───反抗期───
子供が成長していく過程で、90%以上の確率で通る道。
それはある意味、成長の証とも言えるだろう。
子供を育てている親としては、嬉しくもあり、大変でもある。
例え本当の親ではなくても、育てる立場の者にとってはその思いは変わらない。
「おい、悟空! 聞いてんのか、てめえは!」
「聞いてるよっ!」
広い寺院の中に、大きな声が響き渡っている。
この2人にしては珍しい口論である。
そもそも悟空が三蔵に対して大声で言い返す事などほとんどない。
三蔵が何かの時に怒った場合、大抵悟空はすぐに謝る。
そして些か落ち込んだ悟空の頭を、たまに三蔵がくしゃくしゃと撫でてやったりする。
いつもそんな感じだったのだ。
三蔵が悟空に対して本気で怒る時は、いつもそれ相応の理由がある。
だから悟空も、素直に反省して謝る。
だが、ここ最近、その構図が崩れてきていた。
悟空が、自分の非を認めはするものの謝り方が妙に突っ掛かるような言い方をするようになった。
今までなかった事だけに、三蔵も少々戸惑っていた。
『素直』を具現化した風な悟空が、反抗的な態度を見せるようになったのだから当然だろう。
だが、三蔵も接する態度をそれに合わせて変えるなどという器用な真似は出来ない。
故に、こうしてほぼ毎日のように言い合いが続いていた。
「もういいだろ! 俺、外行って来る!」
「おい待て! 話は終わってねえ!」
呼び止めるものの、悟空の姿はもう走り去ってしまっていて見えなくなっている。
「なんなんだ、あのバカは!」
三蔵が悪態を付きたくなるのも、無理からぬ事だろう。
何しろ、悟空の態度の原因が分からないのだ。
三蔵は椅子を引き、腰を下ろす。
悟空の態度に変化が表れ始めたのは、2週間ほど前からだ。
だがその前後に何かがあったかと言えば……別に特にはなかったはずだ。
悟空にも一応聞いてみたのだ。……何か言いたい事があるのなら、聞いてやるから、と。
しかし、悟空は何も話さない。
三蔵の頭の中に、一つの単語が浮かぶ。
『反抗期』
確かに、悟空の年齢から見てそうである可能性は否めない。
ただ、まさか悟空にそんなものが訪れるとは思っていなかった。
そんな兆候など、今まで一度も見られなかったのだ。
もし『反抗期』だとして、三蔵にはどう対処すればいいかなど分からない。
三蔵とて、19歳というまだ成人していない、『子供』といってもいい年齢なのだ。
いくら三蔵が年齢にそぐわず大人びているからといって、そこまですんなり対処しきれるものではない。
こういった場合、自分の経験に照らし合わせるのが一番早いのだが今回はそれは出来ない。
三蔵には特に『反抗期』という経験がない。
先代三蔵である光明三蔵法師と共に過ごしていたのは、そんな時期に差し掛かる前であったし、ちょうどソレにあたる頃はずっと1人で旅をしていたため、反抗する相手すらいなかった。
強いて言うなら、自分に降りかかる運命に対して反抗していたのかもしれない。
「ちっ、面倒くせえ……」
三蔵は執務室の椅子に腰掛ける。
ただでさえ仕事がたまっている時に、何故こんな面倒事を抱え込まなければならないのか。
そう考えると、ますます苛立ちが募ってくる。
三蔵も、感情のコントロールを利かせられるほど大人にはなりきれてはいなかった。
悟空は執務室を飛び出した後、すぐに外へ出て大きな木の枝の高い部分まで登っていた。
枝に座りこんで、三蔵の執務室の方を見やる。
「……ちぇっ……、三蔵のバカ!」
自分でもどうしてこんなにイライラするのか分からない。
いつもなら、素直に反省して謝れるのに。
