無自覚症状



「あー、なんかすっげー疲れた……」
ドサリとベッドに腰を下ろしながら、ベルカは盛大にため息をついた。
今日1日で、随分と色んなことがあった気がする。
ようやく街に着いたと思ったら変な連中に絡まれ、そこから逃げられたかと思ったら今度は追いかけられ。
更には妙な子供の正体はミュスカだし、エーコ達に助けられたかと思ったら、オルセリートが別人に摩り替わってるなんて話まで出てきた。
もう、頭の中がグチャグチャになりそうだ。

「殿下、よろしいでしょうか」
ノックの音と共にかけられた声に答えると、リンナが控えめな様子で入ってきた。
「殿下、本日はお疲れさまでした。お飲み物をお持ちしましたが……」
「ああ、丁度ノド乾いてたんだよな。サンキュ」
マグカップを受け取ると、そこには程良い温度のホットミルクが注がれていた。
こういうところは、リンナは本当に気が利くと思う。
ベルカのノドが渇いているだろうことも、季節と今の時刻からどんな飲み物が欲しいと思うかも、きっちり考えて持ってきてくれる。

ホットミルクを一口飲んで、やっと人心地ついた気分になる。
「今日はやたら走ったり飛んだりだったからなー……」
小さく零すと、リンナが苦笑を漏らしたのが分かる。
「ああ、でもおまえも随分走り回ったんじゃないのか?」
いなくなってしまったベルカを捜すために。
「いえ、大したことはございません。元の場所に殿下がいらっしゃらないのを見たときは、かなり焦りはしましたが……」
「悪いな、心配させちまって」
「とんでもございません。何かその場を離れざるをえない理由がおありだったのでしょう?」
何の疑いもなくそう告げられると、その信頼に対して何となくこそばゆい気分になる。
確かに、状況的にあの場に留まれなかったことは事実なのだけれど。

少しくすぐったい気分を誤魔化すように、ベルカは話を続ける。
「まあなー。あそこでおまえ待ってたら、2人組みの衛士に声かけられてさ」
「もしや、『令嬢誘拐』の件でですか?」
「あー、うん、まあ、最初はそうだったんだけど……」
言葉を濁すと、リンナが少し眉を寄せた。
「何かあったのですか?」
途端に真剣味を帯びた視線を受けて、ベルカは慌てて両手を胸の前で振る。
「いや、別にそんなマジになるようなことじゃねーんだよ」
それどころか、非常にくだらないと言っていいくらいだ。
けれど、リンナの表情から硬さは消えない。
どうやら、ちゃんと話さないと安心できないらしい。

「……一緒に遊ばないかって」
「……は……?」
「だから! 『俺たちと一緒に遊びに行こう』って言ってきたんだよ!」
思い出すだけでムカムカしてきたのと妙に恥ずかしいのとで、つい声が大きくなる。
「つまり……ナンパされた……と?」
「ナンパって言うな! ったく、逃げようとしたら腕掴まれるし、脅迫めいたことは言いやがるし」
「脅迫!?
「ああ、『言うこと聞かないと誘拐犯だと疑ってやる』みたいなこと言いやがって……何なんだよこの街の衛士は!」
イライラしながら言い放つと、突然両肩を掴まれた。
驚いて顔を上げると、リンナがますます真剣な顔でベルカを見つめている。

「それで……どうなさったのですか!?
意外な迫力に少々気圧され、ベルカは少しうろたえてしまった。
「え、あ、ああ……アルロンの毒煙使って逃げようかと思ったんだけど、その前にミュスカが助けに入ってくれて……」
「内親王殿下が?」
「まあ、その時はミュスカだとは思わなかったんだけどな」
ミュスカに似てるとは思ったが、一体誰が本物のミュスカがあんなところにいると思うだろう。
「んで、今度はミュスカが追われてたらしくてさ。あちこち逃げたりおっさんと合流したりしてたら、リンナ達が来たんだ」
「そうだったのですか……。あの、殿下」
相変わらず、その目は真剣そのものだ。むしろ、どこか怒りすら感じる。
「腕を掴まれただけですか? もしや他にも何か……」
グッと肩を掴む手に力が篭められる。
不快な思いをしたベルカが怒るのは当然として、何故リンナがこんなにも怒っているのだろう。

