触れ合う心



 ─ 3 ─



ベルカが去った部屋で、リンナはベッドから足を下ろした状態で腰掛け、ため息をつく。
酷く、傷付いた顔をしていた。
間違いなく、自分はベルカを傷付けてしまった。

足の上で組んだ両手に、ぐっと力を篭める。
自分は……間違っていたのだろうか?
ベルカの身体を傷付けたくないと思ってした行動が、ベルカの心を傷付けてしまった。
自分は、どちらを取れば良かったのだろう。

本当は、抱きたくてたまらなかった。
ずっとずっと、欲しくて焦がれ続けていた。
口付けている時も奉仕している時も、高揚する心と身体を抑え込むのに必死だった。
細身の身体を震わせ、甘い声を漏らし、頬を染めて切なく眉を寄せるベルカを見て、冷静でなどいられるはずがない。
すぐにでもその身体を貫いてしまいたくて、懸命に自らを戒めた。

ベルカはまだ少年と言って良い年齢で、身体的にも完成されていない。
そんなベルカを抱けば、どれだけの苦痛を与えることになるか分からない。
ただでさえ、男同士なのだ。
本来そういった行為を受け入れるようには出来ていない。
そんな身体を無理に開こうとすることは、一体どれほどの苦しみを伴うのか。

ベルカに、そんな思いをさせたくなかった。
もちろん、成長したからといって苦痛がなくなるわけではない。
それでも身体が成長すれば、きっと今よりは受け入れやすくなるだろう。

そのためならば、何年だって待てると思った。
愛おしくて、大切で、誰よりも守りたい人。
この人を傷付けずに済むなら、どれだけの時間だとしても耐えてみせる。
そう思ったからこそ、あそこで退いた。

しかし結局は、そのことでベルカの心を傷付けてしまった。
リンナは組んでいた手を外すと、枕をゆっくりとした動作で手に取る。
ベルカは一体どんな気持ちで、これを投げたのだろう。
そのことを思うと、胸が痛んだ。

自分は卑怯だ。
ベルカの身体を心配していると言いながら、それだけではない自分を知っている。
いや、ベルカの身体を思っていることは真実だが、自分の心の中にあるもうひとつの理由をあの時ベルカに告げなかった。
それは、あまりに自分勝手な理由で、口にするのを躊躇ってしまった。

ちゃんと話をしなければ、と思う。
今、リンナの胸の内にあることを、すべて伝えなければ。
重いと思われるかもしれない……それでも。



翌日、機を見て話をと思うのだが、ベルカの方が2人きりになるのを避けているらしくなかなか叶わない。
執務中や講義の時間は当然そんな話など出来るわけもないが、休憩を取るときも常に他の誰かと一緒にいる。
やはり昨夜のことが尾を引いているのだろう、ベルカはリンナの方を見ようとすらしない。
普段ならベルカ自ら率先してセッティングするお茶の時間も、今日はリンナが言い出しても「今日はいい」の一言で終わらされてしまった。

1日の予定がすべて終了し、風呂も食事も済ませたベルカは早々に自室へと引き上げてしまった。
リンナはベルカの自室の前でひとつ深呼吸をし、控えめにノックをする。
「殿下、少しよろしいでしょうか」
しかし、部屋の中から返事はない。
もうひとつ今度は少し強めにノックをして呼びかけるが、やはり無反応だ。
出たくない、ということなのだろう。

だが、ここで引き上げてしまっては、明日以降も同じことの繰り返しだ。
リンナは、少なくとも声は聞こえているはずだと部屋の中へ向かって口を開く。

「……殿下、どうしても今夜、お話したいことがございます。
 私と話などしたくないとお思いかもしれませんが、どうか少しだけでもお時間をいただきたく存じます。
 殿下にお許しをいただけるまで、ここでお待ちしております」

それだけを告げて、リンナは廊下を少し下がって壁際に立つ。
一晩中でもずっと待っている覚悟で、リンナは扉を見つめる。
後は、ベルカの心次第だ。







ベルカは扉の前に立ち、じっと見つめる。
リンナが今、この扉の向こうにいる。
それを分かっていても、この扉を開けることがベルカには出来なかった。

話がしたいと言ったリンナ。
用件は間違いなく昨夜のことだろう。
一体リンナは、何を言おうとしているのか。
もしも、抱かなかったことを謝罪などされたらベルカはますます辛くなるだけだ。

一度扉に手を伸ばしかけ、ギュッと手を握り締めて引き戻す。
ダメだ、今は話なんて聞く気になれない。
ベルカは踵を返すと、寝室へと向かった。

早々にベッドに潜り込むが、眠気はさっぱり訪れない。
昨夜もロクに寝ていないのだから、睡眠は不足しているはずなのに。
それでも昨夜のように無理やり寝ようと、目を閉じて上掛けを頭まで被った。