何だかこの頃、三蔵に怒られた時にひどく腹が立つのだ。
自分が悪いのは分かってるのに、謝ろうと思っても口から出る言葉がケンカ腰になる時がある。
そんな自分にも腹が立って、イライラが止まらなくなる。
理由がよく分からないから、自分ではどうしても直せないし、三蔵にもうまく話せない。
「三蔵だって悪いんだ。いっつもいっつも怒鳴ってばっかでさ!」
こんなの、ただの八つ当たりだって分かってる。
「ちょっとくらい笑ってくれてもいいじゃんか!」
表情に出さなくても、三蔵が悟空の事をちゃんと思ってくれている事も知っている。
全部分かってるのに、止まらない。
悟空の肩がピクリと動く。
それとほぼ同時に、下から声が響く。
「おい、悟空」
三蔵が、悟空の登っている木の下から悟空を呼んでいる。
「降りて来い。……聞いてるのか」
いつも三蔵は、こうやって悟空のいる場所をすぐに見付けてしまう。
普段なら嬉しいはずのこの事が、今は悟空の癇に障った。
「何で? いいじゃんか、別に」
「話がある。降りて来い」
「話ならこのままでもいいだろ」
「ダメだ」
「何でだよ」
「いいから降りて来い」
「ヤダ」
……まるっきり平行線である。
「……分かった」
三蔵は、そう言ってその木の幹に背中を預けて座る。
そして袂から煙草を取り出し、吸い始めた。
「……何してんの」
「てめえが降りて来ねえのなら、降りる気になるまでここにいるからな」
要するに持久戦に持ち込むつもりのようだ。
三蔵が下にいては、悟空も降りるに降りられない。
いや、別に降りてもいいはずなのだが、何だかそれがイヤだった。
悟空も思わず意地になってしまう。
三蔵が諦めるまで、絶対に降りてなんかやらない。
膠着状態のまま、時間が刻々と過ぎていく。
三蔵のそばには、マルボロの吸殻が辺り中に散らばっていた。
夕食の時間も過ぎているのだが、悟空は未だ降りようとはしない。
だが、三蔵の方もここで立ち去るわけにはいかない。
そんな事をしたら、また振り出しに戻るだけだ。
三蔵にしては珍しく、我慢強い状態が続いていた。
いつもの三蔵ならとっくにキレて、怒鳴るなり立ち去るなりしているところだ。
悟空を拾ってきてから余りにも振り回される為、怒りに対して耐性が出来てしまっているのか、それとも育てる立場に立つ者としての責任感であろうか。
それでもどんどん増えていく吸殻の数が、三蔵の忍耐の限界が近付いていっている事を教えている。
もう何本目かも分からなくなった煙草に火をつけようとした時、上からパラパラと葉っぱが降ってきた。
そのまま上を見ると、枝を移ったらしい悟空と目が合った。
三蔵は強い視線で、悟空に目を逸らす事を許さない。
口には出さずに、目で『降りて来い』と告げる。
悟空は三蔵の視線に射竦められたまま、枝の上で止まってしまっていた。
その視線の余りの強さに目が離せない。
この強さを自分は持っていない。持っていないからこそ、焦がれた光。
でもそれは眩しすぎて。何だか自分が卑小に思えた。
無意識の内に引き寄せられてしまったのか、悟空の足が枝から滑り落ちた。
当然、支えを無くした身体は引力に従って地面へと落下する。
それだけなら、悟空なら何とか無事に着地出来たかもしれない。
しかし、落下する先には……三蔵がいた。
派手な音と声と共に、悟空は三蔵を巻き込んで地面に落ちる。
三蔵が下敷きになった形なので、悟空は余り痛みを感じなかった。
悟空は慌てて起き上がり、三蔵の方を見る。
「三蔵! だ、大丈夫かよ、三蔵!!」
「……っ……つぅ……」
三蔵は余程強く打ち付けたのか、起き上がってこない。
