「……リンナ? どうしたんだ?」
ベッドの上で蹲っているリンナを見つけ、ベルカは急いで駆け寄る。
近くまで来たところで、リンナの身体が酷く震えていることに気がついた。
よく見れば、呼吸も荒く、火照った頬に汗が流れている。
「リンナ!? 大丈夫か!?」
高熱でも出ているのではないかと、ベルカは慌ててリンナに触れようとした。
「触らないでください!」
突然飛んできた鋭い声に、ベルカはビクリと動きを止める。
「あ……悪い……辛そう、だったから……」
こんな風にリンナがベルカに大きな声を出すのは初めてのことで、どうすればいいのか迷う。
「で、殿下……申し訳、ありません……。私は大丈夫ですので……どうか、お部屋にお戻りください……」
リンナはそう言うものの、どう見ても大丈夫には見えない。
こんな状態のリンナを放って部屋に戻ることなど、出来るはずもない。
とはいえ、「触るな」と言われた状況で、一体どうすればいいのか。
せめて汗を拭いてやりたいが、それもおそらく拒否されるだろう。
そもそも、どうしてそんな頑なに拒否をするのか。
ベルカに世話を焼かれるのが、そんなに嫌なのだろうか。
そう考えたら、何だかムカムカしてきてしまった。
普段は「殿下、殿下」と付いてくるのに、こんな時だけ突き放すなんて勝手じゃないか。
ベルカはグッと拳を握ると、タオルを取りに行く。
拒否されようが知ったことか。
こうなったら、意地でも世話を焼いてやる。
タオルを持って戻り、ベッドに乗り上げるとリンナの顔を拭いてやる。
「殿下……! お止めください……!」
「うるせえ! こんな状態で放っておけるわけねえだろ!」
制止するリンナの声を無視して、ゴシゴシと汗を拭く。
顔を拭き終わり、首元からはだけたシャツの胸にタオルを持った手を移動させて拭いていると、突然視界が反転した。
後頭部と背中に柔らかい衝撃を感じて、目を開けると至近距離にリンナの顔があった。
身体全体への感触から、自分が今ベッドに仰向けに倒れこんでいるのだと知る。
いや、左手首を掴まれ、右肩を押さえられているこの体勢は、押し倒されていると言った方がいい状態だ。
一体何が起きたのかよく理解できずに、呆然と目の前のリンナを見つめる。
依然としてリンナの呼吸は荒く、今夜初めてまともに覗き込んだその目はどこか熱を帯びた光があった。
途端、背中をゾクリと何かが駆け抜けた。
掴まれた左手首も押さえつけられた右肩も、いくら動かそうとしても微動だにしない。
その圧倒的な腕力に、リンナが衛士として鍛えられた大人の男なのだということを実感する。
「リン、ナ……?」
その小さな呼びかけにも、リンナは答えない。
リンナの顔が近付いてきたかと思うと、首筋に柔らかい感触が触れる。
首筋に口付けられているのだと悟りベルカは慌てて引き剥がそうとするが、体重をかけられ、片手が捕らえられたままでは抵抗すら出来ない。
「や、めっ……」
まるで食むように首筋を辿られ、肩から外された手が夜着の裾から侵入して肌の上を撫でる。
手首を掴む手と、首にかかる吐息が、熱い。
ザラリと舌の感触が肌を滑り、ベルカは小さく身体を震わせギュッと目を閉じる。
一体何故、こんなことになっているのか。
どう考えても、これがリンナ自身の意思だとは思えなかった。
リンナは、決してベルカの意思を無視してこのようなことをする男ではない。
様子がおかしかったリンナ。
ベルカを遠ざけようとしていたのも、こうなることを恐れてのものだとしたら。
まさかとは思うが、キリコ=ラーゲンあたりに何かおかしな薬でも盛られた可能性はないだろうか。
もし、そうなのだとしたら。
何が何でも抵抗して、絶対にリンナを止めなければならない。
万一止められなかったら、正気に戻ったリンナはきっとベルカを傷付けたことに耐えられないに違いない。
リンナ自身深く傷付き、絶望してしまうだろう。
そんな目に遭わせるなど、冗談じゃない。
閉じていた目を開き、全身に力を込める。
身体的な抵抗は不可能だ。あまりにも腕力が違いすぎる。
身体が動かせないならば、ベルカが出来る抵抗はひとつ。
「……リンナ! しっかりしろ! 正気に戻れ!」
肌を滑る手と唇の感触に耐えながら、ベルカはリンナに呼びかける。
「おまえは、妙な薬なんかに操られるようなヤワなヤツじゃねえだろ!
俺の……俺の声が聞こえねえのかよ! リンナ!!」
きっと、届くはずだ。そう信じて、ベルカはひたすら名前を呼ぶ。
「リンナ……リンナ!!」
精一杯の思いを込めて叫んだと同時に、リンナの動きが止まる。
手首を掴んでいるリンナの手が、小刻みに震えているのが分かる。
「リンナ! 戻ってこい! 俺のところに!」
ベルカの身体の上に顔を伏せたままのリンナを見つめ、ベルカは必死で呼びかけた。
「……殿、下……」
震えた声が、ベルカを呼ぶ。
急に手首に加わっていた圧力が消え、全身にかかっていた重みが離れていく。
上体を起こすと、リンナが自らの身体を抱くようにして蹲っていた。
それはまるで、時間を巻き戻したかのように今夜最初にベルカが見た光景だった。
「殿下……申し訳……ござい、ません……。私は……」
「いや……俺の方こそ、悪かった……」
あの時、リンナの言う通りにしておけば、こんな風にリンナを追い詰めてしまうこともなかったのに。
「……キリコ=ラーゲンか?」
リンナは答えなかったが、それこそが肯定の返事だとベルカには分かる。
あの男は、一体どこまでベルカの大切なものを傷付ければ気が済むのか。
リンナの苦しみを目の前にして、ベルカに激しい怒りが湧く。
許すものか、あの男だけは。
この場にいても、ベルカは己の中の薬と戦うリンナに何もしてやれない。
むしろ、ベルカがいることがリンナを追い詰める。
ならば、取るべき行動はただひとつ。
「……リンナ、待ってろ」
すぐに、助けてやるから。
ベルカはベッドから降りると、一度振り返った後、強い決意を持って部屋を後にした。
薬に操られて、それでも必死に耐えようとするリンナとか萌えるよね!
……という妄想から生まれた小ネタでした。
耐えるリンナというよりも、止めるベルカの方がクローズアップされちゃいましたが。
さすがに最後まで襲っちゃうバージョンは私には無理でした。