Call My Name



以前から、考えていたことがある。
といっても、別にそんな重要な問題などではなく、人によっては呆れるくらい瑣末なことかもしれない。
けれど、一度気になりだすと止まらないのが人間というものだろう。

「なあ、リンナ」
傍に控えていたリンナに、何気なく声をかけてみる。
「はい、殿下。いかがなさいましたか?」
声をかけたものの黙ったままジッとリンナを見つめていると、リンナが不安げな表情になる。
「あの……殿下、どうかされましたか? 私の顔に何か……?」
「いや、そういうわけじゃねーんだけど」
ますます困り顔になるリンナが、さすがにちょっと気の毒になってきた。

「おまえってさ……俺の名前呼ばないよな」
「名前……ですか?」
リンナにとっては全く予想外の話だったのか、目を丸くしている。

気が付いたのは、つい最近だった。
ヘクトルやオルセリートのことは「ヘクトル様」「オルセリート様」などと呼ぶことがあるが、ベルカに対しては常に「殿下」だ。
別に、それはおかしいことではない。
実際に「殿下」の身分にあるベルカをそう呼ぶのは、リンナの立場からすれば当然のことだ。
なのに、何故突然こんなことが気になりだしたのか、ベルカ自身にもよく分からない。

一度、呼ばせてみようか。
そうしたら、気にならなくなるかもしれない。

「なあ、名前……呼んでみてくれよ」
「お名前を……?」
おそらくベルカの意図が全く読めないのだろう、リンナが戸惑っているのが分かる。
もっとも、単に気になったというだけなのだから、意図も何もないのだけれど。

「ちょっと呼んでみるだけでいいから!」
「は、はい……」
リンナがどうしてそんなに躊躇うのかが、ベルカには分からない。
一言呼んでしまえば済むことなのに。

妙に緊張した様子のリンナを見ていると、こちらまで何だか緊張してきた。
名前を呼ばれるだけで、どうしてこんなに緊張しなくてはならないのか。
一度深く呼吸をしたリンナが、佇まいを正す。



「…………ベルカ、様」



一瞬、息が止まる感じがした。
急に鼓動が速くなった気がして、無意識に胸の辺りをギュッと掴む。
それは、今までに感じたことがないおかしな感覚だった。
たかが、名前を呼ばれただけのことなのに。

何故だか妙に気恥ずかしい気分になって、わざと茶化すように言ってみた。
「何だよ、そんな畏まることじゃないだろ。なんなら、呼び捨てにしてみてもいいぜ」
「とんでもございません! 殿下を呼び捨てなど……!」
予想通りの反応に、ベルカは思わず笑ってしまう。
「エーコやおっさんなんか、容赦なく呼び捨てにしてるけどな」
「それは……殿下がお許しになっているのでしたら……」
「おまえが呼び捨てても許してやるけど」
「い、いえ、そんな! 私ごときがそのような無礼を働くわけには参りません!」
真面目なヤツだ、と思いつつも、リンナらしいとも思う。

呼び方がまた「殿下」に戻っているが、それを指摘してしまうとリンナが落ち込みそうなので止めておいた。
今は、リンナが呼びやすいように呼んでくれればいいかと思う。
普段から「ベルカ様」呼びになったら、むしろベルカ自身の方が落ち着かなくなりそうだ。
先ほど名を呼ばれた時のような状態に毎回なっていたら、慣れるまで身がもたない気がする。

だから、普段はいつも通り「殿下」でいい。
そうして、たまにこうやって呼ばせてみよう。
あの時の感覚も、時折感じるのなら悪くはない。
名前を呼ぶだけのことで妙に照れている風なリンナを見るのも、密かな楽しみになるかもしれない。



──悪いけど、おまえから名前を聞きたくなったときには、ちょっとだけ付き合ってくれよな。



リンナを見て笑いながら、そっと心の中だけで呟いた。




後書き。

ヘクトルやオルセリートは色んな人が色んなところで「様付け」で呼んでるけど
ベルカを「ベルカ様」って呼ぶ人いないよね……って思いまして。
(「ベルカ殿下」や「ベルカ王子」はしょっちゅう呼ばれてるけど)
それでもってやっぱり、初「ベルカ様」はリンナじゃなきゃダメだよね!……って思いまして。
原作で誰かが呼ぶ前に呼ばせてしまえってことで、こんな話が出来ました。

……はずだったんですが。
コミックス読み返してたら、3巻終盤でメイドが「ベルカ様」って呼んでた……。うああああ。
でも折角書いたのでアップする。



2010年7月27日 UP




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