小さな成果



空が赤く染まり、少しひんやりとした風が髪を撫でていく。
もう3月も半ばとはいえ、日が落ちるとまだかなり寒い。
そんな中、この公園のベンチに宮田が座ってから30分ほども経とうとしている。

ひときわ強い風が吹き、宮田のすぐ横でガサガサとコンビニの袋が音を立てる。
宮田は1度袋に目を遣ると、その眉を顰めた。
自分は一体こんなところで何をしているのだろう、と思う。





先月の14日、一歩からスポーツタオルを貰った。
その事自体に、きっと意味はないのだろう。
例えその日が、バレンタインデーであったとしても。
一歩にとっては、単にたまたまその日がそうであったに過ぎないんだろうと思う。
宮田を思い出させる柄のタオルを見つけて衝動買いしてしまい、折角だからと宮田にプレゼントしてくれたその日が、偶然14日だっただけ。
そこには、その日に対する思い入れなど存在しない。
むしろ、それは当然の事だ。
一歩は男なのだから、バレンタインに誰かから貰いこそすれ、誰かにプレゼントするなんて事を考えるわけがない。

しかし、それが分かっていてもなお、宮田はあのタオルが嬉しかった。
一歩が宮田へと言ってくれた時、らしくなく心臓が強く跳ねた。
気を緩めると感情が吹き出してしまいそうで、平静を保つのにかなりの努力を要した。
1ヶ月経った今でも、あの時おかしな態度を取っていなかっただろうかと不安になる。
声や態度に、内心の動揺が表れてはいなかっただろうかと。
あれ以降も一歩の態度は変わらないし、おそらく気付かれていないとは思う。
一歩は宮田への好意を隠そうともしないが、それはボクサーとしての純粋な憧れ。
宮田が一歩を想う気持ちとは、全く違う種類のもの。
それが分かっていて、自分の気持ちを伝える事など出来るはずがない。

もしも一歩が宮田の気持ちを知ったとしたら、一体どんな顔をするのだろう。
宮田に会った時に見せるあの嬉しそうな笑顔が、一瞬にして凍り付いてしまうのだろうか。
そうなるのが普通だろう、と思う。
男に想われて嬉しい男なんているわけがない。
正直、宮田だって一歩以外の男からそんな事を言われたら気持ち悪いと思うだろう。
一歩がそう思ったとしても、何の不思議もないし、責められる事でもない。
だが、もし一歩にそんな目で見られたら。
そう考えて、宮田の背中にゾクリと冷たいものが走った。
今まで一歩からは好意だけを向けられていた宮田にとって、その想像は自分で思っていた以上の恐怖を与えた。
そんな最悪の事態になるくらいなら、ずっと今のままの関係でいいとすら思う。


ひときわ強く吹いた風に、宮田は思考に嵌まり込んでいた自分に気付く。
一歩への気持ちを自覚して以来、どうにも考える事が後ろ向きでいけない。
本当は、伝えなければ何も変わらないし前にも進めない事を分かっている。
それでも、変わらない事を望んでいるのは自分。
今までの関係を失うのが怖くて、ずっと足踏みを続けている。
自分でも情けないとは思うのだが、足を踏み出す決心がつかない。


宮田は横に置いてあるコンビニの袋を手に取り、膝の上に置く。
袋の中を覗き込むと、そこには小さなキャンディーの詰め合わせ。
バイト先で売っていたホワイトデー用の商品を、衝動的に買ってしまった。
最初から一歩にプレゼントしようと思って買ったわけじゃない。
ただ、気がついたら手に取っていた。
そして、その処遇に困ってこうして公園のベンチに1人座っている。

さすがに今日、これを一歩に渡すと変に思われかねない。
だが、例えごまかすような理由をつけてでもこれを渡せれば、自分の中で僅かでも前に踏み出せるのではないか、とそんな風に思うのだ。
今はまだ想いを伝える勇気は持てない。
だからせめて、自分の気持ちを示す行動を起こしておきたかった。

宮田は袋を持って立ち上がり、公園を出ると幕之内家の方へと歩き出した。
折角買ったものなのだから、渡してしまおう。
理由は、少々苦しいが「売れ残ったのを引き取った」とでも言えば一歩の素直さなら信じてくれるだろう。
一歩にこれを渡す事さえ出来ればいい。それが、自己満足に過ぎなくても。



しばらく歩いたところで、前方に見覚えのある姿が見えた。
すぐに一歩だと気付くものの、一歩の方は横を向いている事もあってまだこちらには気付いていない。
家に行くまでもなかったかと宮田は近付こうとして、その足を止めた。
一歩のすぐ傍に、誰か別の人物がいたからだ。
肩までのストレートの髪の、同い年くらいの女性。
宮田は直接面識はないが、前に鷹村が面白がって写真を見せに来たので知っている。
間柴の妹で、名前は確か久美とかいったはずだ。
一歩の事が好きらしいという話は聞いているが、ここから様子を見ていると確かにそれは間違いなさそうだ。
頬を赤らめて話すその両手には、リボンがかけられた小さな箱がちょこんと乗っている。
それが何なのか、宮田にはすぐに分かった。
それと同時に、コンビニの袋を持つ手に力が篭り、視線が険しくなる。

