温泉へ行こう!



「いや〜、たまにはこういうのも良いですねぇv」
畳敷きの部屋で湯呑みに入ったお茶をすすり、浴衣姿でくつろぎながら、八戒はのほほんとしている。
その横では悟空がテーブルの上に置かれているお菓子を悟浄と取り合っていた。
「あ〜! それ、俺のしょうゆせんべえ!」
「け、いつてめえのモノになったってんだよ」
「さっきも俺が目ぇつけてた芋まんじゅう食ったじゃんか!」
「んなモン、早いもん勝ちに決まってんだろ?」
「じゃあコレとコレは食うなよ! 俺んだかんな!?
「知らねーな。ほらよっと」
「ああっ! 返せよ、赤ゴキ河童!」
「食ったモン返せるワケねーだろが、バカ猿!」
その様子を苦笑混じりに見ながら、八戒は流れ弾が当たらない場所に避難した。

座椅子に座って新聞を読んでいた三蔵のこめかみには、既に3つほど怒りマークが浮き出ている。
新聞も手で掴んでいる部分が握り潰され、今にも引き千切られそうである。
片方の手を新聞から離すと懐から取り出したものを、未だ騒いでいる2人に向ける。
「……いい加減にしろ、貴様ら! 菓子の代わりに鉛玉食わせるぞ!!
言うと同時に全弾発砲する。
なおも弾を詰め直して撃とうとした三蔵を、八戒が宥めにかかる。
「まあまあ三蔵。その辺にしといて下さい。宿のご主人への謝罪は僕の仕事なんですから」
「……ち」
暗にかけられた八戒からの脅しに、三蔵は渋々銃をしまう。
「それに、折角珍しく良い感じの宿に泊まれたんですし」
部屋を見渡しながら言う八戒に、三蔵も部屋の中を見た。



そもそも、この街は西への行路からは少し外れた場所にあり、当然寄るつもりもなかった。
だが、ある街に寄った時に八戒がガイドブックなるものを買い出し先の女主人から貰ってきたのだ。
それによると、この街には良質の温泉が涌き出ているらしく、疲労や怪我によく効くと書いてあった。
怪我人がいるわけではないが、ここしばらくゆっくり休むといった事がなかったので良い機会だと思ったらしい。
八戒がほんの少し逸れるだけだからと、行き先変更を申し入れたのである。

三蔵も密かに温泉好きのため、割とすんなり許可を出した。
道が逸れると言っても僅かだし、地図を見る限り軌道修正も容易だと判断したためだ。
そうして街に着き、今いる宿を見つけたのである。
今まで泊まった事のある宿とは少し違った風情の宿であるが、なかなかに居心地は良い。
窓から眺める景色も悪くないし、どこか落ち着く雰囲気がある。
これで静かなら絶好の休養になるのだろうが、生憎この面子ではそれは無理というもの。
情緒というものをぶち壊す勢いで再びケンカを始めた2人に、三蔵の銃が再び火を吹いた。



キレている三蔵を八戒が宥めている時に、この宿の女将が入ってきた。
夕食までまだ時間があるので温泉でも、という事らしい。
「露天風呂がありまして、今の時間でしたらそれは綺麗な景色が眺められますよ」
「そうなんですか〜。それじゃ、先に温泉を楽しみましょうか、ね?」
八戒は他の3人を振り返る。
「うん! 俺も露天風呂入りたい!」
「はしゃぎすぎて茹で猿になんじゃねえの?」
「そんじゃ悟浄は茹で河童じゃんか! うわ、マズそ〜!」
「てめえに食われてたまるかってんだよ!」
「食わねえよ! 腹壊すもん!」
「は! てめえの胃袋に限って、んな繊細なワケねえだろうが!」
カチリ。という音に、悟浄と悟空の口ゲンカがピタリと止まる。
「……貴様ら、俺に何発無駄弾使わせりゃ気が済むんだ……?」
「ご、ごめん三蔵! もうしないから!」
「そ、それ仕舞えって!」
同時に両手を身体の前でブンブンと振る2人に、三蔵はため息をついて銃を仕舞った。

