Choice



澄み渡るような青空の下、それとは対照的にどんよりとした空気を漂わせて宮田はいつものロードワークコースを走っていた。
別に何か嫌な事があったわけではない。
だだ、今の自分の状況において取るべき行動について延々と考えている。
要は、悩んでいるのである。

そして、宮田が一体何の事でそんなに悩んでいるのかといえば。



「……あ! 宮田くん! 宮田く〜ん!」
背後から聞こえた声に、宮田はピクリと反応を示す。
だが、敢えて振り向かずにそのまま前を向いて走り続ける。
すると、声の主はこちらへ走るスピードを上げつつ、再び宮田の名前を呼ぶ。
「宮田く〜ん! 宮田くんってば〜!」
声が瞬く間に近付いてきて、その切れた息遣いまで聞こえる距離にまで追いついてきた。

「……何だよ」
宮田は走るスピードを少し落とし、ようやく振り向いた。
「宮田くんも今ロードなんだ」
「見りゃ分かるだろ。大体、お前のロードコースここだったか?」
「ううん、今日はちょっと距離を伸ばしてみたんだ」
そう言って、一歩は宮田の隣に並んで走りながら笑う。

その嬉しそうな顔に、宮田はつい視線を逸らした。
一歩はいつもいつも、宮田に会うとこんな嬉しそうな顔をする。
自分と会ったところで、何がそんなに嬉しいのだろうと思う。
別に楽しい話をするわけでもない、優しい言葉をかけてやるでもない、こんな自分と。

優しい言葉をかけてやりたいと思わないわけじゃない。
正直、宮田だって一歩が嬉しそうに笑っている顔が好きなのだ。
だから、一歩が喜ぶような事を言ってやりたいと思った事も何度もある。
しかし、どうしても、宮田の口からはそれらが言葉になっては出てこない。
何故だと言われても、それは宮田自身にも分からない。
もう、これはこういう性格なのだとしか言えない。


直前で赤に変わった信号に、宮田は足を止める。
チラリと視線を横にやると、同じように一歩も足を止めてシャドーをしている。
「……幕之内」
「え?」
小さく声をかけると、一歩はシャドーを止めて宮田に向き直る。
「何? 宮田くん」
「……お前……」
「うん」
「…………いや、何でもない」
「……へ?」
宮田の言葉をじっと待っていたらしい一歩は、いきなり話を止めた宮田を目を丸くして見ている。
「何でもないって……余計気になるよ、そんな事言われたら」
一歩の言い分はもっともだが、宮田はそれに答えてやれなかった。
信号が青に変わったのを見て、宮田は再び走り出した。

「あ! 宮田くん、待ってよ!」
慌てて後ろから追いかけてくる一歩を振り向かずに、宮田は少しスピードを上げる。
「何でもないって言ってんだろ。お前も自分のコースに戻れ」
「でも……」
「いいから戻れ、ジムまでついてくる気か?」
「……うん、分かった……。じゃあ、ね、宮田くん……」
しょんぼりとした声が聞こえたかと思うと、一歩は自分のロードコースの方へと方向転換をしていった。



1人に戻ってロードを続けながら、宮田は自分に対して舌打ちをする。
どうして、自分はこうなのだろうと思う。
折角、聞き出せるチャンスだったのに。

11月23日。
一歩の誕生日。

簡単な事なのだ。
さりげなく、「何か欲しいものあるか?」とでも訊いてしまえば済む事だ。
宮田の誕生日に一歩にプレゼント代わりに食事を奢らせたりしたから、その礼だと言えばいい。
訊けば、きっと一歩は喜ぶだろう。
だから、訊く事をためらう必要なんて何処にもないはずなのに。
なのに、その一言が言えない。

宮田は走るスピードを少し落として周りの風景を見渡す。
あと1ヶ月ほどでクリスマスという事もあり、もうプレゼント商戦は始まっている。
だから、プレゼント用の品を選ぶ事には不自由はしないだろう。
だが、他人にプレゼントなんて殆どした事のない宮田にとっては、何を贈れば一歩が喜ぶのかが分からない。
今までボクシング以外のものに興味を示した事のないだけに、余計だ。
何処で調べてきたのかファンなどからよく誕生日プレゼントなどを贈られるので、一般的なプレゼントの傾向は何となく分かる。
しかし、そんな物が一歩に似合うとも思えないし、そもそも自分がそれを一歩に贈るのを想像しただけで気持ちが挫けてしまいそうになる。

こんな小さな事でいちいち悩んでいる自分が馬鹿みたいだと思う。
次の試合が決まっていないとはいえ、自分には目指すべき目標があるというのに。
小さくため息をついてから頭を軽く振ると、宮田は顔を上げてジムに向けてスピードを上げた。









それから数日が過ぎた。
宮田は自宅の電話を睨みつけながら考え込んでいた。
一旦手に取った受話器を、数秒の間の後下ろす。
そんな事をもう何回繰り返しただろう。
たかが電話くらいでどうしてこんなに緊張しなければならないのかと、宮田は受話器を見つめる。
そこに、帰ってきた父が電話のある居間を通り過ぎざまに息子に声をかけていった。
「一郎、時間が遅くならない内にかけるんだぞ。釣り船屋なら朝も早いだろうしな」
言うだけ言ってさっさと通り過ぎてしまった父に、宮田は反論も出来ずに脱力してしまった。