……ふと意識が浮上し、ベルカは身じろぐ。
どうやら目を閉じていた甲斐があって、うとうととしていたようだ。
だが熟睡には程遠く、再び意識は覚醒してしまった。
もぞもぞとシーツから顔を出す。
もうすっかり真夜中で、シンとした空気だけが辺りを満たしている。

ベルカは暗い部屋の中で、扉の方を見つめる。
さすがにもう、部屋に戻っただろう。
そう思うのに、心のどこかではきっとまだ立っているに違いないと考えている。

もう冬も終わりに近いとはいえ、夜はまだ随分と冷える。
特に、廊下はかなりの寒さだろう。
ベルカは一度ギュッとシーツを握り締めると、ベッドから下りて寝室を出た。

火を入れて居室を暖め、部屋に備え付けてある茶器で熱い紅茶を淹れる。
2人分のお茶をテーブルの上に置くと、扉の方へ向かう。
扉の前で深呼吸をすると、一気に開いた。

やはり、と言うべきか。
リンナが突然開かれた扉から現れたベルカを、驚いたように見つめている。
「……殿下」
ベルカはそんなリンナに近付くと、その手を取る。
その手の冷たさに眉を寄せながらも、有無を言わせぬ強さでリンナを部屋へと引っ張る。
そして、戸惑っているリンナを強引にソファに座らせると、自らもテーブルを挟んで向かい合う形で腰を下ろす。

「……飲めよ」
紅茶を指差しながら、ぶっきらぼうに言い放つ。
「それとも、俺の淹れたお茶じゃ嫌なのか?」
「いえ、とんでもございません! ……いただきます」
そう答えると、リンナはカップを持ち上げ、ゆっくりと口をつける。
一口飲んでホウと息を吐くリンナに、ベルカもまた息をつく。
少しは、これで身体も温まるだろうか。

僅かな沈黙の後、リンナがカップを置く音が小さく鳴る。
「殿下……昨夜のことで、少しお話がしたいのですが、よろしいでしょうか」
「……ああ」
答えながら、知らず全身に緊張が走る。

「昨夜退いたのは、殿下のお身体が心配だからだという言葉は本当です。ですが……」
リンナは一旦言葉を切り、少し迷うような素振りを見せた後に再び口を開く。
「それだけではないことを、私は殿下に申し上げられませんでした」
「……どういうことだ?」
「私はきっと……怖かったのです」
そう告げられた言葉の意味が、ベルカには分からなかった。
ベルカを抱くことの、一体何が怖かったというのだろう。
男との性行為という未知のものへの恐怖だろうか。

「最初は、お傍でお守りしていければ良いと思っておりました」
静かな口調で、リンナが語り始める。
「殿下のお傍にいさせてもらえるだけで幸福だと、そう信じていました」
ですが、とリンナは膝の上で両手をきつく握り締める。
「殿下が他の誰かを頼りにする様子を目にすると心がざわめくようになり……縁談のお話を聞いたときに、思い知りました」
一度目を伏せ、再び開かれた瞳がベルカを見つめる。
「他人に渡したくないと。殿下が誰かを愛する様など見たくないと」
それは、告白を受けたときにも聞いた言葉だった。
「そうしてその気持ちを殿下にお伝えし…………殿下は受け入れてくださいました」
「なら……何が、怖いんだ」
リンナの言う通り、ベルカはリンナの気持ちを受け入れた。
それならば、ベルカを抱くことに怖いことなど何もないはずだ。

「限りなく膨れ上がる望みが……怖いのです」
「望み?」
「ひとつ願いが叶うごとに、次はもっと欲深い望みが生まれていきます」
苦しげに眉を寄せ、リンナは搾り出すように続けた。

「殿下を想うようになって、欲望というものは際限がないものなのだと思い知りました。
 傍にいることが叶えば、好かれたいと願うようになる。
 それが叶えば次はその好意を独占したいと願い、更には心も身体もすべて手に入れたいと……」
そこで一度言葉を切り、リンナが目を閉じる。
「もしひとたび抱いてしまえば、歯止めが効かなくなるかもしれない。殿下を傷付けてしまうかもしれない。
 そうしていつか耐えかねた殿下が、自分から離れてしまうかもしれない。
 そう思うと……怖かったのです」
リンナが言葉を発することを終えると、部屋に沈黙が下りる。

しばらくは黙っていたベルカだったが、顔を上げるとリンナを見つめ、ため息をつく。
「リンナ、おまえ…………バカだろ」
「……は……」
突然向けられた言葉に、リンナは目を丸くしている。
そんなリンナの様子に、ベルカは苦笑する。

