その手に誓いを



魚が焼ける匂いが辺りに漂い、ベルカは涎を垂らさんがばかりの様子でそれを見つめている。
よほど空腹なのだろう、とリンナは小さく笑う。
昨夜からロクに何も食べていないのだから、それも仕方のないことなのかもしれない。

修道院から脱出して逃げ切れたのはもう夜も明けようとしていた頃だった。
ホクレアが用意してくれていた荷馬車に乗った後はベルカは瞬く間に眠りについてしまい、昼前まで全く目覚める気配すらなかった。

リンナを助けるために酷使したのは、身体だけではない。
上手くいく保証などない救出作戦で、自分だけではなくホクレアも危険に晒すことにどれほどの心労があっただろう。
自分が傷付くことは厭わなくとも、他の誰かが傷付くことは、間違いなくベルカの心に痛みを刻む。
ベルカにそんな思いをさせたことはリンナにとっても辛かったが、それでもなおベルカがリンナを助けに来てくれたことに喜びを感じたのも事実だった。

ベルカが、リンナを必要としてくれている。
あのとき、「傍にいてほしい」と言われてリンナがどれほど嬉しかったか。
傍にいさせてほしいと、そう告げてしまいたかったのはリンナの方だ。
こんな身体では役に立てないかもしれない、それでもあなたのお傍にいたいのです、と。

まだ太陽宮を出ない方がいいのかもしれないと思いながらも、それでも大聖堂の彼らの手を取らずにはいられなかった。
再びベルカに会えるかもしれない、その希望に縋りたかった。
結果、たくさんの人を危険に晒し、迷惑をかけた。
一歩間違えれば、手引きをしてくれた大聖堂の僧も修道院の尼僧たちもあの場に居合わせたホクレアの青年も、皆命を落としていたのかもしれなかったのだ。

それでもリンナは、今ベルカが横で笑っている姿を見ていると、あのとき手を取らなければ良かったとは思えない。
そんな自分の利己的な部分に、少なからず自己嫌悪を感じてしまう。

「リンナ? どうしたんだ?」
声をかけられハッと我に返ると、ベルカが心配そうにリンナを覗き込んでいた。
「傷が痛むのか?」
「いえ、じっとしていればもう痛みはありません」
「それならいいけど…………あ、こっち焼けてるぞ、ほら、おまえも食えよ。さっきから殆ど食ってないだろ」
ベルカが焼魚の串を一本手に取って、リンナへと差し出す。
ベルカに取らせてしまったことを悔やみながら、慌ててそれを受け取る。
「申し訳ありません、殿下にそのような……」
謝罪をすると、ベルカが眉を顰める。
「……これくらいのことで、そんな風に謝んなよ。謝られるくらいなら礼を言われた方が嬉しいし……」
少ししょんぼりとした様子でベルカが呟く。
ベルカにしてみれば、リンナに笑ってほしくてしたことなのだろうと気付き、自分の迂闊さに唇を噛む。
と同時に、そんなベルカの心遣いが胸に温かかった。
「はい、ありがとうございます、殿下」
胸に点った灯をそのまま顔に出すように微笑むと、ベルカが嬉しそうに頬を染める。

その笑顔に感じた鼓動の高鳴りも、許されるなら伝えてしまいたい。
カミーノに着いて二人きりになれる時間があったなら……告げてしまっても良いだろうか。
困らせることになるかもしれない。
けれど、もう何も伝えられずに後悔することがないように。



昼食後、出発まで少し休憩をすることになり、リンナはベルカと共に木陰に腰を下ろす。
新月たちも、少し離れたところで思い思いに休んでいるようだ。

さわさわと木の葉が擦れる音と野鳥の鳴き声が耳に心地良い。
気持ち良さそうに目を閉じているベルカの横顔を見つめる。サラリと、髪が流れた。
「今更ですが……随分と、髪が伸びましたね」
髪だけではなく、受ける印象も、以前よりもどこか大人びたように感じる。
それはベルカの成長の証であり、リンナの知らない間にどれほどベルカが大変な道を歩んできたのかを物語っている気がした。
そんなベルカを眩しく思うと同時に、そんなときに傍にいられなかった自分の不甲斐なさが情けなくも思う。

「これ、長くて鬱陶しいんだけど……変じゃねーか?」
「いえ、とても良くお似合いだと思います」
鴉の首領に渡すために片方を切ってしまったのが、少しもったいない気がするくらいに。
「え、そ、そうか? ……そっか……おまえがそう言うなら、もっと控えめに切っときゃ良かったかな……」
自分の髪を触りながら呟くベルカに、リンナはクスリと笑う。
「短い髪もお似合いですし、またすぐに伸びるでしょう。そのときにまたお見せください」
その髪が伸びる頃までも、それからもずっと、ベルカの傍にありたいという想いを乗せて告げる。
「ああ、そうだな」
リンナを見上げて微笑むベルカが、心から愛しいと思う。
主君としても、恋い慕う相手という意味でも。

「殿下、ひとつお願いがございます」
命を拾ったときから、いつか再会できたなら、そして傍にいることを許されたならば、叶えたかった願い。
「何だ?」
リンナは一度立ち上がり、首を傾げるベルカの前で改めて跪いた。
そうして胸に手を当て、もう片方の手を差し出す。
「どうか、今ひとたび…………その御手に永遠の忠誠を誓わせていただきたいのです」
死を前にした誓いなどではなく、これからもベルカと共に生きるための誓い。

あのとき誓った忠誠の口付けを、悲しみの色に染まったままにしておきたくなかった。
それは、リンナの我侭なのかもしれないけれど。

驚いたようにリンナを見返していたベルカだったが、表情を改めると姿勢を正した。
「……分かった」
その一言と、あのときと同じ右手が差し出された。
「ありがとうございます」
そう言い置いてから、リンナの掌の上に置かれたその手を緩く握る。

ひとつ大きく呼吸をし、ベルカの手の甲を見つめる。
あのときの口付けは、たとえ命と身体を失ってもせめて心だけは共に在れるようにという想いを篭めた。
今度は、そうではない。



必ず生きてこの方の傍に在るという、誓い。



一度目を閉じ、ゆっくりと瞼を開いて顔を上げた。
「殿下……改めまして、ここに誓います。昨夜申し上げましたように、この先いずこまでなりとも、あなたのお傍に付いて行きますことを。そして、変わることのない、永遠の忠誠を」
今はまだ、忠誠だけを誓う。
いずれ、この胸の中にある想いを告げられたなら、そのときはこの誓いに別のものが加わるだろう。

ベルカの瞳を真っ直ぐに見つめながら誓いを捧げ、リンナはその手に静かに唇を落とした。

唇を離すと、その手がギュッとリンナの手を握りしめた。
「……誓いは守らなきゃ意味ねーんだからな。絶対に、二度と俺の傍から離れんなよ」
「はい、殿下。決して」
顔を上げてそう告げると、ベルカが嬉しそうに笑って頷いた。

何があってもこの誓いだけは破らない。
生涯をかけて、必ず守り通してみせる。

ベルカが笑っていてくれることが、リンナにとっても何にも代えがたい幸福なのだから。




後書き。

イベント及び通販で配っていた無料配布ペーパーのSSをWEB仕様にしました。
再会後、改めてベルカの手に忠誠の口付けをするリンナが書きたくて書きたくて。
帥門ちゃんあたりは、いちゃついてる2人を遠くから興味津々でウキウキしながら見てそう。



2012年11月4日 UP




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