092:欠片

三蔵と出会って、この寺院へやってきて数ヶ月が過ぎようとしていた。
今までずっと岩牢の冷たい地面の上や寺院の蔵の床に寝ていたので、最初は柔らかい布団の感触になかなか慣れなかった。
もちろん、だからと言って眠れないという事は全くなく、毎夜毎夜ぐっすりと眠ってはいたが。
それもきっと、すぐ傍に三蔵がいるという安心感からだと思う。
近頃はこの柔らかさにも慣れてきて、その心地良さに寝坊する事も多々ある。

そう、とても──心地良い。
食べ物は美味しいし、布団は暖かい。
妖怪を神聖な寺院に入れるなんて、と白い目で悟空を見て悪態を吐く僧も多かったが、中には優しく笑顔で接してくれる僧もいた。
そして何より、ここには三蔵がいる。
叱られたり怒鳴られたりする事も多いが、時々頭をクシャリと撫でてくれる。
その暖かい手が、とても好きだった。



ある日、珍しく三蔵が庭の木に凭れかかってうたた寝をしているのを見つけた。
三蔵の寝顔など初めてで、悟空は嬉しくなって起こさないようにそっと三蔵の隣に腰を下ろした。
すぐ傍で眠る三蔵を、窺ってみる。
疲れているのか、悟空がじっと寝顔を見つめていても起きる気配はない。

張り出した木の枝の間から漏れる陽光が、三蔵の金糸の髪にきらめいている。
その様子はとても美しく、悟空は無意識に三蔵の髪に手を伸ばした。
さらりとした感触が、悟空の指を撫でる。
木漏れ日を反射して輝く金の髪がとても綺麗で、それはまるで────





────太陽みたいだ────





そう考えたその一言に、違う声が重なった気がした。
いや、違う声じゃない。
その声は悟空と同じ────

小さく身体が震え出す。
三蔵以外の人間に対してそんな風に思った事などないはずだ。
そもそも、金髪なんて三蔵以外に見た事がない。
なのに、何故、懐かしいような……そして、泣きたいような気持ちになるのだろう。

キラキラと眩しく輝く金糸の髪に、酷く胸が痛くなる。
太陽のように綺麗な髪。
大好きな、大好きな金色。

僅かに口を開いて、衝動的に『誰か』の名を呼ぼうとした。
けれど、それは声にはならず、喉が締め付けられるように苦しい。
たった今呼ぼうとしたのが三蔵の名ではない事を、悟空はどこかで理解していた。
だけど、誰の名を呼ぼうとしたのかが分からない。

心のあちこちに欠け落ちた部分があるのを、悟空は岩牢にいた頃から感じていた。
ただそれは、三蔵が迎えに来てくれた事ですぐに埋まるものだと思ったのだ。
きっと、その欠けた部分を三蔵が持ってきてくれたに違いない、と。
けれど、未だその欠けた穴は埋まらない。
大好きな三蔵がいて、優しくしてくれる人もいて、美味しい食べ物もたくさんある。
今の生活が幸せであればあるほど、その黒い穴は尚更存在感を増していく。

悟空は、自分の胸をギュッと押さえた。
「大好き」と、かつて告げた人がいた気がする。
それなのに、何も……名前すら思い出せない。





不意に、空気が動くのを感じた。
いつの間にか俯いていた顔を上げると、こちらを見ている三蔵と目が合った。
「……何てツラしてやがんだ」
「え?」
眉を寄せてそう言った三蔵の言葉の意味が咄嗟に分からず、少々間抜けな声で聞き返す。
だが、三蔵は言葉を継ぐ事はなく、渋い表情のまま悟空を見つめている。
いや、渋いというよりも、むしろ困っている……あるいは戸惑っているようにも見える。
だが、その表情の意味を考える前に、三蔵はフイ、と顔を逸らしてしまった。

風と葉擦れの音ばかりが、耳を打つ。
そのままどのくらいの時間が経っただろうか、三蔵がともすれば聞き逃しそうな声でポツリと呟いた。
「……『ここ』は、お前の場所じゃないか?」
一瞬、何を言われたのか分からずに言葉に詰まった。
しかし、言葉を理解した途端、悟空は思わず大声で言い返してしまった。
「そんな事ない! ここが……三蔵のいるところが、俺の場所だよ!」
地面についていた両手をギュッと握り締め、悟空は必死に訴える。
この場所を失うのは嫌だ。そんな事、絶対に耐えられない。

「なら、今は余計な事は考えるな」
三蔵の手が伸びてきて、てっきり頭を叩かれるのかと悟空は咄嗟に目を閉じた。
だが、悟空の後頭部を包むように添えられたその手は、そのまま悟空を三蔵の方へと引き寄せた。
「お前の中に何があるのか、俺は知らねえ」
三蔵の声が、頭上でとても近く聞こえる。
右頬に当たる三蔵の法衣の感触が、どことなく心地良い。
「だが、必要なものなら、時期が来ればお前の元に戻ってくる」
「……そうなのか?」
「そうだ」
そう言い切られ、ああそうなんだ、と悟空は妙に納得してしまう。

「だから」
そこで一旦途切れた声を不思議に思い、悟空は僅かに顔を上向けようとしたが、添えられたままの三蔵の手が尚更悟空を胸に強く押し付けた事でそれは叶わなかった。
「……だから、遊んで食って寝て、てめえらしく生きてりゃいい」
ここでな、と最後に小さく付け足した声は、とても柔らかく聞こえた。





失われた欠片はまだ戻らないけれど。
三蔵の言う通り、いつか悟空の元へと帰ってくるのだろうか。
それでも、例え欠片が全て戻ってきたとしても、悟空の居場所はきっと『ここ』だと信じていよう。

大好きな、大好きな、金色の隣。
それはきっと、ずっと変わらない自分の場所。







最後以外あんまり三空っぽくない気もしますが、でも三空。
金蝉の存在は、いくら記憶を封じられてもやっぱり悟空の無意識の中に強く入り込んでるんですよね。
三蔵視点で書いたら、さぞかし嫉妬の炎が燃え盛っていそうな……。

2008年2月19日UP

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