想いが通じ合えて、傍にいる。
それだけで充分過ぎるくらい、幸せだと思ってたのに。
ちりちりと焼け焦げるような痛みが、悟空の心を刺す。
いつからか、慣れてしまった痛み。
でも、お互いの気持ちが通じ合ったあの時、きっとこの痛みもなくなるだろうと思っていた。
だけど、その痛みは今もなお悟空の胸の内にある。
「なあ、八戒」
「煙草ですか? それなら、その袋の中に買い置きがありますよ」
「お、サンキュー」
そんな悟浄と八戒の会話。
ほんの何気ない日常の会話であるはずなのに、悟空はその様子を見て拗ねたような顔になる。
悟浄と八戒が知り合ったのは、悟空が八戒と知り合ったのとそんなに変わらない時期。
確か、ほんの1ヶ月ほどしか違わないはずだ。
なのに、悟空には彼らが自分よりもずっとずっと前から知り合っていたんじゃないかと思えてしまう時がある。
先程のように用件を言わなくても察してしまったり、お互いこれ以上ないくらいの信頼を見せてみたり。
明らかに2人の間には、悟空の入り込めない領域がある。
もちろん、知り合った時期が変わらなくても、悟浄と八戒は一緒に暮らしていたのだから意志の疎通が出来ていても当然なのかもしれない。
だけど、旅を始めてからは悟空もずっと一緒にいるのに、それでも悟浄ほど八戒に近い位置に行けない。
八戒が悟浄の言葉や行動を読めるように、悟浄もまた八戒の考えを先回りしたような言動を見せる事がある。
だけど、いつも悟空にはそれが分からない。
八戒が何をしたいのか、何をしようとしているのか、何を考えているのか。
一生懸命考えてみようとするのだが、どうしても分からない。
なのに、悟浄はいともあっさり八戒の思考を読んで気を利かせたりしてしまう。
それが、なんだか酷く悔しかった。
悟浄の八戒への感情が親友へのそれである事は、悟空も充分承知している。
だけど、その感情がどんな種類のものであれ、八戒を1番思っているのは悟空じゃなくて悟浄なのだと、そう宣告されているような気持ちになる。
そんな事ない、八戒を1番好きなのは自分だと、そう言い聞かせてみても心は晴れない。
八戒は悟浄を1番理解していて。
悟浄も八戒を1番理解している。
2人を見ていると、それが言葉の端々や行動に感じられてたまらなくなる。
割って入れない絆を見せ付けられているようで、つい目を背けてしまう事すらあるのだ。
そんな事をしたって、何にもならないと分かっているのに。
悟空を好きだと言ってくれた、八戒の言葉を信じないわけじゃない。
いや、誰よりも何よりも信じている。
だから、こんなにもやもやした気持ちを抱える必要なんてないはずなのに。
それでも、現に今も心の中には焦りとも不安ともつかない気持ちが渦巻いている。
悟空には、一体八戒が自分の何処が好きなのかが分からない。
どうして、悟浄や三蔵ではなく、悟空なのか。
それが分からなくて、いつか八戒に背を向けられそうで。
そう考えた瞬間、ゾクリと背筋に冷たい汗が伝った気がした。
そんなのは嫌だ。
八戒の笑顔が悟空に向かなくなるなんて。
そんな事、絶対に耐えられない。
いや、二度と笑顔が見れなくなるなんて事はないのだろう。
例え八戒の気持ちが悟浄や三蔵に移ったとしても、旅を続ける間は以前のように優しく笑ってくれるだろう。
でも、その笑顔が特別な笑顔でなければ、それは悟空にとって何の意味もない。
その他大勢に向ける笑顔と同じ笑顔なんていらない。他の誰かと同じ優しさなんていらない。
欲しいのは、たった1人に対してだけのもの。
今、手にしているはずのものが、とても頼りなく感じる。
いつかそれを失くしてしまいそうで、怖くてたまらない。
「それじゃあ、俺はちょっと出てくるわ」
悟浄がドアノブを回す音で、悟空はハッと我に返った。
無意識の内に握りしめていたらしい手を開くと、じっとりと汗が滲んでいた。
悟浄が出て行った後、八戒はコーヒーカップを片しながら苦笑する。
「街に着くたびにマメですね、悟浄は。ねえ、悟空」
「え!? あ、うん……」
八戒の事を考えていたところに突然話しかけられて、悟空は少々慌て気味に返事をする。
その反応に、八戒の表情が少し心配そうになる。
「どうかしたんですか、悟空?」
「う、ううん、何でもないよ」
