しんしんと、雪が降り積もる。
外には、真っ白な世界。
その白い景色も、連珠にはただ「白い」ものとしてしか映らない。
かけあわせた濃い血の弊害か、連珠は生まれつき視力が弱かった。
まったく見えないわけではないが、ひとりで行動するには少しつらい。
まして、足も弱く、杖がなくては歩けない。
侍女を従えずに行動することすら、普段は殆どなかった。
音のない世界でひとり、ただ、白を見つめる。
連珠は、この世界しか知らない。
ほんの幼子の頃、大巫女として強い力を認められてからずっとここにいる。
閉じられた、小さな世界。
静寂を破り、遠くからパタパタと足音が近づいてくる。
その足音に、トクン、と鼓動が僅かに強い音を立てる。
この足音の主は、ただひとりだ。
もうすぐ、そこの角を曲がってくる。
視線をそちらに向けるのと、人影が飛び出してくるのは同時だった。
「連珠様、こちらにおいででしたか」
ホッとしたような笑顔が向けられたのが分かる。
「天鼓。どうしたのです」
そう尋ねると、天鼓はこちらに駆け寄って一度ため息をついた。
「どうしたのではございません。侍女もつけずにいなくなられたと聞いて、探していたのです」
よく見ると、体力があるはずの天鼓の息が僅かに弾んでいる。
本当に慌てさせてしまったのだと思い、連珠は素直に頭を下げた。
「すみません、天鼓。心配をかけてしまいました」
「いえ、連珠様がご無事ならばそれで良いのです」
それよりも、と天鼓が外に視線をやりながら言葉を続ける。
「このようなところで、おひとりでどうされたのですか」
先日、侵入者があったばかりであるだけに、外に面したところに連珠がいるのは不安なのだろう。
天鼓の声には心配の色が混じっている。
心配してくれていることを嬉しく思いつつも、連珠は答えられずに黙ってしまう。
ただ、少しひとりになりたかった。
寝室や大巫女の間では、常に誰かが付き従っている。
だから、ほんの束の間、ひとりで思索に耽りたかっただけなのだ。
もうすぐ、ここからいなくなってしまう人のことを。
「……天鼓、もう準備は済んだのですか」
「はい、おおよそは」
「そう、ですか」
あともう少し。もう少しで、天鼓はここからいなくなる。
ここを訪れたベルカに付いて、この聖地を出て行く。
それは、天鼓の立場を考えれば至極当然のことと言えた。
元々天鼓は、石の都の王太子だったヘクトルの従者だったのだ。
そして、ベルカはヘクトルの弟で石の都の王子だ。
天鼓がベルカに付いていくのは、自らの責務を果たすことなのだろう。
それは、理解している。
天鼓がこの聖地で連珠や昴の護衛をしている現状の方が、むしろ臨時的な役割なのだ。
きちんと分かっているはずなのに、心が乱れるのは何故なのだろう。
聖地へ天鼓がヘクトルと共にやってきたのは、そんなにも昔のことではない。
けれどいつの間にか、天鼓がここにいるのが当然のように感じていた。
いつか、本来いるべき場所へ帰ることを、知らなかったわけではなかったのに。
「今、連珠様や昴様のお傍を離れることには躊躇いも感じてしまうのですが……申し訳ありません」
帽子を取り頭を下げる天鼓に、連珠は静かに首を振る。
「謝罪することではありません。今あなたがすべきことは、私たちを守ることではありません」
自分で口にした言葉で、チクリと棘が刺さる。
「どうか……暁たちを助けてあげてください」
「……はい、連珠様。必ず」
真っ直ぐに向けられた視線に、出来る限りの微笑みを返す。
出て行けば、もう天鼓は戻らないのかもしれない。
石の都の現状は、暁から天鼓を通して聞いていた。
このままベルカ────暁に付いていけば、天鼓はそのまま石の都で暁を助けながら生きていくのだろう。
もしも暁が志を貫いてホクレアが迫害されることがなくなれば、護衛の必要すらなくなる。
そうすれば、天鼓がこの聖地へ戻ってくる理由などないのだから。
もう、会えない。
