06.そら



「おまえは私を失望させるな」
正式な養子となり、名を改めたときにかけられた言葉。
その一言だけを残し、背を向けた。

我が子をも、自分の手駒としか考えられない実父。
幼い頃にこの屋敷にやってきてから、頭を撫でられたことも、用があるとき以外に声をかけられたこともない。
自分以外の落胤たちも同じだ。
養子になるまでは、父と呼ぶことさえ許されなかった。

父を「失望」させた、この家の元嫡子。
どこに行ったとも、そもそもあの怪我で生き延びているのかどうかさえ分からなかった。
フランチェスコ。
この家に来た時から、何かというとナサナエルに構っては纏わりついてきた。
ナサナエルの何が気に入ったのか分からないまま、月日だけが流れた。

それでも、ナサナエルはフランチェスコにたったひとつ感謝していた。
兄やを、ナサナエルの元に連れ戻してくれた。
フランチェスコ自身の目的が何であれ、それは毒に侵され床に伏したナサナエルにとって唯一無二の希望となったのだ。
それがなければ、ナサナエルはあのまま目覚めることのない眠りについていたかもしれない。

ふと、空を見上げる。
1羽の黄色い鳥が、青空を鮮やかに舞っていた。
黄と青のコントラストが、とても美しいと思った。

ふと、イメージが重なる。
家に縛られることを嫌い、殺されることも覚悟の上で飛び出したフランチェスコ。
籠の中から傷付きながら羽ばたいていった、自由な鳥。
今も金色の鳥は、この空の下を舞っているのだろうか。

本当は、羨ましかったのかもしれない。
ラーゲンの嫡子として産まれながら、それに縛られず、自分の道を選び取ったフランチェスコが。
羨ましくて……妬ましかったのだと、今なら少し分かる気がする。
自分は、飛べないから。
飛べるだけの翼を、持っていないから。

「ナサナエル様」
呼ばれ、振り返るとそこにいたのは黒装束を身に纏った『鴉』。
名を呼んだ後に気付いたのか、鴉がスッと頭を下げる。
「……申し訳ありません、キリコ様」
その仕草に少し寂しさを感じてしまったことに、小さく首を振る。
これからは『キリコ=ラーゲン』として、生きていかなければならない。

けれど、今だけ。
「……今だけ、ナサナエルと呼んでくれないか」
窓の外の空を見上げたまま、ポツリと呟く。
きっと、これが最後だから。

「はい…………ナサナエル様」
聞こえた声音は、昔のように柔らかかった。
「……ありがとう……兄や……」
もう聞くことのない名。もう口にすることのない呼び名。

もしも、この籠の外に出て行くことを選んでいたならば。
この名をずっと呼び合えただろうか。
青くどこまでも広い大きな空に飛び立つことを、恐れなければ。



羽ばたいた黄色い鳥の声が…………胸に痛かった。


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