「そうですか? それならいいんですけど……」
まだ心配そうに見ている八戒から目を逸らそうとして、八戒の手元の空のコーヒーカップが目に入った。
「あ! 俺、そのカップ返してくる!」
そう言いながら、悟空は立ち上がった。
「そんな、いいですよ。僕が行ってきますから」
「いいって、いっつも八戒にばっかりやらせてるし……」
そう言うと、悟空はカップの乗ったトレイを持ち上げる。
ほんの些細な事でもいい。八戒の役に立ちたい。
トレイを持って、ドアの方へと歩く。
その時、床に置いてあった荷物に足が引っ掛かってしまった。
「うわっ!?」
バランスを立て直す暇もなく、トレイから滑り落ちた4つのカップは引力に従って落下していった。
乾いた音を立てて、カップが床と衝突してその形を失う。
「何やってんだ、バカ猿」
読んでいた新聞を畳んで、三蔵が呆れたような視線を向ける。
「ご、ごめん……!」
悟空は慌ててカップの欠片を拾おうとしゃがみ込んだ。
「あ、待って下さい! 危ないですよ、悟空」
八戒は駆け寄ると、悟空を制してカップを片付け始めた。
「ごめん……俺……」
「いいんですよ。悟空、怪我はないですか?」
「うん……」
悟空が頷くと、八戒は安心したように笑う。
「良かった。カップの事は気にしなくていいですから」
「……ごめん……」
「……悟空?」
いつもと違う悟空の様子に不審を抱いたらしい八戒が、悟空を覗き込む。
「どうしたんです? さっきから変ですよ?」
「何でもない……。俺、カップの事、宿の人に謝ってくる」
今の自分が情けなくて仕方がなくて、とにかく八戒の視線から逃れようと立ち上がる。
「……宿のヤツになら俺が言ってきてやる」
悟空がドアの方に振り向くのとほぼ同時に、三蔵が椅子から立ち上がる。
「え?」
三蔵とは思えない申し出に、悟空は思わず自分の聞いた事が信じられずに聞き返してしまった。
「間抜けな声出してんじゃねえ。いいから、てめえはここで八戒手伝って片付けてろ」
言うだけ言うと、三蔵はさっさと部屋から出て行ってしまった。
余りにも意外な行動に、悟空はしばし呆然としていたが、部屋を出る理由がなくなってしまった事に気付く。
こんな情けない自分を見られたくなくて部屋を出ようとしていたのに。
どうしようかと少し迷った悟空であるが、突っ立っているわけにもいかず、再びしゃがむと八戒と視線を合わせないようにしながらカップの片付けを手伝い始めた。
カチャカチャと欠片を拾い集める音が響く中、八戒が口を開いた。
「悟空、今日は一体どうしたんですか? 悟空らしくないですよ」
「……別に……」
「言いたくない事を無理に聞き出す気はないですけど……僕じゃ、話す気にもなれませんか?」
その声が悲しそうで、悟空は思わず俯いていた視線を上げた。
そこには、八戒の切なそうな、寂しそうな、そんな複雑な思いを含んだ笑顔があった。
「確かに僕じゃ、三蔵ほど悟空の気持ちを分かってあげられないかもしれませんけど……」
「違う! そういうんじゃなくて、俺はただ……」
「『ただ』?」
片付ける手を止めて、八戒の視線が真っ直ぐに悟空に向けられる。
悟空は割れたカップを見つめながら、小さく呟く。
「ただ……怖くて……」
「怖い? 何が怖いんですか?」
「八戒に……いつか愛想を尽かされちゃうんじゃないかって……」
だんだんと声は小さくなっていき、終いには消え入りそうな声になる。
「愛想を尽かすって……どうしてそんな事思うんです!?」
八戒らしくなく大きな声が降ってきた事に、悟空はビクリと肩を揺らした。
その悟空の仕草に、八戒はハッと我に返る。
「……すみません。でも、どうしてですか? そんなわけないじゃないですか」
穏やかな調子に戻った八戒が、悟空を覗き込むようにして尋ねる。
「だって、俺、悟浄みたいに八戒の事分かったり出来ないし……」
カチャリ、と手にしていたカップの欠片が他の欠片と音を立てる。
「いっつも迷惑かけてるし、八戒に甘えてばかりだしっ……!」
欠片が床に落ち、空いた手で悟空は自分のズボンの膝の辺りの生地を握りしめる。
「俺より悟浄の方が八戒に近い気がして……どんなに頑張っても悟浄以上に近付けなくて……!」
