14.キレイだね



「ああ、ここだ。その辺りで止めてくれ」
ベルカの言葉を受けて、御者が静かに馬車を止める。
そうして、一行はそれぞれの馬車から下り、目の前に広がる湖の前に立った。

リンナとキリコ、ペイジェは馬車のところで控えているつもりらしく、ベルカはオルセリートやミュスカと共に湖の方へと歩く。
オルセリートの体調も良くなり、王府での面倒事が片付いた今だからこそ、こうして3人で歩くことが出来る。
それが、ベルカは嬉しかった。
オルセリートの大病禍罹患を知ったときは、目の前が真っ暗になった気分だった。
王子としての振る舞いを自らに課していなければ、取り乱していたかもしれない。
それでも今はこうして、元気になったオルセリートと共に過ごせる。
ただそれだけのことが、どれほど幸福なことなのかをもう知っている。

「きょうがお天気でよかったわ! オルセリートおにいさま、こっちです!」
ミュスカがオルセリートの手を引きながら、嬉しそうに笑っている。
「おにいさま、ミュスカがお見せしたかったのはこれなの」
そう言ってミュスカが指差した方向を、オルセリートも見つめた。

そこには、降り注ぐ陽光をキラキラと反射して輝く湖面。
かつて、ベルカとミュスカが見た景色だった。
リンナやエーコ、シャムロックと共に王府へと馬車を走らせたあの旅。
その途中に立ち寄った湖で、この美しい景色を見た。

『オルセリートおにいさまにも、見せてさしあげられればいいのに……』
そう呟いたミュスカに、ベルカは言ったのだ。
連れてくればいい、と。いつか一緒に来よう、と。
ベルカ自身に巣食っていた不安をかき消すように、そう告げた。

そして今、ベルカとミュスカはオルセリートと共にここにいる。
あのときの願いそのままに。
叶ったことが、何にも代えがたい奇跡に思えた。

オルセリートの横顔を見つめる。
その瞳は、目の前の輝きに魅入られたようにただひたすら湖へと向けられていた。
浮かんだ表情がどこか泣きそうに見えたのは、気のせいだっただろうか。

「おにいさま……?」
黙ったままのオルセリートに不安になったのだろう、ミュスカが心配そうにその顔を見上げる。
その声に我に返ったのか、オルセリートは弾かれたようにミュスカを見た。
「ああ、ごめんミュスカ。あんまり綺麗だったから、つい見蕩れてしまったんだ」
安心させるように、オルセリートが微笑んでミュスカの頭を撫でる。
少し恥ずかしそうに頬を染めたミュスカが、満開の笑顔を見せる。
「よかった! オルセリートおにいさまといっしょに見たかったの」
「ありがとう、ミュスカ。嬉しいよ」
ギュ、とオルセリートに抱きついたミュスカを見て、ベルカにも小さな笑みが浮かぶ。
ミュスカも随分と大変な思いをしてきたが、すっかり元気になったようだ。

「ベルカもありがとう、連れてきてくれて」
振り返ってそう笑うオルセリートに、ベルカは思わずそっぽを向く。
「別に、ミュスカのヤツがうるせーから」
他者からの好意にある程度慣れてきた今でも、親しい相手からストレートに笑顔で礼を告げられるとやはり照れくさい。

「……一度は、諦めたんだ」
ポツリと、オルセリートが呟く。
「君やミュスカと笑い合うことも、こうして美しい景色を見ることも」
それはきっと、泥を全て引き受けようとしたオルセリートの覚悟だったのだろう。
加えて病にまで罹ったオルセリートが、どれほど未来への望みを失ってしまったか。
それを思うと、もっと早く行動できなかった自分が悔しかった。

「けれど、今僕はここでこの景色を見てる。今でも、信じられないくらいなんだ」
光が反射する湖面を、オルセリートは眩しそうに見つめる。
「本当に……キレイだね……」
「ああ、そうだな……」
美しすぎて、目の奥が熱くなりそうなくらいに。

「今度は、僕が綺麗なところを見つけてくるよ」
そうして君とミュスカを連れて行くんだ、とオルセリートが笑う。
「へえ、どんな楽園みたいなとこに連れてってくれるのか、楽しみだな」
「……あんまり期待値は上げないでいてくれると嬉しいな」
「もう遅せーよ、見てみろよ」
言いながら、オルセリートにくっついたままのミュスカを指差す。
案の定というか、期待に瞳をキラキラさせてオルセリートを見つめていた。

「そのときは、ミュスカがおにいさまのためにお弁当をつくってさしあげます!」
「楽しみにしてるよ、ありがとう」
頭を撫でられて嬉しそうにしているミュスカに、つい茶々を入れる。
「……食えるもん作れるのか?」
「しつれいね! おしえてもらえばできるもの!」
「ホントかよ」
「そんなにしんじないなら、しかたないから、一緒につくってあげてもいいわ!」
顔を真っ赤にしてツンと横を向くミュスカに、思わず吹き出してしまう。
「ぶれいもの!」
「ああ、悪い悪い……腹減らしとくから、いっぱい頼むぜ」
「……しょうがないわね」
そんなベルカとミュスカのやり取りを、オルセリートがクスクスと笑いながら見ている。
オルセリートが笑っても怒らないのが、ベルカとしてはいまいち釈然としないところではあるが。

「昼食の用意が出来たみたいだよ、そろそろ行こうか」
オルセリートにつられて振り返ると、リンナたちが持参した弁当類を用意しているのが見えた。
「そういや腹減ったな、さっさとメシにしようぜ」
「もう、『じょうちょ』がないんだから!」
「……悪かったな」
軽口を叩きながら、3人で湖を背にして歩き出す。



この先の道もずっと、一緒に歩いていけるようにと願いながら。


2012年4月9日 UP

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