090:封筒

帰宅すると同時に郵便受けを開け、中の郵便物を確かめてため息をつく。
そんな事を、もう何日繰り返しているだろう。
ずっと待ち望んでいるのは、1枚の封筒。
遠い海の向こうから届くはずの、たった1通のエア・メール。


一歩がヴォルグに手紙を出したのは、3週間ほど前。
アメリカと日本。
意志のやり取りをするには、電話か手紙くらいしかない。
だが、ただでさえ高くつく国際電話をそうそう頻繁に、それも長くかけられるほど、一歩もヴォルグも経済的に裕福ではない。
時間を気にして、焦れば焦るほど大した話も出来ずに終わる事もあった。
一歩としては声を聞けるだけでも嬉しいので、それでも十分ではあったのだけれど。

だけど、ヴォルグに話したい事がたくさんある事も事実だ。
だからそれを伝える手段として、手紙を書こうと思った。
本当はもっと早くから手紙のやり取りもしたかったのだが、1つ問題があって踏み切れなかった。

その問題とは…………言葉。
ヴォルグは日本語を話す事は出来るが、読み書きは苦手らしかった。
かといって、一歩はロシア語がまるで分からない。
手紙で意志の疎通をするには、余りに言葉の壁が高かった。
それでも、いつまでもそうは言っていられない。
そう考えて、一歩は思い切って英語で手紙を書いてみたのだ。
ヴォルグは英語の方は読み書きも出来ると、以前に聞いた事があったからだ。
一方、一歩の方は英語など高校の授業でやった程度だが、それでもロシア語よりは理解できる。
何より、これくらいは自分の力で何とかしたかった。
きっとヴォルグなら、日本語の読み書きも出来るように勉強しようとするだろうから。
それに甘え切ってしまうのは嫌だった。

そう思って、和英辞書と格闘しつつ何とか書き上げた手紙を投函してから3週間。
今更ながらに、一歩の内にどんどんと不安が膨らんできた。
自分の拙い英語で書かれた手紙は、ちゃんとヴォルグに一歩の意志を伝えてくれただろうか。
自分ではまともな文章を書いているつもりで、実はとんでもない文章を書いてはいないだろうか。
もしそれでヴォルグに変な誤解を与えてしまっていたら、と思うと怖くなる。
そうして、毎晩のように手紙のコピーを見返しては読み直す……といった事が続いていた。




そんな日々の中、いつものように郵便受けを開けたその手がピタリと止まった。
いくつかの郵便物の1番上に見えるのは、赤と青のラインの入った封筒。
それを見つけた瞬間、一歩はすぐさま手に取り、他の郵便物はそのままに家の中に駆け込んだ。
自分の部屋に走り込むと、ドアを閉めてその場に座り込む。
改めて宛名と差出人を確認する。
間違いない。ヴォルグからの手紙だ。
そう思った途端、一歩は自分の心音がどんどん早くなっていくのが分かった。
一歩は何とか自分を落ち着かせ、ハサミで丁寧に封を切る。
殊更ゆっくりと中の便箋を取り出し、そっと広げた。


そこには英語が綺麗な筆記体で綴られていた。
一歩が読みやすいようにと丁寧に書かれたその文字は、そのままヴォルグの人柄を表しているかのようだった。
その文字を見つめているだけで、何か例えようもない感情が湧き上がってくる。
高揚する気持ちのまま、一歩は英和辞書を何度もめくりながらヴォルグの手紙を訳していく。
時々悩みながらも、ヴォルグが平易な文章で書いてくれているおかげでそれなりに順調に和訳は進む。

その手紙には、一歩からの手紙が嬉しかった事や、一歩を気遣う言葉、ヴォルグの近況などが綴られていた。
和訳が進むにつれて、一歩の表情が一層優しく穏やかになっていく。
英語を訳すのがこんなに楽しいと思ったのは、初めてだった。

そして、最後の1行に一歩の手が止まる。
そこだけが英語ではなく、たどたどしい日本語で書かれてあった。


『きみが だいすきです。』


それを見た瞬間、一歩の顔が真っ赤に染まった。
ひらがなだけの、少しいびつな文字。
それが、どんな飾った言葉よりも嬉しかった。

また手紙を書こう、と思った。
そして、今度は自分がほんの一言だけでもロシア語で気持ちを伝えよう。
そう決意をすると、一歩は手紙をそっと鍵付きの引き出しの中にしまった。







なんか、いつの間にかテーマが「封筒」から「手紙」にすり替わってる……。
それはともかく、ヴォル一です。
遠距離恋愛カップルらしく、手紙でのやり取りなどを書いてみました。
というか、ヴォルグさんのために頑張る一歩を書きたかった、というだけです(笑)

2004年10月23日UP

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