帰る場所



「三蔵……俺、ひとりで旅に出てみようと思うんだ」
西への旅が終わり、長安の慶雲院に帰ってきた。
そうしてしばらく経ったある日、悟空は三蔵にそう切り出した。

考え始めたのは、旅の途中。
丁度、三蔵と別行動をしていた頃だ。
砂漠の妖怪の村と、人間たちのオアシスの衝突。
あの一件で、それまで三蔵にくっついていくだけだった自分に気付いた。
そして、そのとき自分自身の意志で西へ行こうと決めたのだ。
何も出来ない、あんな思いは二度としたくなかったから。

それから少し、自分と三蔵について考えることが多くなった。
五行山に迎えに来てくれてから、三蔵は悟空にとって絶対の太陽だった。
大好きで大切で、ずっと一緒にいたいと思った。
けれど、本当にこのままでいいのだろうかと、そう思うようになったのだ。

傍にいたいけれど、依存はしたくない。してはいけない。
だから、一度、離れてみようと思った。
ひとりで旅に出て、色んなものを見てこようと。
西への旅は寄り道する余裕などなくひたすらに天竺を目指したが、今度はどこに向かうでもなく自由に世界を回ってみようと。

だから、三蔵にそう告げた。
悟空は知っていた。三蔵がダメだとは言わないことを。
三蔵ならきっと「行ってこい」と言ってくれる。
そんな確信があった。

そして三蔵の口からは、悟空の予想通りの言葉が告げられた。
「ありがとう、三蔵」
「礼を言われる覚えはねえ。お前は自由に行動すればいい。お前を縛るものなんざ、何もない」
「……うん」
あまりにあっさりとした言い方に寂しさを覚えてしまうのは、悟空の我侭だ。
自分で離れることを告げながら、すんなり受け入れられるとどこか落胆してしまう。

「だが、ひとつだけ覚えておけ」
三蔵の声に、悟空は顔を上げる。
「お前が帰ってくる場所は、ここにある」
真っ直ぐに悟空を見据えながら告げられた言葉に、悟空は一瞬目を瞠る。
『ここ』が慶雲院ではないことは、すぐに分かった。
「うん、分かってる」
そう答えて、笑う。

必ず、帰ってくる。
三蔵のところへ。
待っていてくれる人のところへ。





そうして、ひとりで飛び出した。
餞別にと貰った金は、どうしても足りない時以外は手をつけなかった。
普段は街で日雇いの力仕事とかをこなして稼いだ金で旅代を賄う。
自分で自分を食わせるということが、思った以上に大変だということを知った。

色んな場所を旅して、色んな人たちに出会った。
楽しく笑い合ったり、口喧嘩をしたり、助け合ったり。
今まで知ることのなかった、色んなものを知った。

それでも…………強く想う人はたったひとりだけだった。
どこにいても、何をしていても、ふとした瞬間に金色の太陽を思い出す。
寂しい、とは思わなかった。
どれだけ距離が離れていても、三蔵は悟空を待っていてくれる。
どんなに時間がかかっても、帰ったら悟空を迎え入れてくれる。

そのときに三蔵に驚いてもらえるくらい、もっと成長して帰りたかった。
今よりもっともっと、三蔵に好きになってもらえるように。
悟空が今でもなお日を追うごとに想いが募っていくように、三蔵にももっと悟空を好きになってほしい。

「今頃、何してんだろ」
乗せてもらった荷馬車の上で、悟空は空を眺める。
雲ひとつない、抜けるような青空。
この空は、三蔵へと繋がっている。
太陽の光が柔らかく降り注ぐ。
「いつか必ず、帰るから」
眩しい光に向かって、悟空は手を伸ばした。







何年が過ぎただろう。
今やっと、悟空は慶雲院の前に辿り着いた。

逸る気持ちを抑えながら、悟空は門番の僧達に名と三蔵への取次ぎを頼んだ。
以前ならば我が物顔で突破していたのだが、今はもうそんな気にはなれなかった。
もう、自分はあの頃のような子供ではないのだから。
ちゃんと手順を踏んで、礼儀を守ることくらいは覚えた。

