちょっと待って……!」
一歩が引き止める間もなく、宮田はさっさと帰ってしまった。

首を傾げながらも、一歩はその紙袋を持ったまま自室へと戻った。
中を見てみると、包装紙に包まれた少し大きめの箱が入っていた。
ゆっくりとその箱を取り出すと同時に、何か紙切れのようなものがヒラリと舞い落ちた。

2つ折りにされたその紙を拾い上げ、開いたところで一歩はその場で固まってしまった。





『誕生日おめでとう』





誰宛とか誰からとか、そういった装飾はまるでなく、たった8文字のみのシンプルな文章。
しかし、その流れるような筆跡は、間違いなく宮田の筆跡だ。

一歩は10秒ほどその場で硬直した後、目をゴシゴシと擦ってもう一度見てみる。
けれど、その文字は幻などではなく確かにそこに書かれている。
その動作を何度か繰り返した後、文字を見つめる一歩の頬が急激に熱くなる。



信じられない。
まず思ったのは、それだった。
何しろ、『あの』宮田である。
あの宮田が、一歩の誕生日を祝ってくれるなんてにわかには信じられなくても仕方がないだろう。
だが、手に持ったその紙の感触が、夢などではない事を教えてくれる。
しかも、この状況から考えると、目の前の箱は宮田からの誕生日プレゼントなのだろう。
震える手で箱を開けると、中には濃いブラウンのジャケットが入っていた。

「うわ……うわあ……うわあああああ…………!」
一歩は真っ赤な顔でオロオロと『誕生日おめでとう』の文字とプレゼントを交互に何度も見つめる。

嬉しくて嬉しくて、どうにかなってしまいそうだった。
宮田がこんな言葉を贈ってくれた事が、信じられないくらい嬉しかった。
心臓の鼓動がどんどんと速くなって、壊れてしまいそうだ。
もしここが完璧に防音された場所なら、叫び出してしまったかもしれない。

ありがとうと、伝えなければ。
この例えようもないくらいの喜びを、宮田に伝えたい。
そっけなくあしらわれるかもしれないし、不機嫌そうに冷たく対応されるかもしれない。
でも、それでもいいと思う。
今、一歩がどれだけ嬉しいのかを伝えられればいい。



一歩は勢い良く立ち上がると、電話をかけるべく部屋を飛び出した。







一歩の誕生日前にパソコンがクラッシュしてしまったので、思い切り時期を外してしまいましたが気にしないで下さい……。
今年も宮田くんの誕生日SSとセットにしようと、同じテーマ『誕生日おめでとうと言われたい』で書いてみました。
…………宮田くんの方の「009: 迷走」は果てしなくギャグ風味だったんで、毛色は大分違いますが。
宮田がやたらそっけないですが、どう見てもあからさまに照れ隠しです。
ちなみに、板垣くんが宮田に何を吹き込んだのかは謎……。

2006年12月11日UP

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