一気に力が抜けた事で緊張が解けたのか、宮田は今度は受話器を下ろさずにもう覚えてしまった一歩の家の電話番号を押した。
聞き慣れた呼出音が、やけに耳に大きく響く。

何度目かの呼出音が途切れ、受話器の向こうから幾度か聞いた事のある女性の声が聞こえた。
『はい、幕之内です』
「あ……宮田ですけど……」
『ああ、宮田くん。ちょっと待っててね』
そのすぐ後、手で押さえているであろう受話器の向こうから一歩を呼ぶ声と凄まじい勢いで近付いてくる足音が聞こえた。
『はい! 代わりました! 宮田くん!?
「……ああ」
『うわ〜、本当に宮田くんだ……』
何やら感激しているらしく、電話の向こうの一歩の声は少々興奮気味だ。

『そ、それで、どうしたの?』
一歩の言葉が微妙にどもっている。
宮田からの電話などそうそうないだけに、向こうも相当緊張しているらしい。
「ああ……お前、次の日曜、空いてるか?」
『え、うん、特に予定はないけど……』
その一歩の言葉を聞いて、宮田は内心かなり安堵した。
もしかしたら、例の間柴の妹辺りと約束でもあるのではないかと思っていたからだ。
間柴の妹──久美という少女と一歩が良い雰囲気だという事は、宮田も知っている。
知りたくなくても、鷹村や木村などが面白がって写真を見せたり色々喋りにくるのだ。
そうして不機嫌になる宮田を見てはからかって遊ぶ彼らにはいつか報復をしてやりたいところだが、今はそんな事はどうでもいい。
誕生日に約束がないという事は、まだそれほど親しい関係にはなっていないという事だろうか。

『……宮田くん?』
黙り込んでしまった宮田に、一歩が遠慮がちに呼びかける。
自分の思考から電話に意識を戻した宮田は、1つ深く息を吸うと本題に入った。
「次の日曜、後楽園ホールに試合観に行くんだけどよ……お前も行くか?」
『行く!』
即答である。
そして、そこに一瞬の躊躇も存在しなかった事に、喜びを覚える自分がいる。
だが、もちろんそれを素直に表に出せる宮田ではない。
努めて平静を保ち、声も決してそうと悟らせないように敢えて抑えた。
「そうか。なら、後楽園駅の改札で17時。チケットはその時渡す」
『え? チケットあるの?』
「たまには、席で落ち着いて見るのもいいだろ。それとも立ち見の方がいいのかよ?」
『ううん! 嬉しいよ! だって宮田くんと一緒に座って見れるんだもん!』
慌てて思い切り力説する一歩に、宮田の表情がほんの少し柔らかくなる。

「用件はそれだけだ。じゃあな」
そう言って電話を切ろうとすると、一歩から呼び止められた。
「何だよ?」
『……あの、宮田くん。えと、さ、誘ってくれて、ありがとう』
「……別に。インファイターならではの解説も聞きたいしな」
『うん。それじゃあ、日曜の17時に後楽園駅改札で』
「ああ」
そう一言返事をして、カチャリと音を立てて電話を切る。


受話器を置いた途端に、一気に宮田は息を吐いた。
無意識の内に身体に力が入っていたのか、急に疲れた気がして傍のソファに座り込む。
「電話ぐらいで何でこんなに疲れてんだ、オレは……」
小さく呟いて、宮田はシャツの胸ポケットから試合のチケット2枚を取り出す。

何にしようかと散々悩んだ挙句、結局これになってしまった。
誕生日の贈り物としては甚だ色気のないものだが、自分達の間ならこんなものだろうと思う。
無理に飾ったものを贈るのは性に合わない。
一歩とて、無駄に飾り立てたものが好きだとは思えない。
確実に一歩が興味を持っているものを、と考えたら、ボクシングしか浮かばなかったのだ。

試合観戦だけというのもちょっと誕生日の祝いとしてはあんまりだろうから、試合が終わった後に一緒に食事に行ってもいい。
こういった機会でもなければ、一歩と食事などする事はまずないのだから。
そしてきっと、食事の時の会話もボクシングの話ばかりになるのだろう。
しかし、それでいい、と思う。少なくとも今は。
いつかはもっと違う話をするようになっていたいが、今はまだこんな関係のままでもいい。


宮田はチケットを見て微かに表情を緩め、それを大事そうに再び胸ポケットにしまった。









END









後書き。

書き終わって気付きました。
……誕生日当日を書いてないじゃないか!……と。(遅すぎだ)
いやだって、宮田がプレゼント決めかねていつまでも悩んでるから……。
誕生日当日の宮一デートも書きたかったんですけどねー。
しかし、宮田も17時なんかに待ち合わせせずに、せめて昼からでもデートすればいいものを。
余裕かましてると、千堂辺りが一歩を攫いにくるぞ。頑張れ貴公子。



2003年11月23日 UP




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