想いのカタチ



どうしよう。

そんな事を考えながら、一歩は自分の部屋の中をウロウロと歩き回っていた。
別に、客観的に見てそんな差し迫った問題があるわけではない。
こんな事で悩んでいるのをジムのメンバーに知られれば、きっと笑われるだろう。
それでも、一歩にとっては重要かつ真剣な悩みだった。

2月14日、バレンタインデーまであと数日。
本来なら男である一歩は貰う立場だ。
高校までは殆どそんな経験はなかったが、最近はボクシング雑誌の編集部や鴨川ジム宛に一歩へのバレンタインチョコが届けられたりする。
そのチョコも年々増えており、鷹村や木村に制裁を加えられたりする事もある。
その理不尽な制裁を除けば、バレンタインに一歩が悩む必要などないはずなのだ。
だが、現に今、一歩は悩んでいる。
その原因といえば。

机の上のボクシング雑誌をめくると、そこにはその悩みの原因たる人物の写真が載っている。
「……やっぱり宮田くんは格好いいなぁ」
一歩は椅子に腰掛け、雑誌を見てため息をつく。

そう、原因は宮田一郎。
一歩が今、誰よりも大好きな人だ。

折角のバレンタイン。
宮田への好きという気持ちを、何かしらの形にしたいのだ。
だが、いくつもの問題があって、一歩にはどうすればいいのか分からない。

バレンタインは、少なくとも日本では、女性から想いを寄せる男性への贈り物だ。
世間一般に流通するチョコの大半は義理チョコかもしれないが、それでもそれは女性のイベントといって差し支えないだろう。
そんな日に男である一歩からチョコなどを貰ったら、宮田はどう思うだろう。
きっと、心底嫌がるに違いない。気持ち悪がられるのが関の山だろう。
それでも、冗談として受け取ってくれれば構わないと思う。
しかし、万が一、自分の気持ちに気付かれたら。
そう思うと、冗談めかして渡す事すら怖かった。

一歩の宮田への想い。
それを、宮田はきっと単なる憧れだと思っているだろう。
だからこそ、そっけないながらもそれなりに一歩に対して接してくれるし、時々は優しいところも見せてくれる。
一歩の憧れが、純粋なものだと思ってくれているから。
でも、もしもそうでないと知られてしまったら。
もしも、一歩の宮田への気持ちが憧れ以上のものであると知られてしまったなら。
宮田の態度は、どう変わってしまうのだろう。
そう思うと、怖くて仕方がなかった。

だから、何もしないのが1番いいという事は分かっている。
今までと同じように、何もなかったように過ごせばいい。
去年も一昨年も結局何も出来なかったのだから、今年だってじっとしていればいい。
そう頭では考えるのだが、気持ちは抑えきれない。
何でもいい。何か、形に残るものを宮田に贈りたい。
想いが叶う日は永遠に来なくても、せめて自分が宮田を好きになった証明を残したかった。
宮田に気付かれないように残しても、意味はないのかもしれないけれど。

意味がなくてもいい。ただ、『想い』を渡したい。
そんな風に思うものの、何をどうやって渡せばいいのか、それが思いつかない。
バレンタインといえばチョコレートだが、宮田にチョコレートを贈るわけにはいかない。
何しろ宮田はボクサーだ。普段から節制する事を求められている。
減量など殆ど必要ない自分ですら、普段から甘いものは極力避けているのだから。
宮田の減量がどの程度なのか、一歩は知らない。
だが、鷹村の2階級制覇の試合の前、川原ジムでのイーグルの公開スパーを観に行った時の宮田を思い出す。
試合直前の時期に宮田と会った事なんてなかったから、あの時は内心驚いたのだ。
普段よりずっと痩せて頬がこけた宮田の顔と、その体つきに。
そんな宮田を見た以上、余計に体調管理の邪魔になるようなものは贈れない。

チョコレートがダメなら、定番のマフラーやセーターだろうか。
しかし、可愛い女性からならともかく、一歩からそんなものを貰って宮田は喜んでくれるだろうか。
気持ち悪いとは思われないだろうか。
もっとも、例え女性から貰ったとしても、宮田の性格ならさほど喜びもしなさそうではあるけれど。
こういう『いかにも』なプレゼントは、怪しまれる可能性が高くなるから止めておいた方がいいのかもしれない、と思う。

だったら、何がいいだろうと考えても、さっぱり思いつかない。
誰かに相談しようにも、相談できる相手がいない。
自分の宮田への気持ちが本気である事を、誰にも知られてはいけない。
鷹村などにはホモホモ言われているが、あくまで冗談の範囲で済んでいる。
本当は冗談などでは済んでいない自分を、知られてしまうわけにはいかないのだ。
知られたら、きっと全てが壊れてしまうから。

「……ホントに、どうしよう」
一歩は机に突っ伏して、ため息をついた。
自分の想像力の貧困さが恨めしい。
何をどうやって贈れば、宮田に訝しく思われずに自然にプレゼントできるのだろう。
宮田の性格から考えて、実用性のあるものの方がいいだろうか。
ボクシング関連のものなら、特に深く考えずに受け取ってくれるかもしれない。
バンテージなどの消耗品は、使いはするだろうがあまりにあっさり捨てられるのも悲しい。
ボクシングシューズのように高いものは、贈る理由付けに困る。
トレーニングウェアに関しても同様だ。
それなら、スポーツタオルなんかどうだろう。
ありきたりといえばありきたりだが、値段も手頃だし却って変に思われなくて済むかもしれない。
一口にスポーツタオルとは言っても今なら色々種類もあるし、その中から宮田に合いそうなものを選べばいい。