久美の持つ小さな箱。
それは明らかに、久美の目の前にいる一歩からのホワイトデーの贈り物だ。
それを大事そうに、両手で抱きしめるようにして持つ久美。
一歩の方を見れば、こちらも右手を頭に遣りながら顔を赤くして何やら話している。
端から見れば、どう見ても初々しいカップルだ。
余りにも自然に釣り合いの取れたその2人の様子に、宮田はその場で踵を返す。
これ以上、あんな嬉しそうに照れながら話す一歩を見ている事が出来なかった。






「ただいま」
居間で何かの書類を見ていた父に、宮田は一言挨拶をする。
「おかえり。随分遅かったな。……ん? 何だ、それは」
「……ああ、バイト先で売れ残ったヤツだよ。父さん、食べるかい」
そう言って、宮田は居間のテーブルに袋を置く。
その中身を覗き込んだ父の眉が微かに寄せられる。
それに気付かない振りをして宮田は居間を出ようとしたが、父に呼び止められた。
「一郎、やろうとした事を途中で投げ出すのは良くないぞ」
「……何の事だい」
「何の事かは自分が1番知っているだろう。これは持っていきなさい」
父は立ち上がると、宮田の胸の前へとその袋を突き出した。
それでも受け取ろうとしない宮田に、父は空いている方の手で宮田の手を掴んで半ば強引に持たせる。
「……一郎。大切なのは『自分がどうしたいか』だ。それを見失うと、いつか必ず後悔するぞ」
全てを見透かしたような父の言葉に、宮田は何も言えずに袋を受け取る。
そんな宮田の肩を小さく叩くと、父は居間を出て自分の部屋へ行ってしまった。
しばらくその場でじっと立ち尽くしていた宮田だが、袋を持った手を1度強く握り込むと再び玄関へと向かった。






一歩の自宅の前まで来てから、宮田は戸を叩こうとするのを何度かためらった。
先程の一歩と久美の姿が、宮田の脳裏をちらつく。
それを振り切るように軽く頭を振ると、宮田は幕之内家の戸を叩いた。

少しして、答える声と共に戸が開かれる。
その向こうに現れた人物は、目の前に宮田がいる事が信じられないのか、目を丸くしている。
「み、宮田くん!? ど、どうしたの? ……あ! どうぞ、上がって!」
両手で大袈裟に中に招き入れようとする一歩だが、宮田はそこから動かずにすっと片手を差し出した。
突然の宮田の行動がよく理解できないでいるらしい一歩は、きょとんと宮田の手の先にある袋を見つめている。
「さっさと取れよ」
その宮田の言葉に、一歩が慌てたようにその袋を受け取った。
「え……あの、宮田くん。これは……?」
そう言いながら、袋の中身を見た一歩は更に驚きを深くしたような表情になる。
当然だろう。まさか宮田からそんなものを貰うなんて思ってもいなかっただろうから。
一歩が疑問を更に口にする前に、宮田がそっけなく説明する。
「バイト先で残ったのを貰ったんだよ。ホワイトデー過ぎたらもう売れねえからな」
もちろんこれは嘘なのだが、思った通り一歩は疑う事もなく信じてしまったようだ。
「そうなんだ……。でも何でボクに?」
首を傾げて尋ねる一歩に、宮田は一瞬だけ返答に詰まった。
つい、自分の気持ちが口をついて出てしまいそうになって、ぐっと拳を握りしめて堪える。
「……オレは甘いもの食えねえからな。お前、減量は特にいらねえっつってたろ?」
一歩には視線を合わせないまま、宮田は出来る限りいつもの口調で話す。
「お袋さんとでも一緒に食えよ。どうせ家に持って帰っても、親父もオレも食わねえし」
普段通りにと思っても、つい口数が増えてしまうのは内心の焦りが隠しきれないせいだろう。
「それで、わざわざボクの家まで持ってきてくれたの?」
「別に、鷹村さんとかに持ってくと色々ややこしい事になるからな」
「あはは、確かにそれは言えるよね」
何とか納得してくれたらしい一歩に少し安心して、宮田は外していた視線を一歩に向けた。

それとほぼ同時に、一歩が心底嬉しそうな笑顔を見せた。
「ありがとう、宮田くん! 大切に食べるから!」
気を緩めていたところに不意打ちを食らって、宮田は思わず赤面しかけた。
火照りそうになる頬と早くなる鼓動を、必死で抑える。
宮田はさっと一歩に背を向けると、意識して少し低い声を出す。
「……用件はそれだけだ。じゃあな」
とにかく今の顔を見られるわけにはいかないと、宮田はすぐに歩き出した。
「宮田くん! 本当にありがとう!」
背中にぶつかる一歩の声に、後ろできっと手を振っているのだろう姿が簡単に想像できる。
宮田は振り返らないまま軽く片手を上げてやると、先程よりも僅かに歩くスピードを上げた。


一歩の家から見えなくなる程まで離れてから、ようやく宮田は足の動きを緩めた。
嬉しそうに綻んだ一歩の顔を思い出す。
ほんのささやかな満足感。
距離が縮まったわけでも、何か変化が訪れたわけでもない。
それでも何故だか妙に気分が良かった。

父に何か買って帰ろうかと思い立ち、宮田は1度立ち止まると歩く方向を変えた。









END









後書き。

バレンタインに一歩が悩んでたと思ったら、今度は宮田くんです。
恋愛に関してはある意味似た者同士。……進展しないはずです。
いやでも、ぐるぐる悩む宮田を書くのは、何故か非常に楽しくてたまりません。
……これも愛情表現ですから!
そして、またも登場宮田父。息子の考える事なんてお見通し(笑)
何たって人生の先輩ですから。



2004年3月14日 UP




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