キィ……と控えめな音を立てて、扉を開く。
と、部屋の中の人影が弾かれたように立ち上がる。
「殿下! どうされましたか」
それを見て、ベルカの方が思わず目を丸くする。
「おまえ、まだ起きてたのか」
さすがにもう寝ていると思ったから、敢えてノックもせずにそっと入ってきたのに。
「そろそろ休もうかと思っていたところです。それはともかく、殿下、そのお姿は……?」
リンナが戸惑ったように首を傾げている。
自らの主が夜着で枕を抱えて立っていれば、それも無理はない。
おそらくリンナも、この格好からしてベルカがどうしたいのかは何となく察しているのだろう。
ただ、その理由を図りかねているといったところだろうか。
「なあ……この部屋で一緒に寝ちゃダメか?」
「い、いえ! ダメなどということは決して……!」
リンナが断れないことを知っていてこんな尋ね方をするのは、卑怯だと思う。
けれど、どうしても自分の欲求に勝てなかった。
居室のソファで寝るというリンナを、それでは意味がないと半ば強引に寝室のベッドに引っ張りこむ。
「ワガママ言って悪いけど、今夜だけ我慢してくれよ」
「我慢など……恐れ多くはございますが、殿下のお傍に望まれることほど嬉しいことはございません」
それが、間違いなくリンナの本心なのは知っている。
だが、きっと今ベルカが感じている気持ちとは違うものなのだろうことも分かっていた。
それでも、寄り添った身体から伝わる温もりが…………嬉しかった。
「あったけー……」
もっと近く感じたくてキュ、と抱きついてみたら、リンナが僅かに身体を強張らせたのが分かった。
少し調子に乗りすぎてしまったかと、名残惜しい気持ちを抑えて手を離す。
「……おまえを水路で失って、何度も夢を見た。おまえが、俺の傍で笑ってる夢」
そうして目覚めて、夢だったことを理解して絶望する。
何度も何度も繰り返したそれは、次第にベルカの心から痛みという感覚を麻痺させていった。
冷えすぎて感覚がなくなった皮膚のように。
けれど今、こんなにも心が締め付けられる。
ただ、リンナの傍にいる……それだけで。
こうしているだけで、身体も心もすべてが暖まっていく感覚がする。
想いのズレを感じて痛むこともあるけれど、そんな痛みさえも愛おしかった。
あの日の別れが、気付かせてくれたのだ。
自分が思っていたよりも遥かに強い想いが生まれていたことに。
気付いてももう手遅れだと、後悔に苛まれた。
失ってしまった、もう二度と戻らないと。
奇跡が再会を連れてきてくれた今でも、時折不安になる。
すべては逃避する心が見せた夢で、目覚めたら何もかも消えているのではないだろうかと。
そんなときに、温もりを感じたくなる。
体温を肌で感じて、リンナがここにいるのだと全身で確かめたくなる。
「今、おまえがここにいることがすげー嬉しいんだ」
目を閉じると、伝わる温度がより強く感じられる気がした。
「傍にいるとあったけーっていう、ホントに当たり前のことなんだけど、それが当たり前なことが嬉しいっつーか……こんなんじゃよく分かんねーよな、悪い」
「いえ、そのようなことはございません。私もそれによく似た想いを抱いております」
「……ホントか?」
目を開けてリンナを仰ぎ見ると、柔らかな微笑みが間近に見えて鼓動が跳ねた。
「はい、王府に……太陽宮にいたときは、最高級の寝具に包まれていてもとても寒く感じました。それはきっと、怪我のせいではなく……」
水路で別れてからベルカがずっと感じていた寒さ。
それを、リンナも感じていたのだろうか。
「ですが殿下がお傍にいて下さる今は、これ以上ないほど暖かく感じます」
そう言ってベルカを見つめるリンナの瞳は、いつも以上に優しい色で満ちていた。
「……うん、俺もだ」
どこか熱さすら感じるほどに。
「もう二度といなくなるなよ! 俺、寒いの嫌いなんだからな!」
キュ、と締め付けられる胸の内をごまかすように視線を外し、リンナの夜着を握りしめながら早口でまくしたてる。
「はい、今度こそお約束致します」
静かな声が降ってくると同時に、背中をそっと撫でられた。
大きな手の感触が心地良い。
その心地良さにうとうととしだしたベルカの耳に、子守唄のようなリンナの声が注がれる。
「明日からはまたお忙しい日々になります。今夜はゆっくりとお休みください……」
まだもう少しリンナと話をしていたい気持ちはあったが、背中に触れる手と囁かれる声の暖かさにベルカは次第に眠りの淵へと落ちていった。