言葉を重ねるごとに声の大きさは増していき、まるで悲鳴のような印象になっていく。
「俺はこんなに八戒が好きなのに! なのに、いつか八戒は俺の事なんて何とも思わなくなっちゃうんじゃないかって……!」
最後の方では、もう涙混じりになっていた。
そんな自分が尚更情けなくて、悟空は浮かんだ涙を懸命にゴシゴシと擦るように拭う。
涙を止める事に必死だった悟空は、突然感じた温もりに目を覆っていた腕を外した。
視界の端の方に、見慣れた、自分の大好きな茶色がかった髪が見えた。
状況を把握した瞬間、悟空は慌てて視線を下に向けるものの、当然八戒の肩くらいしか見えない。
「は、八戒……! 下、カップの破片、危ないよ……!」
抱きしめられたのだからもっと他に言う事がありそうなものだが、今の悟空にとっては八戒が怪我しやしないかという事の方が何より重要だった。
「大丈夫ですよ。ちゃんと欠片どかしてますから」
抱きしめられた事への反応よりも八戒の心配をした悟空に、八戒は少し苦笑した。
「……悟空」
真剣な色を帯びた八戒の呼びかけに、悟空はピクリと反応する。
「悟空、確かに悟浄は僕の親友です。誰よりも僕を理解してくれていると思っています」
その言葉に、悟空は唇を強く噛みしめた。
「でも、それは必ずしも『イコール愛情』になるわけじゃありません。それは悟空にも言える事でしょう?」
「え……?」
言われた意味がよく分からない悟空に、八戒は少し声の調子を落とす。
「悟空を1番理解しているのは、僕じゃないでしょう? ……悔しいですけどね」
そう言われた悟空は、思わず目を見開いた。
自分を1番理解してくれている人。
そう訊かれたら、悟空が真っ先に思い浮かべるのは誰だろう。
……三蔵だ。
自分を岩牢から救い出し、そしてずっと傍で見守ってくれていた。
態度も口も悪いけど、そんな事なんてどうでもいいと思うくらい悟空を大事にしてくれていた。
随分と長く一緒にいたから、それくらいは悟空だって分かっている。
でも、悟空が今、誰よりも好きなのは八戒だ。
三蔵ももちろん大好きだし、何があってもそれは変わらない。
だけど、悟空の想いは八戒に向かっているし、その気持ちが本当だって事だけは自信を持って言える。
「僕も同じなんですよ、悟空」
悟空を抱きしめたまま、八戒が小さく呟く。
「僕もずっと、悟空と三蔵の絆が余りに強くて痛かった。割り込めない事を思い知らされているみたいで……」
初めて聞く八戒のそんな心の内に、悟空は何も言えずにいた。
「だけど、貴方は僕を好きだと言ってくれた。……どんなに嬉しかったか分かりますか?」
「八戒……」
「だから僕は、どんなに三蔵と貴方の絆の深さを見せられても、貴方のその言葉だけを信じていようと思ったんです」
「八戒……俺……」
「悟空……僕は悟空が好きです。その言葉だけでは信じてもらえませんか?」
何処か苦しそうに告げられた言葉に、悟空は泣きたくなって八戒の背中に腕を回した。
「ごめん……ごめん、八戒……。俺、信じてるつもりだったのに……」
「悟空……」
「もう俺、絶対迷わないから……。絶対、八戒の言葉を信じてるから……!」
抱きしめる腕に強く力を込めて、悟空は八戒の肩口に顔を埋めた。
信じているつもりで、信じていなかった。
そんな自分に、激しい怒りが湧く。
どうして、こんなにも自分を想ってくれている八戒を信じなかったのだろう。
勝手に不安になって、勝手に先走って。
挙句、八戒にこんな悲しそうな顔をさせて。
でも、もう迷わない。
他の誰も関係ない。
自分は八戒が好きで、八戒も自分を好きだと言ってくれた。
きっと、それが全てだから。
53535HITの梨玉様に捧げさせて頂きますv
リク内容は『最後が両思いのハッピーエンドで、出来れば悟空が八戒の事を好きで堪らない八空』という事でした。
悟空の八戒への想いを出そうとして、えらく悟空をぐるぐる悩ませてしまいました。
甘々をお望みだったとしたら、見当違いな方向へ行ってしまったんじゃないかとちょっとドキドキ……。
お互い大好きなんだけど、自分以上に相手に近い存在がいる。
そんなやりきれない思いがちょっとでも出てたら嬉しいなーと……。(弱気)
梨玉様、こんなのが出来上がりましたが、良ければ受け取ってやって下さいませv