07.指きり



ふ、と目を開けると、未だ見慣れぬ立派な天井。
そうだ、ここはもうあの小さな裏庭の小屋ではない。
怪我の回復を待って、今は太陽宮のゲストルームに移されている。

まだ窓の外は日が昇りきってはおらず、ほんのりと明るさが見え始めた頃だ。
リンナは傷に負担をかけぬよう、ゆっくりと身体を起こす。
脇腹に痛みが走り一瞬顔を歪めるが、じっとしていることで痛みをやり過ごす。

大きく息を吐き、リンナは足をベッドから下ろして腰掛けるような形で座る。
今はまだ、杖がなければ立って歩くことなどは出来ない。
そんな自分の状態が歯がゆくなることはあるが、焦っても怪我が早く回復するわけでもない。
リンナが今出来ることは、一刻も早くちゃんと動けるようになることだ。
そうでなければ、ベルカの元へ行くことも出来ない。

ベルカは今、どうしているだろう。
カミーノに行ったらしいということは伝え聞いていた。
大病禍に侵された死の街・カミーノ。
ベルカはきっと、カミーノの民を救おうとしているのだ。

未だベルカはリンナの生存を知らない。
知れば、この身はベルカの足枷になるかもしれない。
それを恐れて、ハサミで喉を突いて命を断とうともした。
けれどそれをミュスカに止められ、リンナは自分がどんなに愚かなことをしようとしていたのかを知った。

リンナが自分のために命を断ったと、そんなことがもしもベルカに伝わったら。
ベルカはどれほど傷付き、苦しむことだろう。
自分がリンナを殺したのだと、そんな風に自分を責めさえするかもしれない。
それくらいのこと、少し考えれば分かるはずだったのに。

「代わりは要らない」と、ミュスカは言った。
そして、ベルカもそう思っているはずだと。
確かに、そうだろう。
ベルカは誰かいなくなったからといって、すぐに他の誰かを代わりに仕立てるような少年ではない。
リンナよりも、まだ幼いミュスカの方がよほどベルカを理解している。

王府の街区でも、約束したのだ。
死なないことを。必ず生きることを。
その約束を、リンナは一度ばかりか二度までも破ろうとしたのだ。
しかも、二度目は自らの手で。
そんな自分が恥ずかしかった。
と同時に、止めてくれたミュスカにはどれほど感謝してもし足りないと思った。



夜着から、用意されていた服へと着替える。
今日はキリコとの会談があるという話は聞いていた。
一体どんな話をされるのかと、緊張する部分はある。
だが、これは逆に情報を仕入れるチャンスでもあった。
ここで治療を受けているだけでは、情報など全くといっていいほど入ってこないからだ。

そんな中、暖炉からミュスカが現れたときには心底驚いた。
仮にも姫君が顔を出すようなルートではない。
リンナの驚きを他所に、ミュスカは嬉しそうにリンナに話しかけてくれた。
ベルカのところに連れて行ってくれる、と。

正直なところ、この言葉に甘えたいと思わないわけではなかった。
けれど、そのせいでミュスカに何かあったらそれこそベルカに申し訳が立たない。
ミュスカをこれ以上巻き込んではいけない。
その一心で、その申し出は固辞した。

そして、約束した。命を捨てることはしないと。
必ず生きて、ベルカの元に戻ると。

「本当ね!? ぜったいなのよ!?
「はい、内親王殿下」
「じゃあ、こゆび出して!」
「小指……ですか?」
言葉の意味が分からぬまま、リンナは片手の小指を差し出す。

すると、ミュスカの白く小さな小指が、リンナの小指に絡められる。
「な、内親王殿下!?
驚いて指を引こうとしたが怒られてしまい、そのまま続きを待つ。

「これはねぇ、ゆびきりっていうのよ」
ヘクトルにいさまがおしえてくれたの、とミュスカは得意そうに笑う。
「こうやってしたやくそくはね、ぜったいにやぶっちゃダメなのよ」
破ったら舌を引っこ抜かれるのだという。
「だから、オルハルディはぜったいにしんじゃダメなんだから!」
「……はい、ありがとうございます」
ミュスカの心遣いが、とても暖かく感じた。

「絶対に、生きてベルカ殿下の元に戻ってみせます。……この、小指にかけて」
そう微笑んでみせると、ミュスカもようやく安心したようだ。



色んな人がリンナを心配してくれている。助けようとしてくれている。
そして、リンナの生を望み、迎えてくれる人たちがいる。
その気持ちに応えるために、出来うる限りのことをしよう。
目の前の小さな姫君の笑顔に、そう誓った。


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