不安の糸



ざわざわとした喧騒の中、宮田は人波に流されかかっている一歩の腕を掴んだ。
「お前、どこ行く気だよ」
「あ、ご、ごめん、宮田くん」
体勢を立て直した一歩が、何とか宮田の隣に戻ってくる。
「ボーっとしてて、はぐれても知らねえからな」
「うん……ごめん」
シュンと俯いた一歩を見て、宮田は小さくため息をついた。
すると、それを聞き取ったのか、一歩の肩がビクリと震えた。
その一歩の様子に宮田は眉を顰めるが、一歩に気付かれない内にその表情を消す。



一体この数ヶ月の間に、何度同じ言葉を聞いただろう。
そしてそれを聞くたびに、宮田の心の中に小さな苛立ちが降り積もっていくのだ。



周りを見渡してみれば、浴衣姿の女性グループや家族連れ、腕を組んで歩いているカップルなど様々な人々が自分達の周囲を流れていく。
男2人連れの自分達はこの中ではかなり異色だろうと思うが、この人込みではそんな事を気にする者も殆どいない。
宮田は人込みが苦手だが、そのおかげで一歩と触れ合いそうな近い距離で堂々と歩けるのは嬉しかった。
だから、宮田としては喧騒には辟易しているものの今の状況そのものは割と楽しんでいるのだ。

しかし、隣を歩く一歩はどうにも居心地が悪そうに俯いたままだ。
そんなに自分と2人で歩くのが嫌なのか、と考えたりもするが、そうではない事も分かっている。
そもそも、祭りに一緒に行かないかと誘ったのは、一歩の方なのだから。
一歩が居心地が悪そうにしているのは、宮田の感情が読めないせいなのだろう。
ひょっとしたら、宮田が怒っているとでも思っているのかもしれない。

一歩は、宮田を怒らせたり機嫌を損ねる事を極端に怖がる。
宮田とて、その気持ちが全く分からないわけではない。
滅多にある事ではないが一歩が不機嫌そうな時などは、宮田だって不安になる事がある。
しかし、一歩のそれは少々度が過ぎているように思う。
付き合い始めてから、特にそう感じるようになった。

何かあると、すぐに一歩は「ごめん」と謝ってくる。
それが本当に一歩に非がある時ならいいが、そうでない時の方が多いくらいなのだ。
付き合ってから1番多く聞いた言葉は、謝罪の言葉かもしれない。
どうして謝るんだと言っても、それに対してさえまた謝られる。
そうじゃない、という思いが宮田の表情を険しくさせ、それが一歩をますます萎縮させていく。
感情の分かりにくい自分にも原因がある事は、宮田にも分かっている。
そんな自分に対する苛立ちと、怯えた表情を見せる一歩への苛立ち。
2つの苛立ちが積み重なって、宮田の態度も無意識に硬化してしまう。
バカみたいな悪循環だ。
それを断ち切りたくても、宮田にはどうしていいか分からなかった。

一歩の宮田の顔色を窺うように見上げる視線が、嫌だった。
そんな目で見ないでほしい。
その視線を向けられるたびに、想いを疑われているような気になるから。
一歩を好きだと言った、その言葉を一歩は信じていないのだと突きつけられている気分になってしまう。
自分が見たいのは、そんな顔じゃなくて────。



「……たくん……宮田くん!」
かけられた声に、宮田は我に返る。
考え込んでいる内に、歩みが随分遅くなっていたらしい。
「どうしたの、宮田くん。ひょっとしてどこか具合でも悪いとか……」
「そんなんじゃねえ。……ちょっと、考え事してただけだ」
答えると、一歩は少し逡巡するような様子を見せてから宮田の袖を引っ張った。
「あの、さ。もうすぐ花火が上がるそうなんだけど、見に行こうよ」
「花火?」
「うん。……嫌かな」
「……どこでやるんだよ?」
承諾の意味でそう返すと、一歩はホッとしたように笑って宮田の先に立って歩き始めた。





