Let's Fishing!



「うわあ、良い天気だな」
雲ひとつない晴天を見上げ、一歩は太陽の眩しさに目を細めた。
降り注ぐ陽射しは少しずつ熱さを増してきているが、それでもまだ柔らかい。
一歩は、足元に置いていた釣竿とケースを抱え上げた。

試合が終わった後は、よくこうして一歩は釣りに出かける。
特に激しい試合の後は釣り船の手伝いすら止められるので、どうしても暇を持て余してしまう。
それに、試合後はすぐには気持ちが切り替えられずに精神的な緊張がなかなか取れないことも多い。
そんな理由もあって、休養と高揚した気分の沈静化を兼ねてのんびりと釣り糸を垂らすのだ。
そうして波の音を聞いている内に、心が日常へと戻ってくる。

本当は、折角暇のある内に会いたい人がいたりもする。
けれど、一歩は試合が終わって暇でも、相手はそうではないだろう。
自分の都合だけで連絡をして迷惑をかけてしまったら、と思うと、ダイヤルを回そうとする手が止まってしまう。
我ながら意気地がないな、と一歩はため息をついた。
自分にもっと積極性があったら、会える時間もずっと増えるかもしれないのに。

宮田は今頃何をしているだろう。
この時間なら、バイトの最中だろうか。
実は一歩は、宮田の働いているコンビニで買い物をしたことはない。
元々宮田がなかなかそのコンビニの場所を教えてくれなかったという理由もあるが、場所を知ってからも店の前までは何度か行ったことがあるものの中には入れなかった。
仕事中に話しかけたら迷惑だろうし、単に客としてマニュアル通りに応対されたらされたでヘコみそうだったからだ。
宮田目当ての女子高生達がキャアキャアと嬉しそうに騒いでいるのを見るのが、嫌だったせいもあるかもしれない。

「会いたいなぁ……」
「……誰にだよ?」
「そりゃあ、宮田くんに決まって…………え!?
ポツリと漏らした無意識の一言に自分以外の声が返ってきて、つい普通に返事をしかけた一歩は驚いて振り返った。

そこに立っていたのは、正に今、一歩が会いたいと思っていたその人物だった。
「え、み、宮田くん!?
「何だよ」
どうして突然宮田がここに現れたのか、一歩にはまるで分からない。
「何で!?
「……オレが来たら嫌なのかよ?」
「そんなわけないよ!」
会いたさが募るあまりとうとう幻覚が見えてしまったのかと思ったのだが、それは口には出さなかった。

「宮田くん、バイトは?」
「今度のオレの休みと替えてほしいってヤツがいたから、替わったんだよ」
それで、休みになって時間が空いたから一歩の家まで会いに来てくれたのだろうか。
そんな期待を込めて宮田を見てみると、宮田はバツが悪そうにそっぽを向いている。
ああ照れているんだ、と分かった途端、顔が緩んできて止められなくなった。
きっと今、自分はとても締まりのない顔をしているのだろうと思う。
でも、嬉しくてたまらないのだから仕方がない。

ニコニコと笑っていたら、宮田が少し憮然とした顔でチラリと一歩を見た。
「……けどお前、今から出掛けるようだしまた今度に……」
「大丈夫! 特に用事ってわけじゃないから!」
言いかけた宮田の声を遮って、一歩は力強く言い切る。
おそらく宮田もこういう一歩の反応を分かっていて意地悪で言っているのだろうが、それに乗っからないで本当に帰られでもしたら大変だ。
「すぐに荷物置いて…………あ、そうだ! 宮田くんも一緒に釣りしない?」
玄関に戻ろうとして、一歩は急に思いついたように足を戻す。
「竿や餌ならレンタル用のがあるし、結構楽しいよ」
折角の機会なのだから、宮田にも一歩の好きなことを知ってもらいたい。
そんな気持ちで、一歩は宮田を釣りに誘ってみた。

だが、宮田の反応は一歩が思っていたよりも芳しくないものだった。
「いや、オレは……」
眉を寄せて目を逸らす宮田に、一歩は小さく肩を落とした。
「ごめん、宮田くん。釣り、嫌いだった?」
自分が好きなものを宮田が嫌い、というのは、案外ショックなものなのだと知る。
「……別に嫌いだなんて言ってねえだろ。いいぜ、行っても」
「ホント!? あ、でも、もし無理してるんなら……」
「してねえよ。そもそも、釣りくらいで無理も何もねえだろ」
「そっか、良かった……。じゃあ、すぐに宮田くんの分、準備するから待ってて!」
自分の道具をその場に置くと、一歩は大急ぎで宮田の釣り道具の準備に取り掛かった。





堤防までの道を宮田と連れ立って歩きながら、一歩はこの上なく上機嫌だった。
宮田が一歩に会いに来てくれたのも嬉しいし、釣りに付き合ってくれるのも嬉しい。
釣りの道具を持ってても格好良いなぁ、などとぼんやりと宮田を見つめる。
「……何だよ」
視線に気付いたらしい宮田が、訝しげな視線を寄越す。
「え、あ、何でもないよ!」
見蕩れていたのが何となく恥ずかしくて、一歩は慌てて視線を前に戻した。
幸い、それ以上は宮田も追求してくることはなく、一歩はホッと胸を撫で下ろす。





