夜の帳が落ち、物音一つ聞こえない静かな部屋。
そんな静寂の中、三蔵はゆっくりとベッドから上体を起こした。
「……またか……」
そんな小さな呟きすら、部屋の中に響き渡る。
時刻は……夜中の3時半。
シンとした室内とは裏腹に、三蔵の頭の中には煩すぎるほどの声が響いている。
2ヶ月ほど前に拾ってきた小猿の怯えたような声が、さっきから三蔵の名を呼び続けていた。
これで何度目だろうか。真夜中に叩き起こされるのは。
三蔵は元々寝起きが悪い。更には疲れている所を叩き起こされ、不機嫌にならないはずがない。
しかし、最初に呼ばれた時、悟空の表情を見て思わず怒鳴る事も忘れた。
何かにひどく怯え、ガタガタと震える悟空。
三蔵が部屋に入った瞬間に、三蔵に抱きついてきた。
ただ「さんぞお、さんぞおっ……!」と三蔵にしがみつきながら、震えていた。
未だ傷跡に苛まれ、毎夜悪夢に怯える悟空。
その悪夢は500年前の記憶の残り香か、それとも岩牢に閉じ込められた500年間か。
どちらにしろ、悟空がそんな悪夢に囚われ続けているのが三蔵の気に障る。
何のために、三蔵があんな険しい山を登ってまで見つけ出し、解放してやったのか。
この自分が、わざわざその手を取って連れ出したというのに。
なのに、あの小猿はいつまでも三蔵を見ずに、後ろに澱んだ『何か』からもう片方の手を離さない。
「いい加減にしろ、バカ猿……」
呟いて、三蔵は立ち上がり、ドアに向かう。
三蔵を呼ぶ声の、あまりの痛々しさに眉を顰めながら舌打ちする。
その痛みを与えているのは誰なのか。
考えても仕方ない事だし、分かるはずもないが、その人物への苛立ちは収まらなかった。
カチャリと小さな音を立て、悟空に割り当てた寝室のドアを開ける。
悟空はベッドの上で、毛布を頭から被って震えていた。
「……おい猿、何してやがんだ」
その声に、悟空がバッと顔を三蔵の方へ向ける。
三蔵の姿を認めると、泣きそうな顔をして三蔵に駆け寄っていつもの如く抱きついた。
「さんぞぉ……、さんぞ……」
顔を埋めたまま、悟空はひたすら三蔵の名を呼ぶ。
「……また夢を見たのか?」
悟空の頭をゆっくりと撫でてやりながら、三蔵はなるべく穏やかに尋ねた。
悟空はコクリと頷く。
「どんな夢かは……覚えてないんだな?」
「……うん……」
「……そうか」
いくら三蔵でも、夢の中までは手を差し伸べてやれない。
悪夢にうなされる悟空を、こうして少しでも落ち着かせてやる事くらいしか出来ないのだ。
「……悟空、お前最近ロクに寝てねえだろ。今日だけはここにいてやるから、寝ろ」
「でも……」
俯く悟空の手を引き、ベッドまで連れてくる。
ベッドの中に押し込んで、三蔵は椅子をベッドサイドに引いてきてそこに座った。
「お前が眠るまで、ここにいてやる。……それでもイヤか?」
ベッドに横にして布団をかぶせた悟空の髪を梳く。
「……ううん。……あのさ、三蔵……」
「何だ」
「えっと、あの……んー……」
悟空は口篭もりながら迷っている。
そんな様子に少々苛つきながら、三蔵が先を促す。
「何なんだ。さっさと言え」
「……手……」
「……手?」
「……手、繋いでてくれる……?」
そう言って、悟空は布団の中から控えめに手を出した。
三蔵は少し考えてから、その悟空の手を取ってやる。
すると、安心したように悟空はその瞳を閉じた。
瞳を閉じても、三蔵がそこにいる事を感じていたかったのだろう。
手のぬくもり、それは時として何よりも強力な精神安定剤となる。
それはきっと、三蔵にとっても同じ事だ。
この小さな手から伝わるぬくもりに、どこか安心感を抱く自分がいる。
悟空が目を閉じてから、静かな空間の中で部屋に置いてある時計の音だけが規則正しい音を刻んでいる。
悟空を見てみると、目は閉じているものの、呼吸は寝息のそれとは違う。
まだ、意識は覚醒したままなのだろう。
あんな風に震えるほどの夢を見た後だ。簡単に眠りに落ちる事が出来なくて当然だ。
今の自分と悟空の状態を見て、三蔵はふと思い出した。
そういえば、昔、確か自分にも似たような事があったと思う。