ちょっと怯えてしまった女将が退出した後、八戒達はそれぞれ露天風呂に行く準備をした。
……ただ1人、三蔵を除いて。
「……あれ、三蔵? 露天風呂、行かないんですか?」
「俺はいい。お前らだけで行ってこい」
「え〜! 何でだよ、三蔵〜! 一緒に行こうよ、三蔵も一緒じゃなきゃつまんねえよ」
「うるさい。俺は行かん」
「……もう絶対うるさくしないからさぁ……」
「……別に怒ってるワケじゃねえ。くだんねえ心配してねえで、さっさと行ってこい」
「でもさぁ……」
「しつけえぞ、猿。とっとと入ってこい」
それでも気にしている悟空の頭を、悟浄がこづく。
「保護者さんがいねえと小猿ちゃんは風呂にも入れねえってか?」
「そんなんじゃねえよ! ……三蔵、ホントに行かないのか?」
「この部屋にも風呂は付いている。俺はこっちに入る」
どうしても動かない三蔵を気にかけつつ、仕方なく悟空達3人は露天風呂に向かった。






カーテンから微かに入る月光しか光源のない宿の部屋の中、悟浄は目を開ける。
起き上がって隣の悟空の更に横を見てみると、案の定その布団は空だった。
やっぱりな……と思いつつ、悟浄は密かに用意していたものを持ってこっそり部屋を抜け出した。
真夜中なので音をなるべく立てないように、そっと歩く。
目的地は……露天風呂。

三蔵の性格からして、『皆でわいわいお風呂』なんて絶対にしないと思っていた。
だから昼間に三蔵が「行かない」と言い出した時も、別に驚かなかった。
わざわざ悟空を挑発するような事を言ったのも、そうでも言わなければ悟空も行かないと思ったからだ。
折角来たのに、そんな理由で温泉を諦めさせる事もない。
どうせ、三蔵はこうして皆が寝静まった夜に1人で入るのだから。

悟浄は少し寄り道をして、昼間のうちにこっそり手配しておいたものを取りに行った。
悟浄が普通に行ったら確実に三蔵の機嫌が悪くなる。
1人で入るために夜中に行ったのだから、それは当然だろう。
ほぼ間違いなく、悟浄を追い出すか、もしくは三蔵自身が出るか、どちらかだろう。
コレは、そうさせないための、三蔵と一緒に温泉を楽しむためのアイテムである。




脱衣所に入って周りを見渡すと、案の定目に入ったのはきちんと畳まれた浴衣。
読みが当たっていた事に満足し、悟浄はいそいそと自分も風呂に入る準備を始めた。
もちろん、そこに下心がないわけがない。
過剰な期待はしていないが、あわよくば……という邪な計画は立てていたりする。
もちろん、それには命の危険が付随するのは言うまでもない事だが、少なくとも今の三蔵は丸腰である。
銃もハリセンも持っていない。数少ないチャンスである。

悟浄はタオルを巻いて準備を終えると、例のアイテムを持って引き戸を開ける。
少し冷たい外気の中、悟浄は露天風呂までの短い通路を下りる。
露天風呂の湯気の中に目的の人影を見つけたが、まだ向こうは気付いていないようだ。
珍しいと思うが、それだけリラックスしているという事なのかもしれない。
悟浄がちゃぷんと音を立てて湯に入った時、勢いよく人影が振り返る。
こんな夜中に自分以外に風呂に入るに来る人間がいるとは思わないだろうから、これは当然の反応だ。

「……何故貴様がここにいる」
あからさまに不機嫌そうな声色で言い放ち、三蔵は悟浄を睨む。
「ん? 露天風呂に、風呂に入る以外の目的で来るヤツいんの?」
「貴様はもう昼間に入っただろうが」
「別に1日1回しか入っちゃいけねえモンでもねえだろ?」
「……ち、気分が台無しだな」
そう言うと、三蔵は立ち上がる。
「もう上がんのかよ?」
「俺がいつ上がろうが勝手だろう」
「ふ〜ん? 折角良いモン用意してきたのにな〜?」
悟浄は持ってきていたアイテムを、三蔵の方によく見える位置に持ってくる。
それを見て、少しだけ三蔵の動きが止まった。
脈アリと見て、悟浄は何とか引き止めるべく説得をする。
「な、いいじゃねえか、ちょっとくれえ付き合ってくれたって。結構良いヤツ選んできたんだぜ?」
上がろうとしていた三蔵であるが、少し考えた後再び元の位置に戻って湯に浸かる。
その時、悟浄が心の中でガッツポーズをした事までは、三蔵が知る由もない。

