迷いの道



カミーノへの物資の供給が止められる。
そう聞いたとき、何かやりきれない気持ちを感じた。
予想していたはずのことだった。
王府が今のヴィゼ・カミーノの状態を放っておくはずがないことを。
だから、いずれ王太子領からの物資の運搬が止められるのは分かっていたことだった。

物資が届かなくなれば、中の人々は生きていけない。
大病禍にまだかかっていないと思われるベルカたちは外に出られるかもしれないが、元々のカミーノの住民は死を待つだけとなるだろう。

本当に、それでいいのだろうか。

城壁の中から配られた凄まじく不味い薬湯を、じっと見つめる。
この薬湯は味はともかく、確かに効果があるように見えた。
実際にあの薬湯が配られるようになってから、病に罹るものは現れなかった。
中で葬送の曲が減っていったのも、あの薬湯やおそらくは中で行われているであろう治療のおかげなのだとしたら。

伝え聞いた話では、中で治療を行っているのは街の医術師と、ベルカが連れてきたアモンテールだという。
アモンテールが街の人間を救っている。
そんなこと、最初は信じられなかった。
しかし、極稀に開かれる城門の中は、確かに少しずつ活気付いているように見えた。
そしてそのことに、少なからずホッとしている自分がいたのだ。
けれどそれも、このままではすべてが無駄になってしまう。



王府からの使者がベルカ王子に謁見することになり、城門が開かれる。
門の傍に見張りとして立っていれば、自然とベルカと使者の会話が聞こえてくる。
自分も最初は、王府からの使者は大病禍の治療についての話をしに来たのだと思っていた。
それならば、中の彼らは助かるのかもしれない。そう思って安堵した。
しかし、話を聞く限りではそのような様子は見られなかった。

ベルカの望みは、カミーノを含めた病に苦しむ民たちを救うこと。
そして、そのために尽力した王太子領の兵やアモンテール──ベルカは『ホクレア』と呼んでいるようだ──を守ろうとしている。
だが、それに対して王府からの使者の言い分は、少なくとも自分が聞いた限りでは民を救うことよりも自分たちの立場を守ることに意識を割いているように思えた。
ベルカが救いの象徴として民の支持を集めかけていることを利用し、ベルカ自身にオルセリートへの民の支持を強めるための言葉を言わせようとしている。
それも、脅迫まがいの方法を使って。

ベルカの従者のことは、よく知らない。
しかし、それを告げられたときのベルカの表情の変化が印象に残った。
それまでは毅然と冷静に対応していたベルカが、初めて愕然とした様子を見せた。
その時に使者が見せた笑みを見る限り、ベルカの反応を分かっていて話を持ち出したのだろう。
こちらの要求を飲めば、従者を返すと。
それは裏を返せば、要求を飲まなければ従者の身の安全は保障しないということだ。
これが、脅迫ではなくて何だというのだろう。

それに、オルセリートが本当に大病禍から民を救う意思があるのなら、オルセリート自身が足を運ぶべきなのではないか。
王府からそう遠く離れているわけではないし、何もカミーノの街に入らずとも使者のように城門の外でもいい。
オルセリート本人が来れば、カミーノに救いを求める民も鎮められるだろう。
「ベルカ殿下とお心を共にしている」と言うのならば、尚更だ。
ベルカ自身は大病禍の危険を承知の上でカミーノの街に入り、民に治療を施しているのだから。
しかし実際は、オルセリート自身がカミーノに来るどころか、手紙さえ届かない。
ベルカは何度も自分たちにオルセリートへの手紙を託し、自分たちもそれを王府へと届けているのに、だ。
ただの一通も、オルセリートからベルカへ返事は来ない。
それなのに、心は共になどと一体誰が信じられるだろう。





見張りを交代してテントに戻る。
同じように数人の仲間たちが戻るが、誰も言葉を発しないで黙って座っていた。

そんな中、ポツリと声が零れた。
「……本当に、このままでいいのかな」
呟いた兵は、下を向いたままだ。
「俺たち……ひょっとして、取り返しのつかないことをしようとしてるんじゃないか?」
その声に言葉は返らない。