先程までの緊張は、すっかり消えていた。
『心も身体もすべて手に入れたい』
何だそうだったのかと、ベルカは笑う。
リンナはベルカを欲しくないわけではなく、欲しすぎてどうしようもなかったのだ。
それが分かってしまったら、随分とベルカにも余裕が生まれてしまった。

「別に、歯止めが効かなくなってもいいよ」
「い、いえ、しかし……」
「もし本当にそうなっても、ヤりたくねえときはヤりたくねえって言うし。
 まさか、嫌だっつってんのに力ずくでヤることはねえだろ」
「それはもちろんですが……」
そもそも、自制心の塊みたいなリンナの歯止めが効かなくなるなら、いっそ見てみたい気すらする。

「おまえさ、前に『どうか自分を信じてくれ』って俺に言ったけど……おまえも、俺を信じろよ」
「私は、殿下を信じております!」
「だったら、そんな怖がるなよ。俺がおまえから離れてくなんて、絶対ねえよ」
そう言って、ベルカは紅茶のカップを手に取る。

「嫌なときはちゃんとそう言うから。だから、俺がそう言うまでは好きなだけ求めろよ」
「殿下……」
ひとくち飲んで紅茶を置くと、ベルカは僅かに俯く。
「……俺だって、その方が嬉しいんだから」
さすがに恥ずかしくなって声が小さくなってしまったが、リンナにはちゃんと聞こえたようだ。
はい、と小さな、しかし柔らかい声音がベルカの耳に届いた。

「だったら……もう、俺の身体が心配だからどうとか、言わねえよな?」
「それは……しかし、実際にお辛い思いをなさるのは殿下ですので……」
「だから、だよ。その『辛い思い』ってのをするのは俺なんだから、おまえが決めることじゃねえだろ」
未だ煮え切らないリンナの態度に焦れて、そう言い募る。

「確かに時間はあるけどさ、お互い欲しいって思ってるのに我慢続けてたんじゃ、もったいないと思わないか?」
「……そうかもしれませんね」
ベルカもリンナも、本当に相手が好きで、触れ合いたいと思っている。
それならば、その気持ちのままに抱き合うことが悪いだなんてベルカは決して思わない。

「そうと決まったら早速今夜……ってわけにはいかねえか、さすがに」
そう言って、ベルカは苦笑する。
今夜は既に真夜中も過ぎ、あとしばらくすれば空が白み始めるだろう。
昨夜もロクに眠れていないし、それはおそらくリンナも同様だろう。
リンナもそう思っているのか、同じように苦笑している。

「今夜はもう部屋に戻って休めよ。……けど」
一度言葉を切って、リンナを見てニッと笑う。
「今度はおまえが俺の部屋に忍んで来いよ」
言ってやると、リンナは目をパチクリとさせた後で微笑んだ。
「はい、殿下」
「……ただし、1週間以内な」
「い、1週間、ですか?」
「だっておまえ、期限切らないといつまで経っても来ねーだろ」
図星だったのか、リンナが言葉に詰まっている。

そんなリンナを見て、ベルカは楽しそうに笑う。
昨夜はあんなにも最低の気分だったのに、単純だと自分でも思う。
けれど、そんな今の自分が決して嫌ではなかった。

半ば強引に期限付きの約束を取り付けて、リンナを部屋から送り出そうと後に付いていく。
不意に、ドアを開けようとしていたリンナが振り向いた。
「殿下」
「ん? 何だ?」
身体ごと向き直ったリンナは、少し言い難そうな様子で一度口を開いては閉じる。

何も言わずに待っていると、リンナが意を決したようにベルカを見た。
「……先程、殿下は『好きなだけ求めても良い』と仰ってくださいました」
「ああ。いいぞ、いくらでも」
「では……このまま部屋を出る前に…………口付けだけ、よろしいでしょうか」
言いながら、リンナの右手がベルカの頬に伸びてきた。

頬に触れた手の温もりに、きゅ、と胸が締め付けられるような感覚がした。
たとえ口付けだけでも、リンナの方から求めてきたのは初めてだ。
そのことが嬉しくて、ベルカは表情を綻ばせる。
「……それくらいなら、いちいち許可取んな」
そう言って、ベルカは目を閉じる。

右手は頬に添えられたまま、左手で腰を抱き寄せられ、ゆっくりと吐息が重なった。




後書き。

書きながら、リンナもうおまえいい加減覚悟決めろよおいいいいいってのたうってました。
でも、最後でちょっとだけ積極的(?)になりました!
こうやって少しずつナチュラルにいちゃつくようになっていくといいんじゃないかなと思います。
いやまあ普段から無自覚でいちゃついてるんですけどね、この2人。
残念ながら初夜までは辿り着かなかったので、リンナがベルカの寝所に忍んでいく初夜話はまた後日に!



2011年2月20日 UP




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