ひとときでも



ひときわ強く吹いた風に身を縮めると、隣から声が掛かる。
「殿……いえ、マリーベル。やはり、宿にお戻りになられた方が……」
「大丈夫だって! 行こうぜ」
言いながら、ベルカは歩みを速める。

アルロンの使者のフリをして王府へと向かう道中。
ミュスカたちも合流して、少し騒がしくなりながらも順調に進んでいた。
街に着けば、その都度必要なものの買い出しが必要になってくる。
今は、その買い出しに出たところだった。
リンナは自分が行くと言っていたのだが、一応表向きの身分はリンナが正使者でベルカはメイドだ。
正使者を買い物に行かせてメイドが宿でのんびりしていては、それこそ宿の人間や他の客に不審に思われかねない。
そんなわけで、ベルカが買い出しに行くことになったのだ。

ベルカひとりでいいと言ったのだが、さすがにそれはリンナも承服できなかったようだ。
ちゃんと通貨の使い方も覚えたというのに過保護なヤツだ、と思う。
しかし、自分をマリーベルと呼ばれるのだけはどうにも慣れない。
人前で「殿下」はマズイので「マリーベル」と呼ばなければならないのは、仕方ないところではあるのだが。
それよりも、「マリーベル」と呼ぶときだけリンナが呼び捨てになるのが面白かった。
リンナの中では「マリーベル」は、未だに「娼館の下働きの少女」のイメージが強いのかもしれない。
それならいっそ、言葉遣いも敬語じゃなくせばいいのにとも思うが、さすがにそこまでは出来ないようだ。
今でもなおあの頃のマリーベルの面影を重ねられることに、ほんの少しもやもやとしたものはあるのだけれど。

そんなことを考えながら通りを歩いていると、前方の広場の方が随分と騒がしいことに気付いた。
見れば、何やら人だかりが出来ている。
「リンナ、何だあれ」
「不穏な雰囲気はありませんね。何か……催しのような……」
確かにワイワイと楽しんでいるような、そんな雰囲気だ。

「見に行ってみますか?」
よほど興味津々な様子が顔に出ていたのか、リンナがクスリと笑みを漏らしながら尋ねてきた。
おそらく、人々の様子から危険は少ないと判断したのだろう。
見透かされていることが少し悔しかったが、やはり興味はある。
「よし、じゃあちょっと行ってみようぜ!」
「はい」
そうして、2人で並んで人だかりの方へと歩を進めた。



人だかりの隙間を抜けて広場を覗くと、何やら数人の男たちが木の器に木の棒を打ち付けている様子が見えた。
器の中には、何やら白くて伸びるものが入っている。
「……何だ、あれ?」
小さくそう漏らすと、傍にいた男が話しかけてきた。
「キミ、この街の人じゃないんだね。あれは、餅つきだよ」
「餅つき?」
「ああ。この周辺の街で、この時期に毎年やっている行事なんだ」
にっこりと笑って、男は説明をしてくれる。

男が言うには、この地方でしか採れない植物を使って「餅」という食べ物を作るらしい。
その植物を精製したものに水を加えて熱してあの木の器──臼に入れ、木の棒──杵でつくことで出来上がっていくそうだ。
つきたてのその「餅」を食べると、その一年無事に過ごせるという習慣がある……と男は教えてくれた。

「キミも、食べていくといいよ」
突然耳元で囁きながら、男の手がベルカの肩を抱くように置かれる。
気持ち悪さに寒気がして払いのけようとしたところで、先に別の手が男の手を掴んだ。
気分を害したようにその手の持ち主を振り仰いだ男は、開きかけた口をすぐに閉じてしまった。
代わりに、その手の主が言葉を発する。
「……ご教示いただきありがとうございます」
丁寧な口調と、声の迫力がまったく一致していない。
手が解放された途端、男はバツが悪そうにそそくさとその場を立ち去ってしまった。

「リンナ」
「私が至らぬばかりにご不快な思いをさせてしまいました。申し訳ありません」
本当に申し訳なさそうに、しかしその手は先程男が触れたところを、まるで汚れを落とそうとするかのように払っている。
「いや、ありがとな」
そう言って笑ってやると、リンナはホッとしたように息をついた。

それにしても、少しだけ驚いた。
リンナがあんな風に敵意と言っても良さそうな感情を誰かに向けるなんて。
確かに気持ち悪くはあったが、肩を抱かれただけのことで。
そして、リンナのそんな反応をどこか嬉しいと思っている自分にも戸惑いを隠せなかった。



