祈り



「荷物を運んで参りますから、ここにいらして下さいね」
姫様にそう言い置いて、私は姫様のコートとお荷物を持って部屋へと向かいました。
荷物を片付け、コートをかけて急ぎ姫様の元へと戻りました。

そんなに、時間はかかっていなかったと思います。
けれど、私が戻ったときにはそこに姫様のお姿はありませんでした。
滅多にお城を出られることのない姫様ですから、好奇心でそこかしこをご覧になっているのだろうと思いました。
そのときは、さほど深刻な事態だとは思っていなかったのです。

ですが、宿の中をいくら捜しても、他の女中メイドたちに尋ねてみても、姫様は見つかりませんでした。
さすがに少々慌ててしまい、警護の衛士たちにもお願いして皆で姫様を捜しました。
宿の中はもちろん、周辺の施設などもしらみつぶしに。

それでも姫様は見つかりません。
冷たい汗が背中を伝いました。
「姫様! 姫様! お返事をなさってくださいませ!」
息を切らして走りながら、何度も呼びかけました。
「じじょ! ここよ!」と、そんなお声が返ってくることを願いながら。

宿の中は騒然となりました。
近衛の者たちは口々に私を責めました。
私は姫様の侍女なのですから、それも当然のことです。
女中たちは皆私を庇ってくれましたが、これは紛れもなく私の責任なのです。
私が、ほんの一時でも姫様から目を離したりしなければ。

私はもう一度、姫様を捜しに出ました。
宿を出て、街の中を走りました。
姫様が行方不明だなどと知れるわけにはいきませんので、金髪でツインテールの幼い少女を捜しました。
けれど、どんなに走っても、姫様の手がかりを見つけることすら出来ませんでした。

やがて、捜索は姫様であることは伏せた上で「名家の令嬢」としてフロレルを含めた近隣の衛士に任せることになりました。
私たちがこれ以上ここに留まるのは無意味だと言われ、王府へと戻ることになりました。



王府に戻った私は、姫様失踪の責任を問われ、牢に入れられました。
おそらく、私は処刑されてしまうのでしょう。
王族の方の身を危険に晒してしまったのですから、それも当然のことです。

ただ。
ただ、死ぬ前に、姫様の安否だけは知りたいと思いました。
姫様がご無事に見つかったという、その報が届けば、思い残すことはございません。

牢にいる間、私はひたすら祈りました。
どうか、姫様がお辛い思いをしていらっしゃりませんように。
どうぞ、ご無事でいてくださいますように。

ポタリと、何か雫が冷たい牢の床に落ちました。
一粒、二粒と、床に染みを作っていくそれを、私はぼんやり見ていました。
それが涙だと気付くまでに、ほんの少し、時間が必要でした。

姫様、申し訳ございません。
私がもっとしっかりしていれば。あのとき、姫様をお一人にしなければ。
きっと、このようなことにはならなかったのに。
今、姫様はいずこにいらっしゃるのでしょうか。
泣いてなどいらっしゃらないでしょうか。
またご体調を崩して熱など出してはいらっしゃらないでしょうか。

いくら後悔しても、時は決して巻き戻りません。
姫様を捜すことさえ許されない私には、ここでこうして祈ることしか出来ないのです。
私に姫様を任せてくださったオルセリート様や元老の方々にも申し訳が立ちません。
自分が情けなくて、不甲斐なくて、どうしようもない自己嫌悪が胸にわだかまります。

「姫様……」
零れる雫を止めることも出来ず、私は俯いて両手で顔を覆いました。
明るく笑顔の可愛らしい優しい姫様。
少し我侭なところもおありだったけれど、私はその我侭が好きでした。
私に甘えてくださっているようで、とても嬉しかったのです。
将来はどんな素敵な淑女におなりなのだろうと、そんなことを思い楽しみにしていたりもしました。

もう、それをこの目で見ることは叶わないでしょう。
それでも、姫様さえご無事でいてくださるならばそれで良いのです。
見届けることは叶わなくとも、姫様に優しい未来が訪れてくれるなら。



姫様の安否は分からぬまま、私の処刑の日がやってきました。
見張りの衛士に連れられ、牢を出ました。
そのとき、私を見る衛士の目がどこか辛そうに伏せられました。
私を、哀れに思ってくれているのでしょう。

引き立てられた私の前に、ラーゲン公がおいでになりました。
「ミュスカ内親王殿下の御身を危険に晒した罪により、死を賜る」
淡々と告げられる言葉を、私は黙ったまま聞いておりました。
「何か、申し開きはあるか」
「ございません」
申し開きなど、出来るはずもありません。

「ただ、ひとつだけ……よろしいでしょうか」
「……聞こう」
「姫様の安否に関しまして、何か……報は入りましたでしょうか」
それを尋ねると、ラーゲン公はほんの僅か目を瞠りましたが、すぐにその色は消え普段の厳しい表情へと戻りました。
「……オディ・ジュストの街でそれらしい子供を見つけたとの報は入っているが、結局は別人だったとのことだ」
「そう、ですか……」
姫様のご無事を確かめてから死ねないことに、言いようのない落胆を感じました。

そうして、私の前に半ばまで満たされたワイングラスが示されました。
「陛下の温情により、処刑ではなく自裁を許された。自らの罪を自らの手で償うが良い」
これはきっと、陛下ではなくラーゲン公……いえ、もしかしたらオルセリート殿下の温情なのでしょう。
せめて、他人の手で処刑されるのではなく、自ら裁けるようにと。

「ありがとうございます……」
そうお礼を申し上げ、私はゆっくりとそのワイングラスを手に取りました。
そして、ラーゲン公だけではなくこの場にいる方たちすべてに向かい、頭を下げました。
「どうか……どうか、姫様をご無事にお救いして差し上げてくださいませ……」
最後の願いを、どうか。



震える手で、ワイングラスに口をつけました。
どれだけ覚悟をしていても、これを飲んで死ぬのだと思うととても怖くてたまりませんでした。
死にたくなどありません。
けれど、私には他に責任を取る術がないのです。

心を決め、ギュッと目を閉じてそのワインを喉へと流し込みました。
瞬間、灼けつくような痛みが襲い、私はグラスを取り落とすとその場に蹲りました。
奥からせり上がってくるものを手の平で受け止めると、それは真っ赤に染まりました。
呼吸も出来ず、冷たい石床の上に倒れ込みました。

苦しい、痛い。
酸素を取り込めない身体は自由が利かなくなっていき、目の前が白くなっていく感覚がします。
喉を押さえても息は出来ず、苦しさから固い床に爪を立てました。



ふと、目の前に姫様の笑顔が見えた気がしました。
……ああ、ご無事に戻ってきてくださったのでしょうか。
私は姫様にお仕えできて、とても幸せでした。
願わくは、これからの姫様の未来にも笑顔が溢れていますように。



さようなら、姫様。
どうか、幸せにおなりくださいますよう。
侍女は、それだけを願っております。




後書き。

ミュスカの侍女が処刑されたという話が出て、書きたくなった侍女のお話です。
あれだけミュスカが捜し回るくらい慕っていたのだから、きっと良い人だったのだろうと。
自分のせいで侍女が処刑されたと聞いたミュスカの心には深い傷が刻まれたのだろうなと思います。
何も処刑まですることないのに……と、あの話を読んだ時は辛かったです。



2011年10月2日 UP




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