けれど、皆、考えていることはきっと同じだろう。
大病禍という死神の鎌。
それに対抗しうる術を見つけたのは、ベルカとアモンテールたち。
彼らが全滅すれば、その術も永遠に失われてしまうのではないか。
いや、自分たちにその鎌が振るわれるのはもっと前かもしれない。
物資の供給が止められれば、例の薬湯も作れなくなるだろう。
数が十分に揃わなければ、真っ先に配給が打ち切られるのは外にいる自分たちだ。

病自体はまだ街中に蔓延しているだろう。
それが城壁の外に漏れない保証はないし、そもそも病が出たのはこのカミーノだけではない。
あの薬湯を飲まなくなった後、その死神の鎌が自分たちに振り下ろされたら?
そのとき、自分たちを救ってくれるのは誰なのか。

王府が病に罹った自分達を救ってくれるか。
答えは「否」だ。
カミーノを見捨てたように、自分たちも城壁の中に放り込まれて死を待つだけになるだろう。
今のカミーノの状況は決して他人事ではない。明日は我が身なのだ。

「なあ…………アモンテールって、本当に……魔物なのか?」
ひとりが、小さな声で呟く。
「おまえ、何言ってんだ!」
「だって、街のヤツのために大病禍の薬作ってんのってアモンテールだって聞いたぞ!?
「それは……」
反論していた兵が、言葉に詰まる。

「ベルカ殿下が、仰ってたよな」
先程のベルカと使者との会話を思い出す。
「病を治療できてるのは『ホクレアが血や吐瀉物なんかを処理してくれているからだ』って。
 ホクレアって、アモンテールのことだろ?」
そういえば、あの時、ベルカの後ろにひとりアモンテールの女がいた気がする。
「『魔物』が、街の人間のために、わざわざそんなことするのか?」
それも、ずっと自分たちを迫害し続けていた人間たちのために。
その言葉に、皆、一様に黙ってしまう。

ふ、と思い出したことがあり、男は口を開いた。
「そういえば……ヘクトル様も王府にお帰りになられた際、アモンテールを連れてらしたな」
見た目は人と変わらない、魔物。
けれど、見た目だけではなく、本当に人と同じものなのだとしたら。
実際にヘクトルは言っていた。アモンテールも人として考えるべきだ、と。
あの時はアモンテールに誑かされご乱心されたのかと思ったが、今はそうは思えなかった。

「王太子領の兵がベルカ殿下に付いているのは……ベルカ殿下がヘクトル様のご遺志を継いでおられるからなんじゃないのか」
英雄王の再来と言われたヘクトル。
強い意志と優しさと賢さを兼ね備え、民衆から愛された王太子。
もしもヘクトルが存命ならば、ヘクトルは果たしてカミーノを見捨てただろうか?

このまま王府に────オルセリートに従い、ベルカとホクレアを追い詰めて本当に良いのだろうか。
自分たちと同じアゼルプラードの民であるカミーノの人々が全滅していくのを、ただ黙って見ていることが本当に正しいことなのか。
ベルカが来てからはなくなったが、それよりも前に城壁を越えようとしたカミーノの民をいしゆみで撃ち落としたときの感覚が、今もまだ手に残っている気がする。
武器も持たない民を殺した。
その事実に心を苛まれたのは、自分だけではなかった。
周りを取り囲んだ隊のあちこちで、弩を持つ手を震わせている者がいた。
本当は、民を守りたくて、みんなを守りたくて、その一心で衛士になったはずなのに。
守りたいと願ったはずの無辜の民を、この手で殺している。
ベルカたちを追い込み、カミーノを全滅させても、別の街で同じことが繰り返されるだけではないのか。
そして、それに自分たちの精神は果たして耐えていけるのだろうか。



自分たちはどうすればいいのか。
一体、どうすべきなのか。



答えは見えず、沈黙だけが場を支配する。
皆が、迷っている。
何が正しくて、何が間違いなのかを。

いつか、迷いを振り切り、自分たちの道を選び取る日がやってくるだろう。
それはおそらく、決して遠い将来ではなく、近い未来に。

そのとき、まだ霧がかかって見えないその先のどれを選ぶことになるのか。
心のどこかでもう知っているような、そんな気がした。




後書き。

名無しのモブシリーズ第2弾です。
カミーノの周りを固めている兵士たちも、かなり気持ちが揺れ動いてると思うんですよね。
彼らの最終的な判断はまだ分かりませんが、いずれベルカ側に傾く気がします。



2011年1月19日 UP




小説 TOP
SILENT EDEN TOP