「お、付き合ってくれんの?」
「酒を飲む間だけだ」
そう、悟浄が持ってきたもの。それは、露天風呂の必須アイテム・酒の入ったお銚子数本と2つのお猪口。
それらを丸い盆に乗せ、湯にぷかぷかと浮かべているのである。
もちろん熱燗である。だが、中身が日本酒でも輸入方法については気にしてはいけない。



三蔵がお猪口を持ったのを見て、悟浄はお銚子から酒を注いでやる。
それを口に傾ける三蔵に満足し、悟浄も手酌で酒を飲む。
さすがに、三蔵が酒を注いでくれるとか、そんな期待はしていない。
「な、美味いだろ?」
「……悪くはない」
そう言いながらもどことなく機嫌が良さそうなところを見ると、どうやらこの酒を気に入ったらしい。
実は飲み口よりもずっと強い酒なのだが、全く表情を崩さずに飲めるのはさすがである。



悟浄は酒を飲む手を止め、露天風呂の外の景色を見る。
この露天風呂から見えるのは、ちょうど街とは反対側の、自然に囲まれた景色。
露天風呂が街に面していたら、それはそれでマズいので当然とも言える。
少し小高い場所にある宿なため、少し柵に景色を遮られるものの露天風呂からも自然が見渡せるようになっている。
生憎今は真夜中でよく見えないが、それでも月光が柔らかく照らしている。
昼に見た時に絶景だと思ったが、夜にこうして見ると昼間とは違った風情がある気がする。

悟浄が景色に意識を向けているのにつられたのか、三蔵も同じ方向を見ていた。
三蔵は今、この景色を見て何を思っているのだろう。
月に照らされた横顔は端正で、どこか、遠くを見ている瞳が儚げに見えた。
「……何だ」
いつの間にか三蔵を凝視してしまっていたらしく、それに気付いた三蔵の不審そうな眼差しが向けられる。
「あ、いや……何でもねえよ」
見蕩れていた、なんて言ったら確実に殺される。
「……ふん」
三蔵はそれ以上は訊かず、また酒を飲み始めた。
見抜かれていたのかもしれないが、それでも三蔵がその場を立たなかった事に安心した。




元々そんなに量のない酒である。
数本のお銚子が空になってしまうと、三蔵は用は済んだとばかりに立ち上がる。
だが、長湯の上に酒を飲んだせいか、少しふらついた。
それを悟浄が受け止める。予想はしていただけに、その行動は早かった。
「おっと、急に立ったらふらつくに決まってんだろ。ゆっくり動けって」
後ろから抱きすくめるような形で三蔵の身体を支え、悟浄は三蔵の耳元で囁く。

「うるせえ、手を離せ」
「……ヤだっつったら?」
「……何だと?」
悟浄のセリフに、三蔵の瞳が険しくなる。
「ふざけてんじゃねえ、さっさと離せ。殺すぞ」
「銃もねえのに、どうやって?」
「……貴様」
通常の人間なら即座に腰を抜かしそうな剣呑な光にも、悟浄は全く動じない。
既に免疫が出来ているし、現在の状況ではその剣呑さもあまり意味を持たない。

三蔵は悟浄の腕から何とか逃れようと試みているが、腕力が違いすぎる。
「離せ! 本当に殺すぞ、てめえ!」
「大声出すなって。夜中だぜ?」
「知るか! いい加減にしねえと……」
「三蔵……」
悟浄は更に腕の力を強め、出来るだけ優しい声音で三蔵の名前を呼ぶ。
すると、三蔵の身体がビクリと震えた。
素肌で触れ合っているため、それがダイレクトに悟浄に伝わる。



