邂逅



書類にサインをしていた手を止め、金蝉は椅子に凭れる。
毎日毎日くだらない書類に、軽く目を通してサインする。
そんな日々を、もう数える事すらバカバカしくなるくらいに繰り返している。
もう、『退屈』だとすら思わなくなって久しい。

『退屈』だと思うのは、『忙しい』という経験があってこそだ。
退屈だけが続けば続くほど、それが当然になってしまってもうそんな事も考えなくなる。
そう、考える必要すらなくなっていく。

天界に『死』は存在しない。
だが、自分が『生きている』のかどうか金蝉にはよく分からなかった。
何かに心が動く事もほとんどない。思考する対象すらない。
それでも感情らしきものを失っていないのは、ことごとく金蝉の神経を逆撫でする叔母の存在のせいだろう。



投げやりに足を机の上に投げ出す。
「……ふん……」
つまらなさすぎる日々。その内本当に自分は何処かおかしくなるのではないのか。

「──『クソつまんねえな』……って、顔に書いてあるぜ、金蝉」
声に顔を上げると、そこには叔母───観世音菩薩が立っていた。
勝手に人の心中を読むなと言いたい所だが、言っても無駄なのは分かりきっている。

恵岸行者が黄金の眼をした動物を拾ってきたと言う。
黄金の眼、という言葉に多少興味を惹かれた。
吉凶の源とされている金晴眼。金蝉も聞いた事はあるものの、実際には目にした事はない。
どうせここにいてもヒマなだけなので、観世音菩薩について行ってみる事にした。








岩から生まれた生き物───人間でも妖怪でもない、もちろん神でもない。
唯一無二の存在。どんな生き物だろうという興味が強くなる。
こんな風に興味を持った存在など初めてだった。

「──放せよッ! いてーってば!」
元気すぎる声と共に、その生き物が姿を見せた。
枷に繋がれ、金鈷を嵌められたその生き物はまるで小猿のようだった。


ただ、その瞳に。
金色に輝くその双眸に、一瞬で目を惹き付けられた。
まるで、太陽を嵌めこんだように美しく輝く金色。
その、全てを射抜かんばかりの強い輝きが、なおさら太陽を連想させた。
まるで見とれるように固定していた視線に、その金の眼差しがぶつかった。
その瞳が、軽く見開かれる。

何か自分に驚くような要素があっただろうかと考える。
目の前の稀有な存在に比べれば、自分に特に目に付くものなどないように思えた。

ジャラリと鎖の音を響かせ、ソイツが目の前まで歩いてくる。
座っている時はさほど気にならなかったが、立って近くで見ると本当に小さい。
自分の腰ほどまでしかないその小猿は、無遠慮にジーッと見つめてきている。

「……何だよ」
呆れるくらいに、純粋で真っ直ぐな瞳。
こんな眼差しを向けてきたヤツなど今までいなかった。
金蝉童子といえば、天界でも上級神にあたるのだから当然なのかもしれないが。

その視線の意味を計りかねていると、その小猿は自分の髪を1房掴んで嬉しそうに呟いた。



「たいようみたいだ」



一瞬、さっきの自分の思考を読まれたのかと思い、心臓が跳ねた気がした。
焦ると本当に心臓の鼓動が早く、大きくなるものなのだと、初めて体感した。

心臓が落ち着き、小猿の言っている事が自分の髪の事なのだと理解する。
確かに自分の髪は金髪だが、それを『たいよう』と評された事などなかった。
それほど強い輝きを自分が放っているとも思わない。
退屈に慣れ、日々をただ無為に過ごしている自分が。

その自分に、目の前にある金色の瞳はひどく眩しかった。
退屈なんて知らないと言わんばかりの明るく活力に溢れた瞳。
天界で気が遠くなるほど永い時を過ごしてきたが、そんな瞳になど出会った事はなかった。
下界から連れて来られた子供。
その瞳の輝きは、天界には存在しない、下界の生命の輝きなのだろうか。

金蝉は、下界の事などあまり知らない。
興味が無いから調べた事もなかったし、軍のように下界に行く機会もない。
だが、この小猿を見ていて、少しだけ下界というものに興味を抱いた。
こんなに生命力に溢れたモノ達が、下界にはひしめいているのだろうか。
一度行ってみたいと、そんな風に感じた。



そんな事を考えていると、何か引っ張られるような感覚と共にぶち。という音が聞こえた。
同時に、頭に痛みが走る。
小猿の手には、金色の髪の一房。
髪を引き千切られたと理解したのは、それを見た時だった。

「何しやがる、この猿!」
そう言って小猿の頭を抑えつける。
観世音菩薩が笑っているのが見えて、余計にムカツく。
ちょっとでもこの瞳に惹き込まれた自分がバカみたいに思えた。
こんな、何も考えてないようなバカ猿に。

そう、こんなバカ猿に、何故この自分がここまで感情的にさせられなくてなならないのか。
こんな風に怒った事など、今まであっただろうか。
何にも興味が湧かなくて、何にも関心を持てなくて。
だから、怒りを向けるなんて事もなかった気がする。

それが今、こんな小猿にムキになっている自分がいる。
何故なのか考えてみても分からない。
ただ、コイツがムカツいた。自分の感情を振り回すコイツが。



何処に眠っていたのかも分からない感情に振り回されている所に、とんでもない決定が下された。
この小猿を自分に面倒を見ろ、と。
誰かの面倒を見た事などない。ずっと1人でいたのだから。
自分が誰かを育てる事が出来るとも思えなかった。
自分の事すら分からずにいるのに。

冗談じゃないと言ってみても、相手はあの叔母だ。
命と言われては、断れるはずなどない。
半分諦めたように小猿を見やると、その金の瞳が不安そうに揺れていた。
突然、訳も分からずこんな所に連れて来られたのだから無理もないのかもしれない。
金色の輝きが曇ってしまっている事に罪悪感を覚え、その頭をクシャクシャと撫でてやる。
すると、パァッと雲の間から晴れ間が差す様な笑顔が浮かんだ。

その笑顔に、思わず撫でていた手が止まった。
余りにも鮮やかな笑顔。それが、目に、胸に焼き付くような感覚がした。



これから、一体自分はどれほどコイツに振り回されるのだろう。
先の事を思いやると、前途多難な気がしてため息が出そうになる。


でも、こんな笑顔が自分に向けられるのなら。
振り回されるのも、そう悪くはないものなのかもしれない。




少なくとも、もう『退屈』を感じる事はなくなるだろう事だけは、何故だか確信があった。







END








後書き。

3939HITのニヒ様に捧げさせて頂きます!
リク内容は『金蝉と悟空の出会い〜金蝉サイド〜』でした。
初めて書きました、金蝉。……難しい人です。
金空とは名ばかりの代物になってしまったような……。
ニヒ様、ご期待を裏切ってしまってる気がヒシヒシとします……すみません……。
私なりに気合を入れて頑張ってみたんですが、いかがなものでございましょうか(ビクビク)
こんなのですが、献上致します故、どうぞ受け取ってやって下さい。



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