逆に怒りを削がれた気分になり、ベルカはとにかくリンナを落ち着かせようと軽い口調で答える。
「何もねーって。大体、俺は男だぜ? 他も何もあるかよ」
ミルクを持っていない方の手をひらひらと振ってやると幾分かは安堵したようだが、肩を掴む手は外されないままだ。
普段は過剰なくらいへりくだるリンナにしては、随分と珍しいと思う。

だが、さすがにそろそろ肩が痛くなってきた。
「なあ、リンナ。肩いてーんだけど……」
そう控えめに告げると、リンナはハッとしたように慌てて手を離した。
「も、申し訳ございません! 大変なご無礼を……!」
リンナが一歩下がり、直角に近い勢いで深々と頭を下げる。
「いや、別にいいんだけどさ。なんか、珍しいなって」
そう言うと、姿勢を上げたリンナが戸惑ったような顔でこちらを見返してくる。
「おまえって、いつも穏やかな感じだろ? こんなことでそんな怒ると思わなかったからさ」
「『こんなこと』だなどと……殿下に対してそのような振る舞い、許せるものではございません」
「まあ確かにムカつくけど、少なくとも俺が王子だなんて向こうも知らなかっただろ」
何しろメイド姿だったのだ。王子だなんて夢にも思わなかっただろう。
「それはそうですが……」
まだ納得がいかないらしいリンナに、ちょっとした悪戯心が湧く。

「大体、おまえだって知らなかったとはいえ『王子』を買おうとしただろ?」
そう言ってやると、案の定、リンナはしどろもどろになってしまった。
「そ、それは……その……あのことに関しましては、大変申し訳なく……!」
赤くなってうろたえているリンナが、少しだけ可愛いなと思う。
こんな大男に可愛いもへったくれもないだろうとは思うのだが、そう思ってしまったものは仕方がない。

「と、とにかく」
何とか立ち直ったらしいリンナが、ひとつ咳払いをする。
「可能な限り私が殿下のお傍でお守り致しますが、今回のようにお1人になられた時は十分にお気をつけ下さい」
「気をつけろって言われてもなぁ……。今回みたいなヤツは特殊だろ?」
「とんでもございません! ただでさえ、『マリーベル』の格好をされた殿下は あ────」
「『あ』?」
いきなりぶつ切りされた言葉に眉をひそめ、ベルカは聞き返す。
しかし、リンナの方は口が滑ったと言わんばかりの表情で困ったように視線を逸らせている。
「何だよ、続き言えよ。途中で止められたら気になるだろ」
それが、ベルカ自身に関することなら尚更だ。
それでもまた逡巡しているリンナに、若干強めの口調で先を促す。
「言・え・ってば!」
どうして顔がまた赤くなってるんだとも尋ねたい気分だったが、今はそれよりも続きを言わせる方を優先した。
言わずには済ませられないと悟ったのか、リンナがようやく重そうに口を開いた。

「その……『マリーベル』の格好をされた殿下のお姿は、ただでさえ愛らしいのですから……」



「……………………はあ!?



思わず、大きな声が出てしまった。
しかし、自分のこの反応は決して間違ってはいないはずだ。
ベルカは男なのだ。
身体つきは正直まだ男っぽくなっていない自覚はあるが、剣の稽古でそれなりに筋肉だってついている。
そんな自分の女装姿を『愛らしい』はないだろう、と思う。