決めた。明日、スポーツ用品の専門店に買いに行こう。
いつもの太田スポーツではなくて、もう少し大きくて品数の揃っていそうな店を探して。
そして選びながら、どうやって渡すかを考えればいい。
一旦決めると、少しだけ気分が軽くなった気がした。
一歩はもう1度宮田のページを見つめると、少しだけ微笑んで静かに雑誌を閉じた。







バレンタインデー当日。
一歩は、宮田がバイトしているコンビニから少し離れた公園のベンチに座っていた。
今日の宮田のシフトはさりげなくチェックしている。
それによると、そろそろバイトを終える頃だ。
一歩は時計を見ると、ベンチから立ち上がって公園の出口に向かう。

さりげなく、さりげなく……と呪文のように小さく呟きながら、一歩はコンビニの方へゆっくりと歩き始めた。
少し歩くと、道路を挟んだ向こう側に目的の人物の姿を発見した。
さりげなく、ともう1度心の中で呟いて、一歩は静かに深呼吸をした。
「……宮田くん!」
その声に、前を向いていた宮田が振り向き、視線が一歩の方に注がれる。
一歩は交差点まで走り、信号が青である事を確認すると一気に渡った。
宮田に駆け寄ると、宮田は少し驚いたようにその場に立ち止まっている。
その手には何やら紙袋が握られており、それの正体に一歩も勘付いてはいたのだが、敢えてそれには気付かない振りをした。
それについて口に出してしまったら、きっと声に感情が溢れ出てしまうから。
「宮田くん、こんなトコで会うなんて、ぐ、偶然だね。ジムに行く途中?」
「いや、バイト帰りだ。お前はこんなところで何してんだよ」
心なしか不機嫌そうな宮田に少し気圧されそうになりながらも、一歩は何とかその場に踏み止まった。
「ボクは、頼まれものを買いに行ってたんだ。……あ、それでさ」
一歩は出来るだけ普段通りを装って、しかし内心はかなり心臓をドキドキさせながら、小さな袋を取り出す。
「こんなの見つけて、つい買ってきちゃったんだけど。宮田くん、良かったらどうかな……」
一歩が取り出した、スポーツ用品店のロゴの入った小さな袋。
それを見て、宮田は分からないと言った表情になる。
「お前が買ってきたんだろ? 何でオレに」
「えっと、ほら、これ見てよ」
ちょっと動揺しながらも、一歩はその袋の中身を取り出す。

その中身は、もちろん宮田のために選んできたスポーツタオル。
ベースが紺色のそのタオルには、白で2人の人間のシルエットが染め抜かれている。
そのシルエットというのが、ボクシングの試合で、しかも明らかにその体勢はクロスカウンター。
「こ、これ見た時、宮田くん思い出しちゃってさ。宮田くんにどうかなって思って……」
とても宮田と視線を合わせられず、俯いてタオルを凝視しながら一歩は続ける。
「ほら、こういうの、ボクが使ってたら宮田くんも何となく嫌でしょ?」
「嫌だな」
予想していたとはいえスッパリと言い捨てられて、さすがにちょっと落ち込む。
それが伝わったのかそうでないのか、すぐにまた宮田の声が降ってきた。
「……いちいち本気にすんなよ」
「え?」
言うが早いか、宮田はそのタオルをひょいと取り上げる。
「あっ」
「何だよ。お前が、オレにくれるっつったんじゃねえか」
「も、貰ってくれるの?」
「くれるってモンは貰っとく。今使ってるタオルも、そろそろくたびれてるしな」
「うん! 良かったら使って!」
一気に表情を明るくした一歩は、宮田が手にしているタオルを受け取り、綺麗に畳んで袋にしまうと再び宮田に手渡した。

「それじゃあ、またね、宮田くん!」
目的を達成して嬉しさ最高潮の一歩は、満面の笑顔で踵を返す。
「ああ」
宮田から返ってきた小さな返事にますます気分を良くした一歩は、少々の恥ずかしさも手伝ってロードワークさながらに走り出した。



宮田にバレンタインデーのプレゼントを渡せた。
もちろん、宮田本人は全く伝わってはいないだろうけれど。
それは一歩の望んだ事だから、どうでも良かった。
ただ、今日この日に宮田にプレゼントを、自分の気持ちを贈れた事が何よりも嬉しかった。




受け取ってくれてありがとう、宮田くん。
そう小さく呟いて、一歩はまたスピードを上げた。










END











後書き。

バレンタインという事で、一歩に頑張ってもらいました。
随分悩みまくりですが、取り越し苦労なのを知らないから仕方ありません。
でも宮田以外の周囲には、もうバレバレっぽい(笑)
しかし、貰ったらありがとうくらい言おうよ、貴公子。
本当は嬉しいくせに、素直じゃないですね。本当に難儀な人です。
まあでも、一歩本人が渡せるだけで幸せみたいなので良いんでしょう、きっと。



2004年2月14日 UP




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