闇の向こう側



 ─ 後編 ─



ふ、と意識が上ってくる。
身体の下に人の体温と、べとついた汗を感じ取る。
ああ、そうだ、ベルカを抱いたのだ……と、リンナはぼんやりとした頭で考える。
ほんの少しだけ、眠ってしまっていたらしい。
身体は相変わらずだるいが、これは先程までの激しい行為のせいだろう。
意識の方は行為の前よりもスッキリとしていた。

目を開けようとして、視界を覆う布に気付く。
何故、目隠しなどしているのだろう。
そこまで考えて、身体が硬直する。

ここは……どこだった?
自分は今、どういう状況に置かれていた?

意識がハッキリとしていくにつれて、僅かに身体が震えだす。
ベルカを抱いたと、思っていた。
けれど、今ここにベルカがいるはずはない。
ここは…………遠く離れた王府の城なのだから。

リンナは身体を起こし、震える手で自らの視界を遮る布に手をかける。
目の前の現実を見るのが、怖かった。
自分のしたことを突きつけられることが恐ろしい。
布にかかったまま動かない手にぐっと力を篭め、リンナはそれを取り払った。

リンナが組み敷いていたのは、黒。
どうやら、黒も意識を失っているようだ。
今まで抱いていたのは、黒だったというのか。
自分を「リンナ」と呼んだ声も、縋り付いてきたあの腕も……すべて。

動くことも言葉を発することも出来ずに、リンナはただ呆然とベッドに座り込む。
この手で抱いた。
ベルカではない者を。
自ら上に乗り、愛撫を施し、貫いた。
揺さぶって口付けて、快楽に流され果てるまで。

「私、は……」
どれほど信じたくなくても、これは現実だ。
「殿下……」
ベルカの優しい笑顔が、脳裏に浮かぶ。
もしこの先再会できたとしても、どんな顔をしてベルカに会えばいいのだろう。
他の者を抱いたこの手でベルカに触れるなど、出来るはずもない。

「ん……」
小さく漏れた声に目をやると、黒の瞼がゆっくりと開かれていくところだった。
ぼんやりとさまよった視線が、やがてリンナに焦点を結ぶ。
「オルハルディさん……」
黒が起き上がりリンナに触れようとした手を、咄嗟に振り払う。

瞬間、黒の表情に浮かんだ寂しそうな色に、僅かに胸が痛む。
「……やっぱり、いつものオルハルディさんに戻ったら、受け入れてくれないんだな」
その言葉に、引っかかりを覚えた。
そんな思いが表情に出ていたのだろう、黒が少し困ったような顔になる。

「ほんの少し、眠り薬を入れたんだ。食事の中に」
「眠り、薬……?」
「……意識がぼんやりして目も見えなかったら、間違えてくれるかもしれないって思ったんだ……」
誰に、とは訊くまでもなかった。
「何故、そんなことを……!」
「だって! そうでもしなきゃ、あなたは俺を抱いてくれないじゃないか!」
シーツを握り締めながら、黒は叫ぶ。
そこにはいつもの冷静さはなく、子供のような必死さがあった。
「他の誰かに見立てられて抱かれて嬉しいのか!?
「嬉しいよ! 嬉しいって思わなきゃ、どうしようもないじゃないか……!」
あまりにも悲痛な訴えに、リンナは言葉を失う。

黒だけを責めることなど出来ないと、リンナ自身よく分かっていた。
いくら眠り薬を盛られていたとしても、間違えたのは他の誰でもない、リンナだ。
絶対の忠誠を誓い、そして誰よりも愛しく思う人を、判別できなかった。
そのことが悔しくて情けなくて、そんな自分が恥ずかしかった。

リンナは両手で自分の髪をグシャリと掴む。
いっそ消えてしまいたかった。
ベルカを裏切り、黒にも残酷なことをした。
薬を盛ってもなおリンナが拒絶すれば、黒は諦められたかもしれなかったのに。
中途半端に抱いたことで、黒はますます執着を深くしてしまうのではないか。
そう思うと、自分のしたことの取り返しのつかなさに絶望感すら覚えた。

「オルハルディさん」
名を呼ばれ、顔を上げる。
すると、素早い動作で黒の両手がリンナの顔を引き寄せ、口付けた。
抵抗する間もなく、何か液体が口内に注ぎ込まれる。
反射的に飲み込んでしまった後で、リンナは慌てて黒を引き剥がした。

