理由



汗ばんだ肌をゆっくりとした動作で拭かれることにも、少し慣れてきた。
今なら自分で拭くだけの余裕はあるのだが、こうしてリンナに拭いてもらう時間が心地良くて、つい甘えてしまっている。
丁寧に、優しく。
行為の最中の力強さとは打って変わって、宝物を扱うような手つき。
そんなリンナの仕草が何だか照れくさくて、ベルカは頬の熱が上がるのを感じる。
とても大切にされているという実感がベルカを満たす。

しかし、こうして改めて見てみると、リンナという男は良い男だと思う。
顔立ちも整っている方だし、背も高い。
贅肉などない適度な筋肉質の身体に、その肉体を裏切らない剣と槍の腕前。
ベルカに付いてくる前は国王直轄領サナを守る十月隊の分隊長という地位もあった。
おまけに、性格も真面目で誠実で優しい。
好意を寄せる女性も、さぞ多かったのではないだろうか。

そんなことを考えていると、無意識に眉根が寄ってしまう。
きっと、リンナの周りには綺麗な女性もたくさんいただろう。
その中には、リンナとこういう関係になった女性もいるかもしれない。
いや、きっといるだろう。
ベルカと出会う前に恋愛経験がなかったとは思えない。
もちろん、それを今更どうこう言うつもりはない。
分かっていたことだし、今リンナがベルカを大切に想ってくれていることは疑いようのない事実なのだから。

それでも気になるのは、やはり、この関係が特殊なものだという自覚があるからだ。
ベルカもリンナも、特に男色というわけではない。
なのに、初めて男を好きになり、その相手も男である自分に想いを返してくれた。
これは、奇跡のような確率だ。
だからこそ、そのあまりに幸運すぎる奇跡に理由を求めたくなる。

身体を拭き終わったリンナが、ベルカに夜着を着せてくれる。
そうしてすべての後始末を済ませ、そっとベルカの隣に身体を横たえた。
そんなリンナを、ついジッと見つめる。
「殿下? まだ、どこか気持ち悪いところがございますか?」
言いながら、リンナが身体ごとベルカの方へと向く。
「いや、そうじゃないんだ」
リンナはベルカの視線の意味を計りかねて、困っている風だ。

「……リンナ」
「はい」
「なんで、俺なんだ?」
質問の意味を理解できなかったのか、リンナが答えに迷っている。
「もっと綺麗な女、いっぱいいただろ? 何で、男の俺なんだ」
リンナに想いを告げたときには、そんなことを気にする余裕などなかった。
ただリンナが好きで好きで、その胸に飛び込むことしか考えられなかった。

けれど、想いが通じ合って日が経つにつれて、そんな疑問が浮かぶようになった。
リンナの気持ちを疑っているわけではない。
ベルカのことを想ってくれていることは分かった上で、何故なのか知りたい気持ちが生まれた。
こんなことを訊けるのも、ある意味ではリンナに愛されていることを確信しているからかもしれない。
自信がなければ、きっと怖くて訊けなかっただろう。

「おまえが、マリーベルを好きだったのは知ってる。でも、男だって分かって一旦諦めただろ?」
それともマリーベルへの気持ちの延長なのか、と訊くと、リンナは首を振った。
「最初は、それもあったかもしれません。あなたとマリーベルをすぐに切り離して考えるのは、少し難しくて」
それはそうだろうと思う。
正体が男だと分かったとして、すぐに切り替えられるほど人の心というものは単純ではない。
王府に着くまではマリーベルの格好を続けていたのだから、尚更だ。
「ですが、いつの頃からか、気付きました。たとえメイドの格好をしているときでも、『マリーベル』ではなく『ベルカ殿下』として見ていることに」
もちろん、それは当たり前のことなのですが……と、リンナは続ける。
「あなたの中に、『マリーベル』を見なくなっていったのです」
そっと伸ばされた手が、ベルカの髪を撫でる。