堤防に着いてからは、一歩が選んだポイントで釣りを始めた。
宮田と隣同士で並んで釣りをしているという状況が何だか新鮮で、正直落ち着いて釣りに集中など出来ない。
「良い天気だね」
「ああ、そうだな」
そんなありきたりの他愛のないやり取りですら、一歩の心を浮き立たせる。
こんなに幸せでいいのだろうかとすら思ってしまう。

しばらくは当たりもなく、波の音とたまに交わされる言葉だけが聞こえていた。
そんな中、宮田の竿に当たりが来たのは15分ほども経ってからのことだった。
「あ、宮田くん、引いてる!」
宮田も当然それは分かっていて、慎重に釣り上げようとしているその顔は思ったよりも真剣だ。
タイミングを見て一気に巻き上げたその瞬間…………水面からほんの少し顔を覗かせた魚は、スルリと再び水の中へと逃げていってしまった。
「あぁ、残念だなぁ。でも、すぐまた当たり来るよ」
「……ああ」
宮田にだってたまにはこんなミスくらいあるだろうと、一歩は軽く考えていた。

しかし、その一歩の考えは甘かった。
あの後、一歩が何匹か釣り上げている間にも、宮田の竿には何度かヒットはした。
が、いっそ見事なほどにことごとく餌だけ取られて逃げられてしまう。
一歩もさりげなさを装って、釣り上げるコツを話してみたのだが、それも意味を為さなかった。
結果、宮田のクーラーボックスには魚が1匹もいない状態がずっと続いているのである。

正直、とても気まずい。
宮田がどんどん不機嫌になっていくのが、漂ってくる空気で分かる。
かといって、ここで釣りを止めようなどと言い出そうものなら尚更宮田のプライドを刺激しかねない。
しかし、このまま続けて宮田が全く釣れなかった場合、それはそれで後が大変そうだ。
どうしよう。どうしたら。
釣竿を持って海面を睨みながら、一歩はぐるぐると考え込む。
こんなことなら、宮田が最初に渋ったあの時に止めておけば良かったのだ。
まさか一歩としても、何でもスマートにこなすイメージのある宮田にこれほど不器用な面があるとは思っていなかった。
もちろんそれで宮田に対する見方が変わるというわけではなく、むしろ案外可愛くていいなぁなどと思ってしまうのだが、宮田本人にしてみればそういう問題ではないだろう。
宮田の機嫌を回復させつつ釣りを切り上げる良い案はないものだろうかと、一歩はひたすら考え続けた。

だが、焦れば焦るほど考えが纏まらなくなるのは当然のことで、結局何も思いつかないまま時間だけが過ぎてしまった。
さすがに、そろそろ切り上げ時だろう。
「……あの、宮田くん」
「何だよ」
返される声は、明らかに不機嫌そのものだ。
「そろそろ、帰ろうか?」
ほんの少しの沈黙の後、宮田は小さくため息をついて「ああ」とだけ返した。

「……呆れてんだろ」
道具を片付けようとすると、宮田がポツリと漏らした。
顔を背けているので表情は分からないが、何となく拗ねた響きが混じっているように聞こえた。
「そんなことないよ! 誰だって、得意不得意あって当然だし」
「けど、1匹も釣れねえとはな……。くそ……」
案外本気で悔しがっている様子の宮田に、一歩は思わずクスリと笑ってしまった。

それが聞こえたのだろう、宮田が振り返ってジロリと睨みつける。
「何笑ってやがる」
「ああ、ごめん宮田くん。でも、宮田くんにもこんな可愛いところあるんだなぁって思って」
正直にそう言うと、宮田はますます憮然とした顔になる。
「可愛いなんて言われても嬉しくねえよ」
「ごめん、そうだよね」
男に「可愛い」は確かにないなと思い、一歩は素直に謝る。

傾いてきた陽を見ながら、一歩は小さく呟いた。
「いいじゃない、釣れなくても」
返事がないのを気にすることなく、一歩は続ける。
「…………宮田くんが釣り上げるのは、1匹だけでいいよ」
「お前、何言って……」
言いかけて、宮田の言葉が止まる。

一歩をじっと見つめたままだった宮田が、小さく笑う。
「真っ赤になってるぜ」
「……夕陽のせいだよ」
そう言い訳してみるものの、今の状況では意味がないだろう。

「……そうだな、1匹でいいかもな」
珍しく穏やかな声色が聞こえてきたと同時に、ふっと一歩の顔に影が差す。
「え……って、あ、み、宮田くん! ここ! 外!」
宮田の意図を察して慌てて止めようとするが、宮田はまるで意に介した様子はない。
「誰もいねえよ」
間近で見つめてくる瞳と囁かれる声に、もう何も考えられなくなる。





ああ、宮田くんが嬉しそうなら何でもいいや。
そんな風に思えて、一歩はそのまま目を閉じた。









END









後書き。

140000HITのユキオ様に捧げさせて頂きます!
リク内容は『宮田君と一歩の魚釣りデート』でした。
宮田くんの釣り下手は原作で証明されてしまってますので、しっかり使わせてもらいました(笑)
拗ねる宮田くんを書くのが、実に楽しかったです。
こんな感じに仕上がりましたが、ちょっとでも楽しんで頂けると幸いですv



2008年5月12日 UP




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