「何言い出すのかと思ったら……あ、『愛らしい』とか有り得ねーだろ!」
「いいえ! 現に、男に声をかけられているではありませんか!」
何故リンナがこんなにムキになっているのかは分からないが、ベルカもこれにはそうそう頷いてもいられない。
「あれは、あいつらの趣味がおかしいだけだっつの!」
勢いでそう言い返して、しまったと思う。
これでは、マリーベルを買おうとしたリンナの趣味もおかしいと言ったようなものだ。
いや、実際ちょっと悪趣味だと思ってはいるのだが、ハッキリ口に出してはダメだろう。

怒ったかもしれないとリンナの様子を窺ってみると、何故か肩を落として小さくため息をついている。
何もそんなにヘコまなくとも……と思うが、意外とダメージが大きかったのだろうか。

「殿下」
顔を上げて名を呼ばれ、ベルカは思わず姿勢を正す。
「お願い致しますので、どうかご自身の魅力というものを少しは自覚なさって下さい……」
「み、魅力!? って、何言ってんだよ!」
突然の言葉に、つい顔が赤くなる。
いや、赤くなる必要などないのかもしれないが、不意打ち気味だったこともあって一気に熱が上がってしまった感じだ。
フルフルと顔を振って、少しでも熱を冷まそうと試みる。

「殿下ご自身はお気付きではないようですが、殿下は今の普段のお姿のままでも人を惹きつける魅力をお持ちです」
「いや、ねーからそんなの……」
大体、そんなものがあったら、城にいた時あんなに居心地の悪い思いはしなかっただろう。
そんなベルカの考えを読んだかのように、リンナは柔らかく微笑む。
「私は以前の殿下を存じ上げませんが、少なくとも、今の殿下には十分すぎるほどそれがおありだと思います」
そんな笑顔で告げられると、何だかそのまま「そうなのか」と納得してしまいそうになる。
納得してしまいそうになって、慌てて再び首を振る。
こんな言葉を真に受けたら、自意識過剰みたいだ。

「実際に、その殿下の魅力に捕らえられた人間がここにおります」
胸に手を当て小さく頭を下げたリンナに、一度は下がった頬の熱が再度上がってしまう。
「……おまえって結構、恥ずかしいことサラッと言うな……」
赤くなった顔を見られたくなくて、少し俯きながら温くなりかけたミルクを一口含む。

「分かったよ、気をつけるから。それでいいだろ」
照れを隠そうとしてぶっきらぼうな言い方になってしまったが、幸いリンナは気にしてはいないようだ。
「はい。……少々出過ぎました。申し訳ありません」
「いや、心配してくれてんのは分かってるから、さ」
そう言ってやると、リンナがホッと息をついたのが分かる。

ちょっとつつくと真っ赤になったかと思ったら、あんなセリフを涼しい顔で言ってみたり。
よく分からないヤツだ、と思う。
どうしてリンナがこんなにもベルカを慕ってくれるのかも分からない。
ホクレアの一件にしても、そもそもリンナがホクレアに捕まってしまったのはベルカが原因なのだ。
けれど、理由は分からなくても、リンナがベルカの傍にいてくれることはとても心地良い。
何だか、無性に安心してしまうのだ。

「愛らしい」などと言われてつい反発してしまったが、今はリンナが言うなら気をつけようと素直に思える。
結局守られっぱなしだな、とベルカは苦笑する。
王子として、ベルカもリンナを守らなければならないのに。

いや、それはむしろこれからだ。
必ず、守ってやるから。
ベルカの、たった一人の民。

ミルクを飲み干してからリンナに笑いかけてやると、嬉しそうに微笑みを返してくる。
いつまでも、こんな風にしていられればいい。
この先どれだけ状況が厳しくなっても、リンナが傍にいるなら突き進んでいける。
……そんな気がした。




後書き。

リンナは恋的な意味では照れ屋さんでしょうが、いわゆる「忠誠心」から来るセリフなら恥ずかしいセリフだろうが臆面もなく言ってしまいそうなイメージです。
今回のタイトルは、ベルカ、リンナ双方共にそれっぽく……と。
それにしても、私の書くリンナはやたら口を滑らせすぎだ……。



2010年9月5日 UP




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