真贋



偽物の平穏。
偽物の英雄王。
偽物の御伽の国。



王后の席に座りながら、コーネリアは冷たい眼差しでこの国を見つめる。
英雄王と称えられ、国民の尊敬を得ている隣に座る男を、コーネリアは今すぐにでも殺してやりたい気持ちでいっぱいだった。

優しく、勇敢で、暖かい笑顔をいつも向けてくれた、最愛の人。
その人を、この男が殺した。
今でも目に焼きついている。
血に染まった船長服。もう何も映さなくなった虚ろな瞳。
そして、その胸に突き立ったナイフと、それを両手で握り締める男の姿。

本当は、その場で殺してやりたかった。
けれど、相手は修羅場をいくつも潜り抜けてきた囚人の男。
一介の医術師の女でしかないコーネリアに、敵うはずなどなかった。
一緒にいた船員が取り押さえようとしたが返り討ちに遭い、コーネリアもその場で誇りを踏みにじられた。

何故、ライツがその後でコーネリアが身体を引き摺りながら逃げていくのを見逃したか。
そして、何故船長派全員を殺しておきながら、コーネリアを生かしてあまつさえ后になどしたのか。
それはきっと、ライツの、ロヴィスコに対する劣等感。
ロヴィスコの婚約者だったコーネリアを自分のものにすることで、ロヴィスコの上に立ちたかったのだろう。

けれど、身体は力ずくで奪われても、心は渡さない。
死ぬまで、いや死んでも永遠に、あの男はロヴィスコには勝てない。





それから数年が過ぎた頃。
ライツが突然、文字を習いたいと言い出した。
いや、「突然」ではないのだろう。
以前、ライツがロヴィスコの手記を眺めていたのを見たことがあった。
どうしてライツがそれを大事に仕舞いこんであるのかと、不審に思ったことを覚えている。
取り戻そうとしたが、厳重に鍵がかかっていて何度試してみても開けられなかった。
「政務のため」とは言っていたが、おそらく本来の目的はこの手記なのだろうと直感的に悟った。

最初は、取り合わなかった。
他の者に頼めばいいと、一蹴した。
けれどライツは諦めず、毎日のようにコーネリアに文字を教えてほしいと頼み続けた。
1ヶ月も過ぎた頃には、さすがにコーネリアも根負けをしてしまい、結局引き受ける羽目になってしまった。

ライツは、思いの外真面目に文字を勉強した。
かなり厳しめに教えたが、それでもライツは多少の軽口や憎まれ口は叩きながらも文句は言わなかった。
おぼつかない手つきで真剣に文字を書き、手でなぞりながら文章を読むライツ。
その姿は、船で見ていたライツとはあまりにかけ離れた姿で、コーネリアは少なからず戸惑う。

何故、今更こんな姿を見せるのだろう。
ロヴィスコを殺し、たくさんの仲間やホクレア達を惨殺したくせに。
今更真面目な姿など見せられたところで、許せるはずなどない。
傲岸不遜な顔を貫いてくれれば、何の迷いもなく心の底から憎み続けていられるのに。





それからしばらくして、ライツの子を身篭った。
懐妊を知ったときは、いっそ目の前の階段から落ちてしまおうかとも思った。
けれど、出来なかった。
自らの内に息づく、確かな生命。
それを、自分の手で摘み取ってしまうことは出来なかった。

男の子が産まれ、国中が世継ぎの誕生を喜びをもって迎えた。
あの子は…………どうしているだろうか。
ライツに捕まる前にホクレアに預けた、ロヴィスコとの子────マルコ。
無事に、生き延びてくれただろうか。
傍にいてやれないばかりか、仇の妻に納まっているコーネリアを、憎んでいるだろうか。

それでもいい、と思う。
自分を憎んでいても、もう二度と会えなくても。
どこかで幸せに暮らしていてくれればいい。
ロヴィスコが生きられなかった人生を、マルコは生き抜いてほしい。

泣き声にハッと我に返り、慌てて腕の中の我が子をあやす。
憎い仇の子とはいえ、この子もコーネリアの息子であることに変わりはない。
この子には、何の罪もないのだ。

「コーネリア」
声に振り向くと、ライツが部屋に入ってきたところだった。
一度姿を確認した後、フイと顔を背けて子供に視線を戻す。
「俺も……抱いていいか?」
傍に近付いてきたライツが、椅子に座るコーネリアの横に立つ。

しばらくは黙ったまま座っていたが、ひとつため息をつくと立ち上がる。
ライツに向かい合うように立ち、ゆっくりと赤ん坊を差し出した。
その子を恐る恐るといった様子で抱きかかえるが、途端に赤ん坊が泣き出す。
「え、あっ、ど、どうすればいいんだ!?
「ちゃんと首を支えて! ほら、おしりの方も!」
しっかりと子供を支えられるように手を貸し、コーネリアも横からあやす。
「必要以上にうろたえないで、この子の方が不安になるわ」
そう言うと、ライツも何とか気分を落ち着かせ、拙いながらも赤ん坊をよしよしとあやしている。

そうしている内に赤ん坊も泣き止み、きゃっきゃと笑い出した。
そんな我が子を見て、ライツに少し照れたような笑みが零れた。
嬉しそうに、子供の額に自分の額をくっつけたりしている。

コーネリアは、無意識に一歩後ろに下がる。
そんな顔を見せないでほしい。
どうして、自分勝手で傲慢で最低な男のままでいてくれないのか。

恐ろしかった。
自分の心が変質していってしまいそうなことが。
憎み続けていたい。
コーネリアからロヴィスコを奪った男を、最後まで憎み抜きたい。
そうでなければ、ロヴィスコや殺されていった仲間たちを裏切ることになる。

