15.笑顔



「笑った顔が見たい」
最初に思ったことはそれだった。

賊を追って踏み込んだ娼館。
そこで不意に目に触れた長い黒髪の少女に、呼吸が一瞬止まるのを感じた。
オルセリートが王府に戻ったと聞いて、ショックを受けたような、沈んだ表情をしていた。
その顔が綻ぶ様を見たい、と思った。
どうすれば笑ってくれるだろうと考えても、なかなか妙案が浮かばない。
元々、女性の扱いに慣れている方ではないから尚更だ。
女の子なら、やはり花が好きだろうか。
彼女のイメージなら、派手な大きい花束よりも清楚で可愛らしいものの方が似合うかもしれない。
そう考えて、普段は入ることなど滅多にない花屋に足を運んだ。

とはいえ、特別花に詳しいわけでもない。
店の者に助言をもらったりしながら、彼女に喜んでもらえそうな花束を真剣に見繕った。
しかしそれも結局直接渡すことは叶わず、その後も何度訪れても彼女に会うことすら出来なかった。

会いたい。
物憂げだったその顔に微笑みが浮かぶところが見たい。

日を追うごとに強まるその想いに、戸惑う。
たった一度会っただけの少女に、何故こうも惹かれてしまうのか分からない。
けれど、何度振り払っても瞼の裏から彼女の姿が離れなかった。

男だと知ったときの衝撃は、今でも覚えている。
しかも、自分たちが追っていた賊だったのだ。

本来なら命令どおり捕らえるか始末するべきだと分かっていて、けれど出来なかった。
懲罰覚悟で彼らを逃がした自分の行動が、正しかったのかは分からない。
だが、もしまた同じ場面を繰り返したとしても、きっと同じことをするだろう。
そんな確信があった。

再会してからも、厳しい表情が多かった。
状況から考えて、それも仕方ないことではあるが、それでもそんな顔を見続けることは辛かった。
だから、王府への旅を共に始めて間もなく、初めて笑顔を見せてくれたときは本当に嬉しかったのだ。
街の美味しい食べ物に、目を輝かせていた。
もっと喜んでほしくて、街に着くたびにベルカの好きそうな食べ物を見つけてきた。
甘やかしすぎだとエーコに叱られたりもしたが、喜んだ顔を見たい欲求に勝つことは出来なかった。

この笑顔を守りたかった。
いつでも楽しそうに笑っていてほしかった。
この先どんなことが起こったとしても、その顔が悲しみに染まることがないように。

今もその誓いは変わっていない。
ベルカを泣かせてしまったのは他ならぬリンナ自身だったが、二度と同じ轍は踏まない。
ベルカはもちろん、自身の命も守り抜く。
それがベルカの笑顔を守る最重要事項なのだということを、今はもう知っている。



「なんか良いことでもあったのか?」
宴が終わって部屋に戻る途中、不意に投げかけられた問いに僅かに首を傾げる。
「いや、妙に嬉しそうな顔してるからさ」
そう告げるベルカもまた、どこか嬉しそうだ。

「そうですね……良いことならありました」
「へえ! どんなのだ?」
興味津々といった様子で、ベルカが身を乗り出してくる。
「殿下に再びお逢いすることが叶い……こうしてお傍で楽しそうな笑顔を拝見できることです」
正直な気持ちを口に乗せると、ベルカは少し驚いた様子を見せた後はにかんだように笑った。

ああ、この笑顔だ……と胸の内に暖かさが広がる。
未だ状況は厳しく、ともすればその重さに押し潰されそうになることもある。
それでも、ベルカが笑っていてくれるならば、リンナは強くいられる。
出来るなら、リンナ自身もまたベルカにとってそんな存在であれればいいと願う。

もう二度と、誓いを破ることはしない。
ベルカの笑顔を見つめながら、リンナは自らの決意をもうひとたび強く反芻した。


2012年5月13日 UP

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