悟空を見て驚いていた僧達だったが、ちゃんと三蔵へ伝えに行ってくれた。
しばらく待つと、中へと通された。
三蔵が執務室にいることと、その場所が変わっていないことだけを確認して、案内は辞退した。
たとえ何年経ったとしても、忘れることなんてない。
身体が、三蔵に至る道筋を覚えている。

走ることはなんとか堪えたが、自然と早足になる。
もうすぐ……もうすぐ会える。
この数年、ずっとずっと会いたかった人に。
早く顔を見たい。声を聞きたい。
これまでの年月に比べれば一瞬でしかないであろう時間が、とても長く感じた。

辿り着いた部屋の前で、悟空はひとつ大きく深呼吸をする。
心臓の鼓動が、だんだん速くなっていく。
ぐっと拳を握ると、扉を軽く叩いた。

「入れ」
中からかかった声に、ひときわ鼓動が跳ねた。
聞き間違えようのない、三蔵の声だ。
それがとても懐かしくて、胸が締め付けられた。

ゆっくりと扉を開くと、懐かしい部屋の中、いつもの場所に太陽があった。
緩やかな動作で席を立つと、三蔵は執務机の前に回りこんで軽く凭れる姿勢になる。
「どうした、何をそんなところで突っ立ってやがる」
その声に誘われるように、悟空は三蔵の方へと歩いていく。

手を伸ばせば届くほどの距離で、足を止めた。
以前より三蔵を少し低く感じたのは、悟空自身の身長が伸びたせいだろう。
紫煙を燻らせながら、三蔵はじっと悟空を見ている。

「満足のいく旅は出来たか」
「……うん」
「そうか」
会話が途切れ、沈黙が下りる。



やがて煙草が短くなり、灰皿に押し付けられる。
「悟空」
名を呼ばれ、悟空は顔を上げる。



「……おかえり」



「三蔵…………ただいま!」
叫んで、三蔵に抱きついた。
「三蔵……三蔵……会いたかったんだ……ずっと……」
「そのくらい知ってる。ったく、やせ我慢しやがって」
その腕が悟空の背中に回り、キツく抱きしめられる。

しばらくの間、そのまま抱きしめあった。
久しぶりに感じる温もりは昔のままで、とても心地良かった。
三蔵の温もり。三蔵の匂い。
帰ってきたのだと、実感する。

「俺、色んなことを知ったし、色んな経験した。三蔵に、聞いて欲しいんだ」
「聞かないっつっても喋るだろうが、お前は」
「当たり前じゃん。三蔵にはそれくらいじゃないと」
ニッと笑うと、三蔵が数度目を瞬かせた後小さく笑った。
「生意気言うようになったじゃねえか」
そう言った目が少し嬉しそうに見えたのは、きっと気のせいではないだろう。

耳の後ろに手を添えられ、三蔵の顔が近くなる。
目を閉じると、唇に温もりが触れた。
長く離れていた時間を埋めるように、口付けが深くなる。



いつかまた、旅をする日が来るかもしれない。
それでも、必ずここに帰ってこられると信じられる。
悟空が帰りたい場所は、帰るべき場所は…………ここだけだ。
三蔵がいてくれるから、悟空は自由に旅が出来る。

悟空という鳥が自由に飛び回れるのは、三蔵という枝がいつでもそこにいてくれるから。
だから、いつか三蔵が鳥になって飛んで行くときは、悟空が枝になりたい。
枝になって待っていられる男に、なっていたい。

悟空はそう心に決め、もう一度その温もりを確かめるように抱き合う手に力を篭めた。









END











後書き。

10周年記念ミニ企画第2弾。
お題は「……おかえり」。
どういう「おかえり」にしようかなとしばらく迷ったのですが、こうなりました。
三蔵自身も悟空への依存から脱却しなきゃ2人の関係いつか破綻するよな……と思いまして、三蔵に悟空を送り出してもらいました。
この後も何度か離れながらも必ず帰ってきて抱きしめ合う2人になればいいなーと思います。
こんな感じになりましたが、気に入っていただければ幸いです!




2011年4月30日 UP




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