あれは、何歳くらいの事だっただろうか……。
今の悟空よりもずっと小さかった頃、怖い夢に怯えて眠れなかった事があった。
そんな時、師である光明三蔵法師も一晩中手を握ってくれていた。
そう、ちょうど、今の自分のように……。
ただ、その時の自分も、手のぬくもりに安心しながらも寝付けなかったような気がする。
あの時、光明三蔵がしてくれた事。それは……。
三蔵が来てくれて、こうして手を握ってくれていても、悟空は眠りに落ちる事が出来ないでいた。
今の自分は、とても安心しているはずなのに。いや、実際気持ちは落ち着いているのに。
それでも、さっきの悪夢の恐怖が染みついていて眠りを邪魔する。
三蔵を安心させたくて、眠ろうとすればするほど意識はハッキリとしてくる。
悟空の胸の内に、焦りが芽生えてきた頃、何かの音が悟空の耳を掠めた。
耳を澄ましてみると、それは……歌声だった。
さすがに悟空も、自分の耳が信じられなかった。
ここには、三蔵と悟空しかいない。
当然この歌声は、三蔵のものでしかありえない。
あの三蔵が歌を歌うだなんて、誰が想像出来るだろう。
しかし、これは幻聴じゃない。確かに三蔵が歌っている。
小さな、小さな声。でも、暖かくて優しい声だった。
三蔵は、目を閉じて昔を思い出すように歌っていた。
遠いあの日、光明三蔵が江流という名だった頃の自分に歌ってくれた子守唄。
とても幼くて、当時の事など殆ど覚えていないのに、どうして今歌えるのか分からない。
ただ、今自然にそのメロディーを思い出した。
三蔵は小さな声でゆっくりと歌う。
あの頃の自分が光明三蔵の声に次第に眠りに誘われたように、悟空もまた、眠りに落ちてくれるだろうか。
それだけの安心感を、自分は悟空に与えてやれるんだろうか……。
三蔵の子守唄を聞きながら、悟空は次第にふわりと浮くような感覚を覚え始めた。
何かに揺られているような、そんな感覚。
とても心地良くて、胸の中が暖かくなっていくような気がした。
少しずつ、三蔵の歌が遠くなっていく。
すぐ近くで歌っているはずなのに、だんだんとその声が小さくなっていく。
そして……悟空の意識はいつしか眠りの淵に引き擦り込まれていた。
歌い始めてからしばらく経つと、やがて悟空から規則正しい寝息が聞こえてきた。
どうやら、ようやく眠ってくれたようだ。
その安心しきったような寝顔に、思わず笑みが浮かぶ。
とてもさっきまで怯えて震えていた者の寝顔には見えない。
その様子に、三蔵は常になく穏やかな気持ちになる。
「……間抜けヅラさらしやがって」
そう呟く三蔵の、表情も声も、彼を知る人が見ればその場に固まってしまうだろう程優しい。
「……そんなツラ、他のヤツに見せんじゃねえぞ」
悟空が起きていたら、絶対に口にしないセリフ。
三蔵は少しの間、そのまま悟空を眺めていたが、そろそろ自分の寝室に戻ろうと立ち上がった。
いや、立ち上がろうとした。
しかし、さっき握った悟空の手は、眠った今もなお三蔵の手を強く握りしめている。
外そうとしてみたが、寝ているとは思えないほどの力で握られているためそれも出来ない。
しばらくその場で考えていたが、三蔵は再び椅子に腰を下ろした。
「……今日だけだからな」
寝るには少々キツい体勢であるが、この際仕方がない。
手のぬくもりという睡眠薬もある。眠れない事はないだろう……。
そう結論付けて、三蔵は目を閉じた。
後書き。
12000HITのしぇいふ様に捧げさせて頂きますv
リク内容は『歌を歌う三蔵様』でした。ふふ、素敵なお題……v
しかし、三蔵様と悟空、幸せでしょうか? ラ、ラストは幸せですよね!?
甘い三蔵様は書いてて楽しいですv というか、私が書くといつも甘くなります。何故。
やはり自らの願望が、書くものに表れてしまうんでしょうか(笑)
三蔵様が歌うにしては優しすぎる口調の子守唄ですが、元々は光明様が歌ってたものですからv
シリアスで始まって甘甘で終わるという、ワケの判らない事になってますが……。
しぇいふ様、こんな代物ですが、どうぞ受け取って下さいませ〜!