正直なところ、悟浄としてもかなりギリギリの状態だった。
ここまでシチュエーションが出来上がってしまうと、どうにも抑えが利かなくなる。
腕の中にいる三蔵が抵抗を止めてしまったため、尚更だ。
元々、雰囲気の持っていき方によっては頂けるかも、などという不埒な考えは抱いていたものの、まさかこうまで上手くいくとは思っていなかった。

悟浄の理性の糸があと数ミリで擦り切れる、というその時。



「ふはははははは! 見付けたぞ、玄奘三蔵!」
何とも狙い澄ましたかのようなタイミングで、刺客の集団が現れた。
「ふっふっふ、丸腰では何も出来まい! その命、頂戴して……」
リーダー格の妖怪が言い終わるよりも早く、その首が宙を飛んだ。
首を刎ね飛ばした凶器は、持ち主の手元へと戻っていく。
そう、悟浄の元へと。

「お、おい、悟浄……?」
さすがの三蔵も、悟浄にみなぎるただならぬ殺気に戸惑っている。
「…………ぶっ殺す」
滅多にないチャンスを潰されて相当ぶちキレている悟浄の錫杖が夜の闇を舞う。


「ぎゃああああ!」
「だ、ダメだ、殺されるっ……!」
「誰だよ! 『風呂に入ってる今なら丸腰だから簡単に殺れる』なんつったのは!?
「って、お前じゃねーか!」
……などという、はっきり言ってそれどころではないボケツッコミをかましながら、刺客達は次々とやられていく。




露天風呂に現れた刺客を全滅させ、辺りは正に死屍累々といった感じである。
三蔵は銃を持っていなかったため、ほぼ全員を悟浄が片付けてしまった。
「ち、折角の露天風呂が台無しだな」
三蔵が刺客の死体を見ながらため息を吐く。
そして、さっさと露天風呂から上がり、脱衣所へと歩いていく。

「お、おい三蔵!」
「何だ」
「もう上がっちまうわけ?」
「死体に囲まれて風呂に入りたいのか、てめえは」
「そ、そりゃそうだけどよ……」
折角のチャンスだったのに……と、悟浄はガクリと肩を落とした。
コイツらさえ出てこなきゃ……と思うと、異様に腹が立ってくる。
だが、さすがに死体に鞭打つ趣味はないため、八つ当たりも出来ない。
それでもいつまでもここにいても仕方ないので、渋々と悟浄も脱衣所へと足を向けた。



浴衣を着て、部屋に戻る途中でも悟浄の表情は浮かないままだった。
「……いつまでシケたツラしてやがんだ、てめえは」
夜中であるため、トーンを更に抑えて三蔵は足は止めずに後ろにいる悟浄を少し振り向く。
「いいだろ、別に……。はぁ……」
滅多にない機会がダメになれば、悟浄でなくともため息がつきたくなるだろう。

その時、突然三蔵が立ち止まり、危うくぶつかりそうになった。
「いきなり止まんなよ、ぶつかるトコだったじゃ……」
言いかけて、悟浄はその場に固まった。
掠めるように唇に触れた、ほんの一瞬のぬくもり。



悟浄が呆然としているのを少し面白そうに見て、三蔵は再び部屋に向かって歩き出した。
「……今日はこれで我慢してろ」
微かに聞こえた小さな呟きに、悟浄が我に返るまで数秒が必要だった。







END








後書き。

16000HITのSilice様に捧げさせて頂きます!
リク内容は『三蔵&悟浄で温泉ネタ』との事でした。
浄三にしてくれなんて一言も仰ってないのに、勝手に浄三テイストになってる辺り……。
でも『お盆に日本酒乗せてキュ〜っと1杯』は盛り込めたので許して下さい……。
ギャグなんだかほのぼのなんだか甘々なんだか、非常に統一性のないものに仕上がっております。
出来上がっちゃっている三蔵様と悟浄サンですが、書いてる方としては楽しかったです。
思ったより最初の悟浄と悟空のケンカが長引いたのは予定外だったのですが……。
温泉に入るまでの前振り長すぎ。
こんな代物が出来上がりましたが、謹んで献上させて頂きます!
Silice様、よろしければどうぞ受け取ってやって下さいませv




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