心の内でそう言葉にしただけで、胸が締め付けられるように痛んだ。
名を呼ぶ声も、優しい笑顔も、すべて失くしてしまう。
行かないでほしいとは言えなかった。
天鼓には天鼓の生き方がある。
この聖地という小さな世界で生きる連珠の傍で、縛ってはいけない。
そんなことをする権利など連珠にはないし、あったとしてもしてはならない。
縛ってしまえば、天鼓という星は輝きを鈍らせてしまうだろう。
「天鼓、今まで聖地を守ってくれて、本当に感謝しています」
決して、それ以上を望んではいけない。
「これから石の都で大変でしょうけれど、この空に輝く光はいつでもあなたを見守っています」
連珠には祈ることしか出来ないけれど。
それでも、心から天鼓の無事と幸せを祈っていようと思った。
「ありがとうございます、連珠様」
ですが、と、天鼓は言葉を続ける。
「私は叶うならば、いずれまたこの地に戻り、聖地と……連珠様をお守りしたいと願っております」
天鼓の言葉に、連珠は戸惑う。
「あなたは……石の都ですべきことがあるはずです……」
「はい。私はヘクトル様のご遺志をベルカ殿下に託し、お助けしていこうと思っています」
「それならば……」
「ベルカ殿下がお志を果たし、アゼルプラードの民もホクレアも幸福になれる道が見つかったなら……」
天鼓は一度目を閉じ、少し間を置いてからゆるりと瞼を開く。
「いつか、私の役割をすべて終えたならそのときは…………ここで連珠様をお守りしたいのです」
真っ直ぐな瞳が、連珠に向けられている。
キュ、と胸が苦しくなって、連珠は胸の前で手を握り締めた。
本当に、天鼓は戻ってきてくれるのだろうか。
どんなに時間がかかっても、いつか役目を終え、連珠のところへ。
……そして、自分はそれまで生きていられるのだろうか。
濃すぎる血は、力を色濃く継ぐことと引き換えに生命力を奪ってきた。
特に大巫女は、代を重ねるごとに緩やかに短命になっていった。
連珠も、そして昴も…………他のホクレアたちより遥かに命の灯火は短いだろう。
「必ず……戻ってまいります」
連珠の心の内を感じ取ったのか、天鼓は真剣な声音でそう告げ、その場に跪く。
そうして、右手をゆっくりと差し出した。
「連珠様。どうか、お手に触れることをお許し願えますか」
天鼓の願いに、連珠は一瞬だけ躊躇いながらも、そっと手を重ねた。
「無事に役目を終え、必ず連珠様の元へと戻ることを……今ここに誓います」
天鼓は連珠を見上げながら誓いを立て、そうして手の甲に静かに口付けを落とした。
初めて肌に触れた唇は温かく、僅かにかかった吐息がとても熱く思えた。
「信じて……いただけますか」
その不安そうな声に、連珠は泣きそうな思いで微笑んだ。
「はい……天鼓。信じています」
「ありがとうございます、連珠様」
嬉しそうに笑う天鼓を見て、胸の痛みが少し消えた気がした。
ずっと会えなくても、決して結ばれることなどなくても…………いつか、戻ってきてくれるなら。
きっと、そのときを待っていられる。
大巫女である連珠には、強い力を持った巫を婿に迎え、血を残す義務がある。
ホクレア名を授かったとはいえ、天鼓は石の都の民だ。
天鼓に自らの中にある想いを告げることなど、決して許されることではない。
けれど、戻ってきた天鼓が傍にいてくれれば、それだけでいい。
そして願わくは、自分の短い生の最期の瞬間に天鼓がいてくれればいいと思う。
そうすればきっと、連珠はこの生を「幸せ」だったと思える。
天鼓に出逢えたことを。天鼓の傍で逝けたことを。
未だ温もりを感じる自らの手の甲に、連珠は儀式のような口付けを落とした。
後書き。
どうしても萌えて書きたくなった天連です。
連珠さま視点で書いてるので、天連というよりも天←連のような感じですが……。
天鼓の方も色々と葛藤とか思うところとかあるんだろうなと思います。
手放しの幸せは望めなさそうな2人なのが切ないところですが、せめて仄かな幸せを掴んでほしいです……。