「さーあ、餅がつきあがったぞー!」
声が聞こえて視線をそちらにやると、どうやら完成したらしい餅を傍の女性たちが小分けにしている。
その横では先に分けていたものから、網の上で焼いているようだ。
「すぐに焼けるから、女子供から先に取りにおいで!」
その言葉と共に、人だかりの中から女性や子供たちがわらわらと広場の中央に集まっていく。
「どうぞ、行ってらしてください。私はここで待っておりますので」
「……俺は女じゃないぞ」
本当は行きたいのだが、リンナ以外には聞こえないように小声で何となく抵抗してみた。
そんなベルカの内心が分かっているらしく、リンナは笑う。
「ですが、今のあなた様は『マリーベル』です。むしろ、行かない方が周りから見て不自然に映るかもしれません」
「……それもそうだな。うん……じゃ、ちょっと行ってくる!」
「行ってらっしゃいませ」
リンナの声を背に、ベルカは駆け足で広場中央へと向かった。

「中、熱いから食べるときは気をつけてね」
そう言って、賄いの女性がベルカに餅をひとつ手渡す。
受け取った餅はまだ温かく、とても美味しそうだった。
「……あの」
「はい?」
「もうひとつ、もらってもいいですか? ……連れにも、食べさせてあげたくて」
若干照れ気味にそう伝えると、女性は目をパチクリとさせた後、楽しそうに笑った。
「もちろんよ。どうぞ、仲良く食べてね」
そうして手渡されたもうひとつの餅を持って、ベルカは冷めない内にと急いでリンナの元へ走っていく。

「リンナ!」
リンナのところへ到着するなり、ズイッと餅を差し出す。
「ほら、おまえの分!」
「え、私の分……ですか?」
「『食べると一年無事に過ごせる』んだろ? だったら、一緒に食べようぜ」
予想外のことだったのかリンナは驚いた風だったが、何度かベルカと餅を見比べた後、嬉しそうにそれを受け取った。
「ありがとうございます。……いただきます」
そう言って笑うリンナを、どこか照れくさい気持ちで見上げる。

ちょうど広場の外れにベンチがあるのを見つけ、2人で並んで座る。
タレのようなものが塗ってあるその餅を齧ると、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。
「あちっ」
「大丈夫ですか?」
リンナが心配そうに声をかけてくるが齧ったままの状態ではまともな返事も出来ず、コクコクと頷く。
早く噛み切ろうとするが、やたらと伸びてなかなか切れない。
何とか一口目を食べると、ベルカは隣のリンナに興奮気味に話しかけた。

「何だこれ、メチャクチャな伸び方するな!」
「ええ、面白い食べ物ですね」
今まで見たことのない食べ物を目の前にして、ベルカは楽しくてマジマジと見てしまう。
温かくて柔らかくて、美味しい。
自分が知らないだけで、街には色んな食べ物があるんだな、とベルカは改めて思う。

隣で同じように餅を食べているリンナを、チラリと見る。
こうして2人で並んで座って同じものを食べているこの時間が、とても楽しい。
出来るなら、もっと色んな街で色んな食べ物を、リンナと一緒に食べたい。

けれど、いつまでもリンナを一緒に連れていくわけにはいかないことも分かっている。
王府に着くまではともかく、城には連れてはいけない。
本来は、リンナには関係のないことなのだ。
自分のために、どんな危険があるともしれないところへ足を踏み入れさせてはいけない。
たとえ…………どれだけ、離れがたくても。

せめて今だけ、こうしていられればいい。
この先離れても、リンナはきっとベルカのことを忘れないだろう。
そのリンナのベルカとの記憶に、少しでも楽しいものを残せたらいいと思う。
こんな、他愛のないひとときでも。



『食べると一年無事に過ごせる』



出来るなら、この街の住人ではない自分たちにも────リンナにも、その加護があればいい。
波乱は避けられなくても、せめて無事でいられるように。
心から、そう願う。



食べ終わって、ひとつ息をつく。
スッとハンカチを差し出され、受け取って手を拭く。
ハンカチを返すとき、何となくその手を取った。
「……殿下?」
リンナが僅かに頬を染め、戸惑ったように首を傾げる。

「また……一緒に食おうな」
そう言って笑うと、何かを感じ取ったのか少しの間が空いた後、リンナも微笑んだ。
「……はい。いつでもお供いたします」
優しい声に、何故だか妙に泣きたい気分になった。



あと少しだけ、このままでいよう。
2人で一緒に、同じものを食べよう。
いつかそれが叶わなくなったとしても、今のこの記憶は消えない。

それだけでいい。
そう自分に言い聞かせ、ベルカはその手の温もりを刻むように握りしめた。




後書き。

……最初はライトなコメディにするつもりだったなんて言っても、信じてもらえなさそうなものになりました。
終盤はちょっと25話思い出してひとり切なくなっていたのですが。
マリーベルに手を出そうとした男をリンナが追っ払う辺りが、実に書いてて楽しかったです。
やるときはやる男だよね、リンナは!



2011年1月4日 UP




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