「何を……!」
口元を拭いながら尋ねようとしたが、グラリと視界が揺れる。
「大丈夫、これも眠り薬だから。……さっきのよりは、少し強いものだけど」
その黒の言葉を裏付けるように大きく揺らいだリンナの身体を、黒が受け止める。
「……全部、夢だ。眠って忘れてしまえばいい」
耳元でそう囁いた黒の声がどこか悲しく聞こえて、リンナは黒の腕を掴む。
「ル、ツ……」
それ以上言葉を継ぐことは叶わず、リンナの意識は暗闇に落ちていった。





意識を失くしたリンナの身体を、黒はギュッと抱きしめる。
最初に使った遅効性の軽い薬とは違い、強めの即効性の薬だ。
おそらく、明日の朝までは目覚めることはないだろう。
リンナの身体を拭いて着衣を整え、シーツも取り替えてベッドに横たえる。

黒がこの部屋にやってきたというすべての痕跡を消す。
今夜の記憶を消してしまうことは出来ないが、起きたときに周りが何も変わらなければ、あるいは夢と思い込むことも出来るかもしれない。
本当は、リンナが目覚めないうちにそうしてしまうつもりだったのだ。
夢現の状態で抱いて、そのまま眠って痕跡がすべて消えていれば、それこそ夢だと思えただろうに。
まさか、黒まで意識を失ってしまうだなんて思わなかったのだ。

『他の誰かに見立てられて抱かれて嬉しいのか!?
先程のリンナの言葉が蘇る。
身代わりで抱かれて満たされるのは、そのときだけ。
そんなことは、黒にだって分かっていた。
それでも良いと、満足なんだと、そう思わなければ…………壊れてしまいそうだった。
何度身体を重ねても、どれほど望んでも、リンナの心は決して黒の手には入らない。
ずっと行為を重ねていけばいつか、と、そう思い込みたくて身体を重ねてきた。
思い込まなければ、この気持ちは行き場を失ってしまう。

黒はベッドの傍に跪き、祈るようにリンナの手を取る。
「本当に……俺は、あなたのことが好きなんだ……」
求めても求めても足りないくらい。

けれど、これ以上はダメだ。
黒が抱けば抱くほど、好きだと言えば言うほど、リンナは追い詰められていく。
最初は夢中で、それに気付くことすら出来なかった。
しかし、今ならそれが分かる。
そして意図しなかったとはいえ、今夜のことはリンナに追い討ちをかけてしまっただろう。

黒は、ひとつの決意を固める。
リンナを壊さないために。

一度だけでも、リンナが抱いてくれた。
優しく微笑んで、口付けてくれた。
そして眠り薬で意識を失う間際、初めて黒の名を呼んでくれた。
もう、それだけでいい。

きっと、リンナの心を救い上げることが出来る人物はたったひとりだ。
彼の元へと、返さなければ。
たとえ…………命令に背くことになっても。



音を立てずに黒はスルリと部屋を出る。
途端に感じた気配に、一瞬で戦闘態勢を取った。
しかし、視線を向けたその先にいた人物に目を瞠る。

「先生……」
いつからそこにいたのか、どこまで知っているのか。
底が見えないその眼に、ゾクリと背筋に冷たい汗が落ちる。

「黒……こちらに来い。話がある」
「で、ですが、見張りは……」
「今夜の見張りは赤にさせる。……何の話かは心当たりがあるだろう」
冷静な、しかし有無を言わせぬ声に、黒の鼓動が速くなっていく。

しかし、黒に選択権などはない。
「はい、先生……」
覚悟を決めて黒が返事をすると、その姿がすうっと闇に溶けていく。
それに付いて、黒もまた闇へと溶けていった。




後書き。

脳内で止まらなくなったリン黒妄想を形にしてみました。
SSのつもりだったのが、前後編になるくらいにはノリノリで書きました!
最後がちょっと思わせぶりな終わり方になってますが、元々「絶望の淵」も今回の話も「ちいさなサカナ」様の黒リン話のパラレル三次創作なので、勝手に枝分かれさせたルートが元のそちらのルートに合流していったと思っていただければ……。
黒リンは片想い故のお話が書けて楽しいのですが、黒にも幸せになってほしいのでジレンマに苛まれます。



2011年8月14日 UP




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