一歩の後についてやってきたのは、小さな空き地のような場所だった。
祭りの会場からは少し離れているせいか、人気はあまりなく、祭りの喧騒が若干届く程度だ。
「ここか?」
「うん、去年見つけた穴場なんだ。意外に綺麗に花火見れるよ」
「へえ……」
花火が上がるであろう方向を見上げると、確かに都会には珍しくさしたる障害物もなく花火を見るにはなかなか良いポイントだろうと思えた。
周りの大きな歓声やお喋りを聞かずに済む分、まともに花火会場で見るより遥かに快適だろう。

会話が途切れ、僅かに聞こえる周囲の雑多な音だけがその場を支配する。
「宮田くん」
名を呼ばれ、宮田は見上げたままだった視線を一歩へと向ける。
「今日は……ごめん。強引にこんなとこ付き合わせちゃって」
「……何で謝るんだ?」
宮田の返事が予想外だったのか、一歩は目を丸くしている。
「え、あの、だって……退屈だったでしょ? なんか、上の空だったし……」
困ったように言葉を繋ぐ一歩を、宮田はじっと見つめている。
「ボク、宮田くんと一緒にお祭り行きたくて引っ張ってきちゃったけど、ボクだけ楽しいんじゃダメだなって思ったから……」
「楽しい?」
「……宮田くん?」
「オレには、お前の方が余程楽しくなさそうに見えたけどな。ずっと俯いて居心地悪そうに歩いてたじゃねえか」
何かが妙に癇に障って、宮田の声に無意識に険が混じる。
その宮田の言葉を受けて、一歩は力一杯否定の言葉を返す。
「そんな事ない! ボクは、宮田くんと一緒にいられるだけで楽しいよ!」
「何でだ」
「何でって……その、す、す、好きな人と一緒にいられたら、楽しいに決まってるよ……」
顔を真っ赤にして、一歩は俯く。

宮田は僅かに手を握りしめると、出来るだけ声を抑えて話し出す。
「……だったら、何でお前はそう思わねえんだよ」
「え?」
「『好きな人と一緒にいられたら楽しいに決まってる』って思うんなら、どうしてオレは違うと思うんだよ」
キツい視線で睨みつける宮田に、一歩はどう反応していいものかも分からずに立ち尽くしている。
「オレは、別に強制されてここに来たわけじゃない。オレは、来たくて来てるだけだ」
「宮田くん……」
「オレがお前といて楽しくないなんて考えるのは、オレがお前を好きだって言ったのを信じてないってことなのかよ」
「そ、そんなこと……」
「ないってのか? だったら、何でそんなにビクビクしてんだよ……!」
搾り出すように、宮田は言葉を吐き出す。

本当はこんな風に一歩を責めたいわけじゃない。
だが、一歩の以前と変わらぬオドオドとした態度が苛ついて仕方がなくて、言葉を止められない。
宮田が一歩を好きだと言った後も、一歩の態度は変わらなかった。
いや、むしろ告白する前よりも更に態度が硬くなって、笑顔が減った気すらする。
そんな一歩を見ていると、一歩は自分といても嬉しいどころか苦痛でしかないんじゃないかなどと思えてくる。
宮田が見たいのは、自分を見て笑う一歩なのに。
困ったように眉を寄せてばかりいる一歩にも苛立つし、一歩を安心させてやる事も出来ない自分にも腹が立つ。

どうして、信じてくれないのだろう。
あの時、宮田は確かに一歩を好きだと言ったのに。
何故、それをそのまま信じてはくれないのだろうか。



「何で、いちいちオレの顔色を窺うんだよ」
恐る恐るといった風に自分を見る一歩の視線が、いつもたまらなく痛い。
「何か言えば、すぐに謝ってきやがって……」
何を言っても一歩を傷付けてしまう気がして、何も言えなくなる。