「そうしていつしか、私はベルカ殿下を想うようになりました」
柔らかく髪を梳くリンナの指が、心地良い。
「それに気付いたときは……戸惑いました。何しろ、あなたは少年なのですから」
少女ならまだしも少年を好きになるなど自分が信じられなかったと、苦笑気味にリンナが話す。
「忠誠心に摩り替えようともしました。けれど、結局この気持ちは膨れ上がる一方で……」
そう告げるリンナの目には、どこか切なげな色が浮かんでいる気がした。
「お傍を長く離れ、思い知りました。自分の内を、どれほど殿下の存在が占めているのかを」
「……うん、そうだな。俺もだ」
「もし再びお逢いすることが叶えば、そのときはこの気持ちを告げようと思いました。二度と後悔しないように」
これも、ベルカ自身思ったことだ。気持ちを伝えられずに後悔しないようにと。
「もっとも、お伝えする前に殿下に先を越されてしまいましたが」
そう言って、リンナが小さく笑う。

「……じゃあ、ちょっと待ってたらおまえから告白されてたのか」
少し、惜しいことをした気がする。
リンナがどんな言葉でどんな表情で告白してくれたのかと考えると、何だかもったいないことをしたかもしれない。
きっと、とても真剣な表情で、真っ直ぐな言葉をくれただろう。
ベルカから告白したときは半ば勢いで押し倒したようなものだったから、リンナから貰った返事もほぼ行動で示された。
もちろん、ちゃんと言葉もくれたけれど。

「もうちょっと待ってりゃ良かったなー」
拗ねたようにそう言うと、リンナがクスリと笑う。
「ですが、殿下のお気持ちをぶつけていただいたとき、私は心からの幸福感に包まれましたよ」
「……本当か?」
「はい。これ以上ないほどに幸せでした」
迷いなく言い切られ、顔の熱が少し上がった気がした。

それならいいか、と思う。
ベルカからの告白で、リンナがそんなにも喜んでくれたのなら。
そのことは、間違いなくベルカ自身にも幸福感を与えてくれる。

「じゃあ、もうひとつ、訊いてもいいか?」
「はい、何でしょうか」
「俺の、どこが好きなんだ?」
尋ねると、リンナは面食らった様子で目をパチクリさせている。
「どこ……と、申されましても」
「具体的にさ、どういうとこを好きになったんだ?」
ちょっとワクワクしながら、リンナの答えを待つ。
やはりここは、誰でも気になるところだろう。
「そうですね……ひとことでは言い表せませんが……」
そんな前置きをして、リンナは話し始める。

「最初は……マリーベルとして出逢ったときは、一目惚れに近いものでした。
 娼館という場所にいながら、仕草や佇まいがとても清楚に見えました。
 今から思えば、あれは王族でいらっしゃる殿下の所作が雰囲気に現れていたのでしょう。
 それから、追われているにも関わらず正体を晒してエーコ殿を助けに行かれたこと、
 そして傷を負った私のためにホクレアに自ら捕らわれ、お命まで差し出そうとなさったこと。
 ……普通ならば、出来ぬことだと思いました。誰とて、自分の命は惜しいものです。
 そんなあなたの優しさが、私の心に鮮烈に残りました。
 共に王府を目指していた頃の、食べ物を美味しそうに召し上がる笑顔も印象的でした。
 そして、たったおひとりで立ち向かおうとなさったその強さも。
 ……置いていかれそうになったことは、少々寂しく感じましたが……。
 オルセリート殿下もホクレアも私たちも救おうと、どれだけ殿下が心を砕かれていたか……。
 そんな殿下の優しさや強さが、私は心から愛しいと思います」

そこまで話して、リンナは口を閉じた。
自分から訊いておいて何なのだが、はっきりいって…………恥ずかしい。
本人に対して面と向かって、よくこれだけのろけられるものだと思う。
先程の比ではなく、顔が熱い。
その熱を冷ましたくて、うつ伏せになって枕に顔を埋める。

「殿下? 何か、お気に障りましたか」
「いや、そんなんじゃねえから……」
あっという間に枕に顔の熱が移り、同じ温度になったところでベルカは再びもぞもぞとリンナの方を向く。
「すっげえよく分かった。……ありがとな」
そう言ってやると、リンナが嬉しそうに微笑む。

「殿下、私の方からも伺ってもよろしいですか?」
「ん? いいけど、何をだ?」
「私の……どこをお気に召していただけたのかを」
まさかそう返ってくるとは思わず、ベルカは若干うろたえる。
「え、お、俺が、おまえのどこを……ってことか?」
「はい……お話しづらければ、無理には……」
そうは言っているが、本音では訊きたくてたまらないと顔に書いてある。

