私は、ずっと「家の役に立つように」と教えられてきました。
お父様やお母様……そして、この伯爵家のためにその身を捧げるようにと。
幼い頃より、そんな自分に疑問を持つこともありませんでした。
15になったばかりの冬。
アディン地方伯のキリコ様が訪ねてこられました。
同じ伯爵といっても、キリコ様は将来ラーゲン公として元老院に名を連ねるのを約束された方です。
お父様はとても慌てられ、それはそれは丁重におもてなししておりました。
キリコ様は私に御用がおありだと仰られ、私も会談の場に呼ばれました。
そこでキリコ様がお話されたことに、私たちの全員が驚きを隠せませんでした。
王子であるベルカ様の妃に私を推挙したい、と、キリコ様は仰られたのです。
お父様もお母様も、それはそれは喜びました。
地方の一伯爵家に過ぎないこの家から、王族を出すことが出来るのですから。
お父様たちは一も二もなく、了承しました。
私ひとり、城に呼ばれることになりました。
お父様たちはくれぐれも殿下に粗相のないようにと、厳しく私に言いつけました。
もしも失敗をしてこのお話がダメになってしまったら、きっと私はもうこの家には戻れないでしょう。
破談になるということは、この家は元老院に見捨てられるということなのです。
城に入り、私の役目を聞かされました。
「怖い」などとは、言えませんでした。
私は特別美しくも賢くもなく、こんなことでしかお役には立てないのです。
役に立たない者は、捨てられるだけ。
子供の頃から、ずっとそんな風に消えていく方たちを見てきました。
出来なければ、私も捨てられてしまうだけなのです。
キリコ様のお言い付けどおり、部屋でひとり待っていました。
膝の上の手が震えていることに気付き、ギュッと両手を握りしめました。
ベルカ殿下に気に入られるように。
たとえどんな方でも、何をされても、殿下の意に沿うように。
それが、私に課せられた役目なのですから。
小さくノックの音が聞こえ、キリコ様が入っていらっしゃいました。
役目を果たせというお言葉をいただき、私はベルカ殿下がいらっしゃるというお部屋へと向かいました。
ノックはしなくて良い、と言われておりましたので、そっと静かに扉を開きました。
部屋に設えられたベッドの上に、私と同じ年の頃の少年がうつ伏せになっているのが見えました。
この方が、ベルカ殿下なのでしょう。
「ベルカ殿下……」
そろそろと近付き、恐れながらもベルカ殿下に触れようと手を伸ばしました。
けれど、その手は払われてしまいました。
私では、お気に召さないのでしょうか。
出て行けと言われましたが、だからといって出て行くわけにも参りません。
私はベルカ殿下にお気に召していただき、この身体を捧げなければなりません。
そのことを申し上げても、やはりベルカ殿下は拒絶の意志を崩されませんでした。
何とかしなければ、と気持ちばかりが急いてしまっていました。
震える手で私は自らのドレスとコルセットを落としました。
とても、怖いと思いました。
男性の前で、このような姿を晒したことなどございません。
それでも、私は止めるわけにはいきませんでした。
私は懸命に、ベルカ殿下にこの身を捧げようとしました。
ご無礼になるとは思いながらも、ベルカ殿下の首に手を回して身を預けました。
けれど、それでもなおベルカ殿下にその身を引き離されました。
何故でしょうか。
私のような魅力のない娘では、ベルカ殿下のお傍に置いてはいただけないのでしょうか。
やはり、私は役立たずでしかないのでしょう。
お父様やお母様、キリコ様、ベルカ殿下。
どなたのお役にも立てない、価値のない娘。
「俺は、君を抱けない。君も……好きでもない相手に、身体を開こうとするのは……止めてくれ」
ベルカ殿下のお言葉に、ふと顔を上げました。
見ると、ベルカ殿下はとても辛そうな、痛みを耐えるような目で私をご覧になっていました。
「好き」とは、どんな気持ちなのでしょうか。
今まで、そんな気持ちを教えてくれた方はいませんでした。
ただ、家の意に沿うように、家の役に立つように。
そのことしか、教わってはきませんでした。
部屋を出て行こうとなさるベルカ殿下に慌てて追いすがりましたが、振り払われてしまいました。
殿下が出て行かれた扉に両手をついて、けれど僅かに扉を開いたところで手を止めました。
この扉の向こうにはキリコ様もいらっしゃるのです。
このようなはしたない姿で出て行くことなど出来ません。
扉の隙間から、おふたりの会話が聞こえてきました。
「好みをお聞かせ願えればすぐにご用意しますよ」
胸が、痛みました。
私は、見切りをつけられてしまったのです。
もう、捨てられるのだと思いました。
家にも、キリコ様にも。
「物みたいに言うな! 俺は、おまえらのそういう、人の扱い方が気にいらねえ」
怒鳴り声に驚いて、身体がビクリと揺れました。
ベルカ殿下が、とても怒っていらっしゃるのがそのお声で分かります。
ベルカ殿下がお部屋から出て行かれ、私は薄く開いていた扉を静かに閉じました。
そして、はしたないと思いながらも、その場にへたり込んでしまいました。
『物みたいに言うな』
『好きでもない相手に身体を開こうとするのは止めてくれ』
「ふっ……ふえ……」
目の奥が熱くなって、雫が頬を伝って流れていきました。
何度手で拭っても、後から後から零れてゆきます。
みっともないと分かっていても、涙を止めることは出来ませんでした。
まるで子供のように、ボロボロと私はその場で泣き続けました。
私は、決して賢い娘ではありません。
それでも、ベルカ殿下のお言葉が私を思ってくださったものだということは分かる気がしました。
役に立つ。役に立たない。
そんな風に見るのではなく、私自身の心を思いやってくださったのだと。
ベルカ殿下を恨む気にはなれませんでした。
むしろ、言われるままにその御身に触れようとしたことを申し訳ないと思いました。
そして、あんなにご自身がお辛いときに思いやるお言葉をくださったことに、胸が締め付けられるような思いがしました。
あの方は、今までお会いしたどの方とも違う気がしました。
きっともう二度と、殿下にお会いすることは叶わないでしょう。
あの方に愛されるどなたかが、とても、羨ましいと思いました。
家に戻れない私は、もう伯爵令嬢としての身分すらないも同然でしょう。
この先どうすればいいのかも、私には分かりません。
けれど、この気持ちを抱えて生きていけるような……そんな気がしました。
R-18部屋に置いてある「媚薬」前編に出てきた、令嬢の小ネタです。
あまりに誰得すぎるSSですが、俺得なので書きました。
この世界で、リンベル以外のみんなもそれぞれ想いを抱えて生きているんだろう、と思って書いたお話でした。