身体が知らず震える。
怖い、変わりたくない。
両手で自らの身体を抱くコーネリアの様子に気付いたのか、ライツが眉を寄せている。
「……コーネリア?」
その声を聞いていたくなくて、コーネリアはライツの横をすり抜けると部屋を飛び出した。

「おい、コーネリア!」
赤ん坊を抱いたまま慌てて追いかけてくるライツを振り切るように、コーネリアは走っていく。
いや、走っていこうとした。
だが、突然胸に強烈な痛みが走ったかと思うと、その場に崩れ落ちた。
激しい痛みに、呼吸困難。
警備の衛士やメイドたちが大騒ぎをしている。
「医術師を呼べ!」などと怒号が飛ぶ中、コーネリアは自分の身体に起こったことの可能性を妙に冷静に判断していた。
コーネリア自身、船団の医長を務めていた医術師なのだ。
今の自分の症状はきっと…………この国の医術レベルではどうにもならないもの。

「コーネリア! しっかりしろよ、おい! コーネリア!」
必死な様子で自分を呼ぶライツの声が聞こえる。
何をそんなに必死になっているのだろう。
所詮ライツにとってコーネリアは、ロヴィスコに勝つための自己満足の道具でしかないのに。





それから、コーネリアは床に臥すこととなった。
多少歩くことは出来るものの、すぐに発作が起こる。
常に痛みに苛まれ、鎮痛薬を常用する。
もう、そう長くはないと悟った。
あと半年もつかどうか、といったところだろう。

徐々に意識が上昇し、コーネリアは目を開く。
まだ部屋の中が暗いところを見ると、夜明け前のようだ。
普段なら就寝前に飲む薬で朝まで起きないのだが、薬に慣れて効きにくくなっているのかもしれない。
それでもまだ鎮痛成分は効いているようで、今は大して痛みは感じなかった。

ふと手に温もりが触れていることに気付き、顔を向ける。
「……どうして?」
つい、小さく掠れた声が漏れた。

コーネリアの手を握り、ベッドに突っ伏すように眠っているのは…………ライツ。
そういえば、とコーネリアは思い返す。
夜、眠る前も。朝、起きたときも。
常に、ライツはここにいた。
コーネリアが眠った後に部屋に戻り、目覚める前に来ているのだろうと、さして気に留めていなかった。
まさか、ライツは毎日ずっとここで眠っていたのだろうか。
……コーネリアの手を、握ったまま。

昼間も、政務の時間の合間を縫ってライツはここに来ていた。
コーネリアに会わせるためなのだろう、いつも我が子を抱いて。
「さっさと元気にならねーと、俺が好き勝手に育てちまうぞ」
そんなことを言いながら、柔らかい小さな手をコーネリアの頬に触れさせたりしていた。

暗い部屋の中に浮かぶ金色の髪が、不意に歪んで見えた。
目の奥がツンと熱くなって、雫が目尻から零れていく。
どんなに堪えようとしても、雫は止まることを知らずに流れていく。

この涙が、どんな意味を持った涙なのか。
コーネリア自身にも、分からなかった。
だけど、握られたその手があまりにも暖かく、病のせいでなく胸が苦しかった。





そして、最期の時はやってきた。
もう頭を動かすことすら億劫で、鎮痛薬も殆ど効かなくなっていた。
次に瞼を閉じれば、もう二度とそれが開かれることはないだろう。

傍に座っているライツや医師たちもそれが分かっているのか、一様に悲痛な顔をしている。
相変わらず、ライツはコーネリアの手を握ったままだ。
逝くなと、そう伝えたいかのように、コーネリアの左手を両手で握り締めている。

これでやっと、ロヴィスコの元へと行ける。
それはコーネリアにとって、何よりも待ち望んだことのはずだった。
なのに、何故だろう。
この手の温もりを感じられなくなるのが、ほんの少し寂しいと思ってしまうのは。

瞳に浮かぶ涙は、たぶん、病の痛みのせいだけではない。
それが分かっていても、もうどうしようもなかった。

何故、こんな風になってしまったのだろう。
いっそ、ライツに捕らわれる前に舌を噛んで命を断てば良かったのだろうか。
そうすれば、ロヴィスコだけを愛し、ライツを心から憎んだままでいられただろうか。

コーネリアは、視線をライツに向ける。
今にも泣き出しそうな、あまりにもらしくないその顔に、僅かな笑みが零れる。
痛みは未だ全身を苛んでいたが、何故か不思議に辛さは忘れられた。

最後に一度だけ。
一度だけこの言葉をライツに伝えることを、ロヴィスコは許してくれるだろうか。
「……ライツ……」
浅い呼吸の合間に振り絞るように名を呼ぶと、ライツが身を乗り出す。


「……ありがとう」


瞬間、ライツの頬に涙が一筋流れた。
初めて見たその涙に、コーネリアは小さく笑う。
血も涙もない人間だと、思ったこともあった。
けれど、そうではないのだと、最期の瞬間に知ることが出来た。





偽物の平穏。
偽物の英雄王。
偽物の御伽の国。

けれど、いつか、それは本物になるのかもしれない。
長い年月をかけて本物になったなら、そのときはライツも同じところに来ればいい。
きっと、ロヴィスコは許してくれるから。
すべてを本物にした、そんなライツを、微笑んで迎えてくれるから。



握られた手から伝わる温もりを感じながら、コーネリアは静かに目を閉じた。




後書き。

「御伽の国」のコーネリアバージョン、ということで書きました。
何だかライネリ風味になりました。
揺れるコーネリアが書きたかったのと、「御伽の国」におけるライツに少し報われてほしかった、というのもあります。
痛い苦しい話になりましたが、一筋の救いが伝われば幸いです。



2011年3月16日 UP




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