「そんなに、オレが信用できねえのかよ」
「ち、違うよ、宮田くん……!」
「違わねえだろ。結局、お前はオレの言う事を信じてないんじゃねえか」
「違う! ボクは、ただ……本当に、宮田くんが、す、好きだから……」
その言葉を聞いて、宮田はカッと頬に朱を走らせると、一歩の肩を掴んで空き地の塀に押し付けた。

「『好きだから』……何だよ。不安になる、とでも言うのかよ?」
目の前の一歩の顔は、戸惑いと怯えの混じったような色を浮かべている。
何も答えない一歩に、宮田は唇を噛む。
「だったらお前は、オレが不安にならないとでも思ってんのかよ」
「宮田……くん……?」
宮田は一歩の肩を掴んでいる手に、一層力を込めた。



「惚れてるのがお前だけだとでも思ってんのか」



この想いを信じてもらえていない事が悔しかった。
こんなにも誰かを大切に想った事などないのに。
それを告げても、その何割も伝わらないのだと思う事が辛かった。



「宮田くん……」
一歩は目を見開いて、ただひたすら宮田を見つめている。
宮田は一歩の肩を離すと、視線を斜め下の地面へと向けた。

ドンドン、と上空から大きな音が聞こえ、宮田はそちらを見る。
いつの間にか上がっていたらしい花火が、空を色とりどりに飾っているのが目に映る。
だが、その色鮮やかさも今の宮田の目にはどこかくすんで見えた。



「宮田くん」
呼びかける声に、宮田はゆっくりと振り向く。
一歩がこちらを見つめていたが、それは先程までの怯えたような目ではなかった。
何かを思い切ったような、そんな目をしていた。

「宮田くん、ごめん」
その謝罪の言葉も、いつものように焦った様子は見られない。
「ボク、ずっと自分の不安ばっかり気にして、宮田くんに辛い態度取ってたんだね」
一歩は1度宮田から視線を外して、宮田の足元を見つめている。
「何で気付かなかったんだろう? ボクが不安になるように、宮田くんもそうなんだって」
小さく呟くように話す一歩は、宮田にというよりも自分自身に対して言っているように見えた。
「自分ばかり不安な気がして、どうして宮田くんの気持ちを考えられなかったんだろう……」
そう話す声に僅かに震えが混じった気がしたのと、身体に小さな衝撃を感じたのはほぼ同時だった。

「……幕之内……」
一歩から抱きつかれたのは初めての事で、宮田はどうしていいのか分からなくなる。
「宮田くん。ボク、もう不安に負けないから。だから、これからもボクと一緒にいてもいいって思ってくれるなら……もう1度だけ、言ってくれないかな……」
そしたらもう大丈夫な気がする、と呟いた一歩を、宮田は両手を回して抱きしめる。
そうして一歩だけに聞こえるくらいの小さな声で、一歩の耳元に囁いた。







いつしか上空からの音も止んだ中、宮田は空を仰ぐ。
「……花火、終わっちまったな」
「うん……でも、いいよ。来年また来たら」
少し頬を染めたまま笑った一歩に、宮田も知らず笑みが浮かんだ。



来年は、どんな気持ちでここにいるだろう。
それでも、その時はきっと2人でいる。
もう、2人を絡め取っていた不安の糸は解かれたはずだから。
今度は、これ以上ないくらい美しい花火が見られるはずだ。

小さな確信を胸に秘め、宮田は一歩を抱きしめる腕に力を込めた。









END









後書き。

「4周年記念ミニ企画」第14弾。
お題は「惚れてるのがお前だけだとでも思ってんのか」。
季節外れにも程があるネタですみません。
それはともかく、宮田がぐるぐる回りっぱなしです。何かもういっぱいいっぱいです。
こんな情けない宮田くんをリクエスト下さった方がお望みだったのか、むしろ私が不安いっぱい。
こんな感じに出来上がりましたが、少しでも気に入って頂ければ幸いです。



2005年10月21日 UP




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