12.大好き



ひとつ大きな欠伸をして、シャムロックはグッと身体を伸ばす。
酒には強い方だと思っているが、エーコに引きずられて少々飲みすぎたかもしれない。
いくらか酒が残っている気がするが、身体を動かす内に消えるだろう。

「シャムロック、おきてるの?」
主寝室の方から、声がかけられた。
宝石でシャムロックを雇ってしまった、小さな主。
姫君なのだから他にもいくらでも仕えてくれる者はいるだろうに、ミュスカは何故だか妙にシャムロックに懐いてしまった。
「ミュスカの騎士」だと言われ、自分にあまりに似合わぬその呼称に苦笑いをしたものだ。
よりにもよって傭兵などを雇わずとも、と思うが、今のミュスカには他に頼れる人間がいなかったのだろう。
それも、ベルカと再会したことで変化するかもしれないが。

「シャムロックー」
「はいはい、ここにいますよ」
主寝室に顔を出すと、ミュスカが眠そうな目を擦りながら化粧台の前に座っている。
「ミュスカの髪をとかして」
リンナやエーコではなく手先が不器用なシャムロックに頼むのは、おそらくレディとしての小さな矜持なのだろう。
ボサボサの髪で他人の前には出られない、という可愛らしいプライド。
小さく笑いながら、シャムロックはいつものように櫛を手に取る。

普段の自分からは考えられないほど丁寧な手つきで、ゆっくりと髪を梳かしていく。
最初は櫛に髪を絡ませてしまったりして文句を言われたが、最近は多少慣れてきたらしくそういうこともなくなった。

「……シャムロック」
「ん?」
短く訊き返すが、ミュスカは黙ったままだ。
「どうした、姫さん。腹でも痛いんですか」
「そんなんじゃないの!」
首を振るミュスカだが、シャムロックにはミュスカが何を言いたいのやらさっぱり分からない。

しばらく髪を梳かしながら待っていると、ミュスカがポツリと話し出した。
「ミュスカ、昨日……シャムロックのこと『きらい』って言ったでしょ」
もちろん覚えている。そのために、シャムロックは衛士に捕まる羽目になったのだから。
「そのせいでシャムロックつかまっちゃって……おこってる?」
「怒ってやしませんよ。あのくらいのことで」
見方を変えれば、あの騒動のおかげでベルカたちと合流できたとも言える。
まして、こんな小さな少女が勢いに任せて言ったことに目くじらを立てるほど狭量でもない。

「売り言葉に買い言葉だったことくらいは分かりますよ」
「うり、ことば……?」
少し難しかったか……と、シャムロックは苦笑する。
「つい、口から出ちまっただけで、本気でそう思ってるわけじゃないんでしょう」
「……うん」
コクリと頷くミュスカの髪から櫛を外して、ポンポンと頭を撫でる。
普段なら「無礼者!」と食ってかかられそうな行いではあるが、今日は随分と大人しい。

「ミュスカ、じじょにきらわれたのかもって思ったとき、すごくかなしかった」
持っていたのが毒入りの薬だと告げたのときのことだろうか。
「なのに、きらいなんて言ってシャムロックもかなしくさせちゃったのかもしれないって思ったの」
「本当に嫌われたなんて思ってないから大丈夫ですよ」
我侭ではあるが、こうして人の気持ちを考えられる辺り、本質的には優しい姫君なのだろう。
そういうところは、少しベルカに似ているかもしれないと思った。

「……ミュスカ、シャムロックのこと大好きよ。ミュスカの騎士だもの」
前を向いたままの顔を僅かに覗き見ると、顔を真っ赤にしている。
その様が実に歳相応の子供らしくて、シャムロックはついつい肩を震わせて笑ってしまった。
「どうしてわらうの!」
「ああいや、すいません。意外と素直なところもおありなんだと……」
シャムロックとしても、幼い少女に大好きなどと言われてもちろん悪い気はしない。
「そうですね……俺も姫さんは好きですよ」
王家の宝石という報酬があるとはいえ、今までで最大級の危ない橋を渡ろうとしているくらいには。

「……ホント?」
「ええ、本当です」
「……そう」
呟いた声がどことなく嬉しそうで、つられて笑みが零れる。



どの程度の付き合いになるかは分からないが、少なくとも退屈はしないだろう。
もうしばらく、この我侭で純真なお姫様に付いていってみるか。
そう内心で呟き、シャムロックは再び柔らかい金色の髪に櫛を通し始めた。


2012年2月5日 UP

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