贈り物



岩壁にもたれ、ため息をつく。
さすがに少し、疲れているみたいだ。
聖地まではまだ遠い。本来は疲れたなどと言っている暇はないのに。

ベルカは服を少しくつろげ、首に下げた細い繊維を編んだ紐を引っ張る。
チャリ、と小さく音がして、胸元から紐に通したブレスレットが引き出された。
それを手の平に乗せ、じっと見つめる。
今になってもなお、これがこの手にあることを、あの時の自分は想像しただろうか。





「おい、エーコ、大丈夫か!?
ベルカはずぶ濡れになりながらも何とか川岸に上がり、膝を着いたまま辺りを見回す。
べったりと身体にまとわりつくドレスの生地が気持ち悪い。
まさかあのまま流されていったとは思わないが、雨で増水している川であるだけに心配になる。

もう一度呼びかけようとしたところで、弱々しい声が返ってきた。
「だいじょーぶだよぉ……なんとか……」
その声を聞いて、ホッと息をつく。

その場に座り込み、荒い息を整える。
サナの連中が諦めたかどうか分からない以上、出来るだけ早くここから離れなければならない。
「エーコ……とりあえず、川から離れようぜ」
「うん、そうだね……それに、早く服乾かさないとえこたん寒くて死んじゃう……」
その声も震えて聞こえる。
まだ本格的な冬にはなっていないとはいえ、夜は相当に冷える。
しかも、この辺りは王府よりも随分と気温が低いようだ。
いつまでもこの格好でいたら、風邪を引くどころか本当に凍え死にしそうだ。

森へと入り、月明かりを頼りに風をしのげそうなところを探す。
かなり歩いたところで、ようやく三方を大きな岩壁に囲まれた場所を見つけた。
「ここなら、まだマシだろ……」
「そうだね、見つかりにくそうだし。……そういえばベルカ、そのリュック……」
エーコの言葉で、抱えたままのリュックに気付く。
あの時の衛士から渡されたものだ。
そういえば中身は何なのだろう。
斬りつけられた時に破れてはいるが中身が全部零れるほどではなかったようで、まだリュックの中には殆ど残っている。

リュックの口を開けてひっくり返し、そこから出てきたものに目を瞠る。
「……ニワトリ……?」
「ニワトリ……だね」
何羽もの死んだニワトリを見て、ベルカはあの衛士に斬られた時に飛び散った血が何だったのかようやく分かった。
あれは、このニワトリの血だったのだ。
川の流れで洗われてもう血の痕跡はないけれど。

「あ、ベルカ! これ、キミの服だよ!」
ニワトリのインパクトが強くて気付かなかったが、すぐ傍に落ちた布の塊を開くとそこから出てきたのは、間違いなくベルカの服だった。
布で幾重にも包んであったため血は付いていないが、さすがに濡れることは避けられなかったようで、じっとりと湿っている。

こんなものまで入っているということは、あの衛士は最初からベルカ達を助けてくれるつもりで追ってきたということなのだろうか。
けれど……何のために。
ほんの一時好意を寄せた、『マリーベル』のために?
もしそうなら、救いようのないお人好しだ。
逃がしたことが知れたら、どんな処罰を受けるのかも分からないというのに。
自分を「マリーベル」と呼んだ衛士の顔が、ふと瞼に浮かぶ。
何か言い表しようのない感傷のようなものを覚え、ベルカは大きく首を振った。
もう、関係のないことだ。
気にしていても、仕方がない。
そう自分に言い聞かせ、浮かんだ顔を振り払った。

とにかく服を乾かそうと、濡れてなさそうな木の枝などを集めて火を起こす。
さすがに裸になるわけにもいかず、最低限の衣服だけを纏って上着やドレスは木にかけて乾かそうということになった。
「ドレスは綺麗に脱いでよー。あとで売るんだから」
着替えようとドレスに手をかけると、エーコから声が掛かる。
「売る?」
このドレスはあの娼館での借り物だったはずだ。
もちろん返しに戻ることは不可能だが、売るのは少々気が引ける。
「そうだよ、リコリスには悪いけど、路銀の足しにしないとね。これから宿代や食事代だって要るんだし」
濡れた上着を木にかけながら、エーコは悪びれずに言う。
「ああ、あとはその剣も売って……他に何か売れるものあるかなぁ」
「俺のピアスも、片方まだ残ってるけど」
「ダメだよ! 王家の宝飾品なんて下手に売ったら、足がつくじゃない!」
「そ、そうなのか……」
ベルカにはよく分からないが、エーコが言うならおそらくそうなのだろう。