「三蔵っ……! なあ、三蔵! ごめん、ごめんな、俺っ……!」
悟空は泣き出しそうな声で、倒れている三蔵に謝っている。
「あ、そ、そうだ! 俺、誰か呼んで来る!!」
悟空は立ち上がって人を呼びに行こうとした。
だが、その手を三蔵が掴む。
「……必要ない。大したコトねえ」
「……でも……」
「俺がいいってんだからいいんだよ」
「ホントに大丈夫か……?」
「ああ」
三蔵は何とか身体を起こして、再び木の幹に寄り掛かる。
悟空は三蔵の前に膝をついて、心配そうに見ている。
その表情が、前の悟空に戻ったようで、三蔵は内心で少し安堵を覚える。
ケガの功名とでも言うべきだろうか。
最近見せていた、反抗的な雰囲気は影を潜めていた。
しかし、このままうやむやの内に話を終わらせる訳にもいかない。
「悟空。……ここの所、お前がイラついてたのは何故だ?」
蒸し返す事になるのを覚悟の上で、三蔵は悟空に問い掛けた。
「何か気に入らない事でもあったのか。その原因は俺か?」
「そうじゃない……と、思う……」
「……『思う』……?」
「何でか、俺にもよく分かんなくて……。でも聞く事や見るものがみんな気に食わなくって……」
「……それは、今でもか?」
聞かれて、悟空は三蔵の方を見つめる。
「……ううん、今は別に……」
「そうか」
とりあえず、第一波は過ぎたのだろうか。
当然、まだ先は長いだろうが……。
「俺、どっか変なのかな……。自分でも分かんないんだ……」
悟空は不安そうに俯いてしまった。
三蔵は少し身体を前に出し、悟空の頭に手を置く。
「別に変なんかじゃねえよ。誰にでもある事だ」
「誰にでも……?」
「ああ。お前ぐらいの歳になると、そういう時期があるもんなんだよ」
「……そうなんだ」
「その感情を、ある程度コントロールする方法を覚えたのが『大人』だ」
コントロールできない大人は腐るほどいるが、今はそんな事まで言う必要はない。
「だから悟空。今の内は感情のままに当たったって構いやしねえ。
少しずつコントロールする術を覚えていけばいい」
三蔵はそう言って、悟空の頭に置いた手で悟空の髪をくしゃくしゃとかき回す。
「……うん、分かった」
思いのほか素直に悟空が頷く。
今は落ち着いているが、おそらくまた同じような状態になる事が多々あるだろう。
そうして、ソレが完全に過ぎ去ってしまえば、悟空の心も今よりきっと成長している。
その過程だと思えば、少々の八つ当たりも甘受できるような気がした。
成長しきってしまっても、張り合いが無くなるような気はするが。
完全に父親の思考だな、と三蔵は苦笑する。
光明三蔵も自分を育てている時、こんな風に思っていたりしたんだろうか。
三蔵が反抗期を迎える前に、あの人は逝ってしまったけれど。
何だか妙に穏やかな気持ちになり、三蔵は悟空の頭をポンポンと叩くと立ち上がる。
「戻るぞ。夕飯まだだろ」
「あ、そうだ! 思い出したら急に腹減ってきたー!」
悟空は勢いよく立ち上がると、私室のある建物の方へと駆け出す。
三蔵は走る悟空を見ながら、この小さな子供を見守っていこうと思う。
───いつか、自分の元を巣立つ時が来るまで……。
END
後書き。
777HITの桜沢様に捧げます。
リクは「反抗期」で『あくまで強気な悟空に手を焼く父三蔵』……との事でしたので、
今回は私にしては珍しく、親子な2人を目指してみました。
……が。悟空が全然強気じゃありません(大汗)
すみません、桜沢様! 私が書くとどうも素直な悟空になってしまって……。
最初の方は頑張っていたんですけど……しくしく……。
桜沢様、こんなのでいかがでしょうか……?