ここでベルカがはぐらかせば、リンナはそれ以上無理に突っ込んで訊いてくることはないだろう。
しかしそのせいで、リンナのベルカへの気持ちよりも、ベルカのリンナへの気持ちの方が弱いと思われるのも癇に障る。
はっきり言って、相手のことを好きな気持ちならリンナに負けていない自信はある。
リンナだって、あれだけ答えてくれたのだ。
ベルカもいっそ開き直って、思う存分のろけてやってもいいのではないか。
どうせ、この部屋にはベルカとリンナの2人しかいないのだから。

「……二度は言わねえからな。ちゃんと聞いとけよ」
「はい! ありがとうございます!」
ベルカは軽く咳払いをすると、話し始めた。

「俺がおまえを一番好きなところは、やっぱりその真っ直ぐな性格だな。
 おまえ、俺には絶対嘘吐かないだろ? たとえ、何があっても。
 だからかな、おまえといると、すっげえホッとするんだ。気が緩んじまう。
 最初に会ったときはそれどころじゃなかったけどな。
 でも、おまえは俺の正体を知っても、俺を何度も助けてくれた。俺はおまえを騙してたのに。
 お人好しだなって思った……けど、今までそんなヤツいなかったから、ちょっと戸惑った。
 一緒にいるようになってからも、真っ直ぐな好意をずっとぶつけられて、どうしたらいいか分からなかった。
 でも確かに俺は、おまえが俺に笑いかけてくれるのが嬉しかったんだ。
 いつからか、安心だけじゃなくて、傍にいると落ち着かない感じがするようにもなった。
 その頃は自覚なかったけど、もう……好きになってたんだろうな。
 おまえが俺の傍にいてくれることを、何より望むようになった。
 おまえのクソ真面目でお人好しで、すっげえ優しいところが…………俺は好きだ」

そこまで一気に言って、ベルカはひとつ息を吐く。
正直言ってかなり恥ずかしいが、これだけ言えばいくらリンナが鈍くても伝わるだろう。
そう思って、そろりとリンナの顔を見てみる。

「……リンナ」
目の前ではリンナが戸惑うように片手で口を覆いながら目を逸らし、顔を真っ赤に染めていた。
「あ、いえ、その……」
どうやら、上手く言葉も出てこないらしい。
予想以上の反応に、ベルカまでまた赤くなってしまう。

「な、なんだよ、そんな照れることないだろ。おまえが訊いたことだぞ」
「は、はい」
こんなことで2人して照れているのもどうかと思うが、悪い気分ではない。
ある意味、行為の後で気持ちが高揚していたからこそ出来た話かもしれない。

何とか落ち着いたらしいリンナが、ベルカに向かって笑う。
「殿下、ありがとうございます。私は、本当に幸せ者です」
「……ああ」
礼を言うリンナの笑顔が本当に幸せそうで、ベルカの心にもふわりと小さい灯が点る。

失ってしまったと、もう二度と会えないと涙を流したこともあった。
けれど、だからこそこうして今一緒にいられることが、どれほどかけがえのないことなのかが分かる。
ベルカ自身の成長のためにも、そしてリンナの存在の重要性を自覚する意味でも、あの別れは必要だったのだと今なら思える。

ベルカはベッドの中で身じろぎ、リンナに密着するように身体をずらす。
すると、リンナが丁寧な仕草でベルカをそっと抱き込んでくれた。
顔を上げてリンナを見ると、触れるだけの口付けが落とされた。

キュ、とリンナに抱きつき、その胸に顔を埋めながら「おやすみ」と告げる。
「おやすみなさいませ、殿下……」
耳元に注がれる静かで柔らかな声を子守唄に、ベルカは緩やかに目を閉じた。




後書き。

10周年記念ミニ企画第1弾。
お題は「なんで、俺なんだ?」
添えられていた「ノロケ合戦が見たいです」という一言で、こんな話になりました。
(若干、ノロケすぎだろおまえら、とツッコまれそうな感じはしますが)
いちゃらぶカップルが書けてメチャメチャ楽しかったです。
こんなお話が出来上がりましたが、気に入っていただければ嬉しいです。



2011年4月24日 UP




小説 TOP
SILENT EDEN TOP