ドレスの袖から腕を抜こうとしたところで、聞き慣れない金属音が耳についた。
見ると、手首にかかる金属の輪。
……思い出した。
あの衛士に、プレゼントされたものだ。

『よかったら……これ……もらってくれないか』
そう言って、マリーベルに渡されたもの。
開けると、そこには文字の彫られたブレスレットが入っていた。
その時の立場上、贈ってくれた本人の前でぞんざいに扱うわけにもいかず、その場で手首に着けたのだ。

売れるものがあるかと呟いていたエーコ。
これを、エーコに渡せばいい。
もうマリーベルの姿になることはないだろうし、あの衛士とも二度と会うことはないだろう。
売り払ってしまったところで、何の問題もない。
アクセサリーのことはよく分からないが、細かい装飾が施された良い品のようだ。
売れば、それなりの金になるだろう。

「ベルカ? どうしたの?」
着替えの途中で止まってしまったベルカを心配したのだろう、エーコが後ろから声をかけてきた。
丁度いい、このブレスレットを渡してしまえ。
そう、考えたはずだった。
「…………いや、何でもない」
けれど、自分でも意識しないうちに、そう答えていた。

服を着替え、外したブレスレットを手の平に乗せて見つめる。
どうして、エーコに渡してしまわなかったのだろう。
別に、取っておく義理なんてないはずなのに。
持っていたって、着けることもない。

それでも、このブレスレットを手放すことは何故だか躊躇われた。
しばし逡巡した後、ベルカはそれをズボンのポケットに無造作に押し込んだ。





結局あれからも、ベルカはこのブレスレットをその身から離さなかった。
どんな服に着替える時も、必ずこのブレスレットをポケットや懐に隠し持った。
城を出た今は、失くさないようにとホクレアの集落で新月に頼んで丈夫な紐を貰い、こうしてネックレス状にして首にかけている。

ブレスレットなのだから手首に着ければ済むことではある。
けれど、あのすぐ後に衛士──リンナに再会したこともあって、何となく着けるのを避けてしまった。
それは女物の装飾品を着けることへの抵抗もあり、贈った本人の前で着けることへの気恥ずかしさもあったのだろう。

けれど今は、そんなことを気にせずに着けていれば良かったのだと思う。
どうしてリンナに、今もこれを大切に持っていることを伝えてやれなかったのだろう。
伝えて、リンナの目の前で着けて見せてやれば良かったのに。
そうすれば、リンナはきっととても喜んでくれたに違いない。
「似合うか」と訊けば、この上なく嬉しそうな顔で「とてもよくお似合いです」と笑ってくれただろう。

それはあまりにも容易く想像できて、けれど決してもう見ることは叶わない。
ベルカは、リンナを喜ばせてやる術を持っていたのに。
見過ごしたまま、その術を永遠に失ってしまった。

形見の品なんて欲しくはない。
リンナ自身がいれば、物なんて何もなくても良かった。
けれど今は、ベルカに残されたのは右手の口付けと、このブレスレットだけだ。

リンナ以外には見せたくなくて、こうして胸元に隠した。
きっとこれからも、このブレスレットを手首に着けることはないだろう。
その姿を見てもいいのは、たった一人だけだから。



手の平の上のブレスレットにそっと口付けて、ベルカは宝物を扱うような仕草で再びそれを胸元に隠した。




後書き。

リンナのベルカへの初プレゼント、まだ大切に持ってたらいいのになと思って書いたSS。
あれ、1コマしか出てないんですけど勝手にブレスレットってことにしてしまいました……。
リンベルのはずなのに、リンナが出てこないお話になりました。

原作のこれからの展開にもよるんですが、いつかこの話の続きも書けたらいいなと思ってます。

※追記:王子全員、左耳にしかピアスしてないことに気付く前に書いたので作中に矛盾がありますが、目を瞑ってください……。



2010年8月22日 UP




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